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見えない遺伝子。

久方ぶりに雑記です。
入院していた時はあまりにも暇すぎて毎日何かしらの文章を書いていましたが、退院してからは遠のいてしまいました。
ただ、書きたいと思う事柄には日々出会ってはいたんです。
別の場所に吐き出すこともあったし、形を変えて詩としてここに書いたりもしていました。
が、今回は素直に雑記として書き残したいと思ったので、諸々溢していきます。

遺伝

現在、母と同居してます。
母の実家に私が転がり込んだ形ですね。
今まではずっと父方の家に居たので、生活拠点が変わった事に合わせて新しい発見をしたりしてます。

というのが、遺伝について。

父方の家で生まれ育った私にとって、もちろん身近に感じる親族は父方の人たちです。
感覚として私は父に似ていると思っていたし、それは大きく間違ってはいないのだとも思っています。
ただ、親が2人居るのですから、片方からしか遺伝していないなんてことは無いわけで。
気づけるほどの距離にいなかっただけなのだろう、というのが今の私の考えです。

腎臓を患った人は父方には居ません。少なくとも、判断できるほどの近しい間柄に、その様な人はいないのです。
しかし、母の方を見ればすぐに見つかる。
母のお兄さん、私からすると叔父さんですが、長らく透析治療をされていた。
ネフローゼと診断された時に、「叔父さんからの遺伝かな?」と思ったのも事実です。

ただ、それだけでは無かったのだな、と。
母の家に私が移動してきてから、家の片付けを本格化しました。
10年程前に亡くなってしまった叔父さんの部屋を始め、過去にこの家に居た人たちの荷物が手付かずのまま放置されていたので、それ等の片付を。
叔父さんの部屋は本だらけ。
壁に備え付けの飾り棚も、デスクの下に並べられた棚も、クローゼットの中も、本がびっしり。
色々なジャンルの本が作者ごとに並べられています。
三島由紀夫の全集は、出版当時54万円くらいしたらしい。そんな本も、部屋の主人を失い埃をかぶっていました。

叔父さんの部屋に私が立ち入る様になったのは、叔父さんが亡くなってからです。
生前は、あまり交流の無かった方でした。
亡くなる直前の1年くらいは、母と共に行動している時間が多かったので、叔父さんのお見舞いに行ったりもして会話をすることもありましたが、交流の時間があまりにも短かったと今になって思います。
そう感じてしまうのは、叔父さんの部屋には私の興味を引く物たちが溢れているから。
主に本ですけど。
でも、本棚をよく見てみると、漫画本があったり、写真集があったり、活字だけではない娯楽が沢山あるんです。
さらに、片付けを始めて見つけたのがノート。
叔父さんが書き残していた沢山のノートや、新聞の切り抜きを貼ったスクラップブックなどなど。

叔父さんは『かく』事が好きな人だった様です。
油絵とか描かれていたのは知っていたし、今でも廊下に飾ってありますけど。
文章も多く書き残している人でした。
ノートに、丁寧に、几帳面に書き残された文字は、女性的な丸さで綺麗な文字。
罫線に沿ってびっしりと書かれた文字は、自分のノートに似通っていました。
書く事が好きというモノも、もしかしたら叔父さんからの遺伝なのかも知れません。

ノートが好きなのも、きっと。
文房具が好きなのです、私。
その中でも一番ときめくのがノート。
使っていないノートがあるにもかかわらず、見つけるとついつい購入してしまう程にノートが好き。
まっさらなノートを眺めているだけでニヤニヤしちゃうんです。
叔父さんがそこまでのノート狂いであったかは分かりませんが、未使用のノートがいくつも見つかりました。
ミドリのノート。
文具好きなら、知ってますよね。ミドリって。私もMDノートを持っています。
紙質に拘った、ちょっとお高いノートです。
質が良いのであろうノートが、未使用のまま何冊も見つかり、それ等は母の許可を貰って私が使うことにしました。
一見すると装丁の綺麗な本にしか見えないノートとか。何に使おうかワクワクしてしまう一級品たち。

惜しむもの。

叔父さんは既に思い出の中の人なので、どうしようもないのですが、ちゃんと話をしたかった。
何が好きで、何が面白くて…。
叔父さんの話を聞いてみたかったし、私の話を聞いて欲しかった。
私が書いたものを読んで欲しかった、とも、思います。

私の身近で私が書いたものに対して反応をくれるのは、父方の祖母だけなので、私にとってはとても貴重な存在だったはずなんです、叔父さんも。
だから、ちゃんと話をしてみたかった、と今になって強く思います。

岡崎京子さんの存在を知ったのも、叔父さんの部屋で漫画を見つけたからです。
今では私の一番好きな漫画家さん。
写真家の荒木経惟さんを知ったのも、そうです。
こんなにも女の人を美しく撮った写真があるのだなぁと、初めて見た時の衝撃は今でも忘れられません。
叔父さんの部屋にあったお二人の著作は、全て私が譲り受けました。
それから、綺麗なロザリオも。

物は残るから、それ等を譲り受けることは出来ます。
手元にあれば叔父さんのことを忘れてしまう様なこともないでしょう。
でも、それ等を見る度に、もっと思い出を作っておくべきだった…と惜しくなるんでしょうね。
時間が経てば経つほど、その想いが強くなる様な気がします。

思い出を一つ。

高校生だった私に、入院していた叔父さんが教えてくれた事があります。
「デートに行く時には、『〇〇が良い』って言うんだよ」と。
『〇〇で良い』と『〇〇が良い』と言うのでは、大きく違うのだ、と言うこと。
たった一文字だけど、それが大事なのだと、叔父さんは年ごろの私に話してくれました。

入院中で、体調も当然悪くて、治療だって楽じゃ無かったでしょう。
けど、少なくとも私の前でその様な姿は見せない人でした。
いつも微笑んでいて、ユーモアがあって、紳士的な。
病院のベッドの上でもそんなふうに振る舞っていた叔父さん。

母方の気質を継いでいると考えると、少しばかり憂鬱な気分になってしまいそうですが、それが叔父さんのものなら素直に喜べるくらいには、私は叔父さんのことが好きなんだと思います。

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