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不登校の親になった時
こんにちは、愛音です
私は15歳で不登校になり、家族は変わらない寄り添い方でした。だけど正直、その変わらない寄り添い方が嫌いでした。
優しくて、認めてくれて、一緒に考えてくれる姿勢…
当時は人生終わった、と思える隙がないくらい真っ暗で、何が自分の心の中で起きてるかも把握できていなかったです。
とにかく自分が憎らしかった。こんな状況になったこと、学校が怖くて嫌いで、常に不安定で、人が大嫌いで、中でも自分のことがダントツで嫌い。
そんな最悪な私に家族から優しくされるとわざとらしさ、を感じずにはいられなかったです。
だって愛される資格も、優しくされる対象でもない。
それなのになんで優しいの?なんでぐちゃぐちゃの私を肯定するの?
言えばいいじゃん!
アンタなんて家族じゃない!
気狂い!いなくなれ!
消えろとかっ!!
母にこれらのことをぶつけました。
すると母は怒るどころかとても悲しそうな顔をしました。
悲しそうな顔を見て、私は気づきました。
自分がどれだけ残酷な言葉を身勝手にぶつけたのかを。
母も迷いながら日々私と接していたことでしょう。
迷っていたからこそ、今までどおりの接し方だったとしたら。
元気な私も落ち込んでる私も母は認めようとしてくれた。
だってたった1人の娘だから。
だから一緒に迷いたかったのかもしれない。
一緒に笑って、悲しんで、迷子になって、答えに辿り着きたかったのでは。
不登校の子供に寄り添うのは簡単ではないでしょう。
親も簡単ではないし、寄り添われた子供も簡単にすべてを受け入れるのは難しい。
私みたいに爆発して身勝手に残酷な言葉を吐くかもしれません。
ダントツ嫌いで憎んだ私のことを母は優しく温かく、ぎゅっと抱きしめてくれました。
言葉はなくて、ただただ、ぎゅっとしてくれた。
私にはこれが一番効きました。
抱きしめられて母の熱からいろんな感情が流れてきました。
お母さんも悩んでる、迷ってる、悔やんでる、でも生きてる。
それなら私もあとちょっと生きていこう…。
ぎゅっとされると、私もぎゅっと抱きしめ返しました。
寄り添い方に正解も不正解もないです。
だから難しいんですよね、迷うんですよね。
それでいいんです。
だって子育てはそもそも簡単ではないから。
そこに不登校、というものがくっついたら更に難しくなります。
私が勝手に思うことですが、距離を取っていいんです。
自分だけの時間を作っていい。
母はパートに出ていました。私と程よい距離を取り、お母さん、ではなく働く女性になる時間がきっとバランスを取るには必要だった。
でもその母はもういません。
私が20歳になったら空へ逝ってしまいました。
私は心の病気、母は体の病気でした。
そして私は今も生きて、母は空に呼ばれました。
これもきっと意味があるんですよね。
私にはまだ生きて片付ける課題がある。
じゃあ簡単に空へ行くのを許されない。
変わらない寄り添い方をして私と生きてくれた母。
ぎゅっとしてもらい、徐々にぎゅっと返した私。
酷い言葉も聞いてくれた母。
酷い言葉を吐いた私。
生きる、育てる、育ててもらう、
どれも簡単じゃない、
ただ母はこう手紙に残してくれました。
不登校になった愛音と暮らすことで
母は久しぶりに子育てをしています
愛音の笑顔を見れた日
愛音が自分で髪を結んだ日
その日が母にはたまらなく愛おしいです
母は決して強い女性ではないと思っています。
ただ、とびきり愛情深い女性であるのは間違いないです。
お母さん、今日も私は明日のために生きているからね。
*愛音*
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離れていても覚えている
離れていても一緒だよ
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