両親①:言いたいことを言い、やりたいことをやる絶妙な関係
連載するつもりが2日空いてしまったけれど、家族について振り返るシリーズ。今度は両親について、何回かに分けて書いてみたい。私の根っこを愛して、育ててくれたかけがえのない存在。私は今、そんな自分の両親のような夫婦になれているだろうか・・・全然まだまだだな。それでも、これからも、私は自分の両親を理想の夫婦として、意識の片隅で感じていたい。
「私がいなきゃだめだ」母も私も感じたこと
父と母の出会いは高校だった。父は男子校に入学したが、性に合わず、退学して共学に入りなおしたと聞いている。だから両親は同級生。でも父が1歳年上だ。高校への再入学をする高校生が多かったのか、当時の状況はよく知らない。ただ、今の私からすると、高校をやめてもう一度、入りなおした父はずば抜けた勇気や行動力があるように思う。
それほど父にとって、男子高校は違和感があったのだろう。父は文武両道でモテモテだった。高校を卒業してから、どんな道をどうたどったのか…今度、ちゃんと聞いてみたい。母は義理の兄(自分の姉の夫)に言ったそうだ。「私がいなきゃ、あの人はダメなんだ」と。確か伯父が酔った勢いで教えてくれたエピソードだが、その言葉は若かりし頃の私に強烈な印象を残した。
私が夫と出会ったのも「私がいなきゃダメだ」と勝手に感じて一緒にいた経緯がある。女性は母性本能をくすぐられると強くなるのだろうか。奇しくも自分と両親の夫婦成立のエピソードを重ねる。そう思いながら、なぜか家族を自然とリードしているのは男性である。意図せずそうなっていたのなら、夫婦としては割と悪くないんじゃないか、と自己満足している。きっと父や夫の認識は、母や私とは全然違うのだろう。そう容易に予想できるのが、また何とも言えない、夫婦ならではの微妙な間柄だ。
言いたいことを言い、やりたいことをやる――最初に触れた「自由の相互承認」
私の両親も子どもの前でよく喧嘩もしていたが、離婚することなく、なんだかんだ後半、母の病気が重くなってからは、特に父も丸くなり、仲の良い夫婦だった。私たち夫婦も喧嘩をよくする。喧嘩というか・・・私の中では意見をはっきり伝え合っているだけなのだけど、子どもからすると喧嘩に見えてしまう。言いたいことを我慢して爆発するよりよっぽどいい。ただ強く言いすぎないように、気を付けたいと心の底では思っている。(実際にできているとはとても言えないけれど)
父は子ども向け英語教室の教室長やスーパーバイザーのような仕事をしながら、50歳前後だったろうか、突然、自分の弟(私の叔父)にフリーカメラマンの仕事を教わり、独立開業した。あの頃、家計を守っていた母は大変だったろう。営業的な仕事は苦手だったはずなのに、77になった今も、撮影の仕事を1人で取ってくる父は本当にすごい。
一方の母も、私と弟を生む前にはアパレルの卸会社で働き、私たちの出産で専業主婦になったが、私が小学生に上がったら、下着の訪問販売の仕事を始め、着物の店舗スタッフもやっていたし、最後は化粧品関係のコールセンターで長く働いた。子育てしながら働く姿は母に学んだ。
言いたいことを言い、やりたいことをやる。そんな姿を両親から学んだ。母は8年前に亡くなったが、両親の姿は今も私の中に生きている。私が目の前の両親=夫婦という関係を通じて最初に学んだ「自由の相互承認」なのかもしれない。互いの自由を尊重し、不可侵でやりたいことをやる。なかなか難しいけれど、私もそんな夫婦でいられるよう、両親の姿をこれからも励みとしたいと思う。
皆さんの両親はどんな関係でしたか。嬉しかったこと、哀しかったこと、良かったこと、嫌だったこと、何でもいいです。何かしら家族のエピソードをシェアいただけませんか。2022年12月17日(土)午前中にドキュメンタリー映画『うまれる』を観て、家族について語る会を開催します。もしよければお話をしに、あるいはお話を聞きに、気軽にいらしてください。