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障害者として生きていきたい

こんにちは、愛音です。
障害があることや、障害者と呼ばれることに抵抗がある人は沢山いると思っています。私は不登校になったことで周りと違うことが嫌でした。だから普通になりたいと強く願いました。

14歳で保健室登校をしてから雪崩のように人生は崩れました。不登校になり児童相談所へ行きましたが、そこから今の精神科を紹介され通うことになりました。そして20年の間様々な症状が小さな私の中で暴れます。鬱、自傷、摂食障害、パニック、離人症、解離、不眠、希死念慮、PTSD、思考障害、自我障害、強迫性障害…数え切れないくらい多くの障害、症状に悩み苦しみ、時には叫びました。

なんで私なの!?悪いのはアイツらなのに!!私は悪いことしてない!!なのになんでアイツらは笑って生きてるの!?なんで私は死ねないの!!もう嫌ーーー!!

苦しかった。悔しかった。辛かった。心に障害を負うことが、こんなにも人生狂わせて、性格を歪ませることができるなんて憎らしかったです。だから障害を捨てたいと願っていました。

障害を捨てたかったのに、
今では「愛音は障害者じゃない。普通だよ」
そう言われることに戸惑います
心が痛くもなります

なぜそんな気持ちになるのかというと、障害者ではない自分に何ができるのか分からないし、20年障害と苦しくも生き続けたことをまるで否定された気持ちになるからです。

これまでのnoteの投稿も障害がある私だから書ける目線のものが多くあります。私にとっての障害は辛さや生きづらさへ引きずり込むだけのものではなくなりました。障害があるから見える世界がある。障害があるから辛さがある、でもそこから立ち上がる方法も見えてきた。だからピアサポーターとしての活動ができます。

もしも私が障害者ではなく普通だったら、今とはまったく別の人生を歩んでいる。障害について考えることはせず、どこかの会社に属しせっせと仕事をこなしていたかもしれない。それはそれで1つの道であり幸せへ続くのかもしれません。

だけど私は障害者として生きる道を知りました。この道は優しくはないし、周りにはサポートしてもらわないと歩けないときもあります。だから「ごめんなさい、すみません」を言います。でも同時にこの言葉も言います。「ありがとうございます、助かりました」そう、人へ感謝を伝えることも多いのです。

誰かに助けてもらう、最初は申し訳なかったけれど今は温かさを感じることも増えてきて感謝を伝えます。このことは障害者であることを後ろ向きにとらえない感情になります。

確かに障害があることで壁に当たったり、差別されてしまうときもあるでしょう。だけど私は今の自分も、この人生も好きだから、だから障害者として生きていきたいと思うのです。

*愛音*

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愛音
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