てくてくおいものすけ3
2022.5月29日
前回あらすじ
「俺だよ、俺!ハンバーグだよ!!(※芋)」
前回は各方面に怒られそうなネタをぶっこんだせいで、羊の存在感を奪ってしまった…。残念。
そんなこんなで私は羊と共に嘉手納新町と呼ばれるエリアの無料駐車場からそう遠くはない道の駅かでなに移動した。
同じ町内ということもあるが移動距離が短い。
本島中部以北はその人口から、市よりも町・村が多い。しかし自治体の面積自体がとても広く同じ自治体内でも移動は時間がかかるイメージなんだけどな。
広大な基地と大きな河川のある嘉手納町、如何に居住地が少ないかがよく分かる。
町内の2割にしか町民が住めないってこんな感じか…。
そのため「(基地部分を除けば)日本一小さな町」と呼ばれる事もあるようだ。
道の駅かでなに到着
ひょー!新しくて綺麗な立物!最近リニューアルが終わったらしい。へー知らなんだ…。
駐車場に車を停め最初に目に飛び込むのは、
嘉手納町出身の英雄「野國総管(のぐにそうかん)」
嘉手納町の観光大使は郷ひろみだ。
嘉手納町出身スターといえば南沙織、古謝美佐子、野球選手の宮城兄弟にランドルフ…。
そんな名スター達を差し置いて…。いやそのスター達も崇拝するだろう英雄が野國総管。
彼を知れば沖縄のみならず日本人みんな崇拝したくなっちゃう、その偉業とは、
甘藷(サツマイモ)を中国から沖縄に持ち帰った救世主なのだ!!
当時の琉球国は農業の難しい土地柄でなかなかお米が育たない。飢饉に困窮するなか、野國総管は唐に渡り甘藷を持ち帰り栽培方法を琉球中に広めた。そのおかげで琉球の人々は飢饉から救われたのだ。
お米より育てやすい甘藷は輸出貿易にも成功。のちに鹿児島(薩摩)でも栽培が始まりここから日本中に甘藷は広まった。
そのため唐芋→琉球芋→薩摩芋と変遷した経緯がある。
上記引用、長いけどぜひ読んでほしい。400年以上も前の名前も残らなかった1人の男の航海がのちに日本を救った訳ですよ。
そんなん…そんなん、胸が熱くなるじゃねぇか!!!
だってさだってさ、よく歴史の話や戦時中の話などで
「芋くらいしか食べるのが無くて…」
「芋を食べて空腹を凌いだんだよ…」
「こっそり畑から芋を盗んで子供同士分けあった…」
とかの芋エピソードの数々があるよね?
この人が居なかったら沖縄どころか日本はもっと餓死者がいたに違いないよ!!!
って想像しちゃってもう嘉手納町には足を向けて寝れねぇと思ったのでした。
みんなが大好きな焼き芋もこの人が居なかったら食えなかったかも!!!怖い!!!
沖縄は元の土着信仰をはじめ、ニライカナイ信仰や中国由来の儒教道教などの教えが古くから根付いていた。
なので神道の概念は割と最近…といっても王府時代ではあるが、新しめの宗教である。
なのでなので、日本と違って実在人物が神格を持ち神社で祀られるというのは、めっっったにない。
その中で唯一三人、民衆がどうしても「神社たててー!」と願い、琉球王府・当時の日本の政権からも「神社建てようぜ!」ってなった人物がいる…。
製糖技術ほか産業発展に貢献した儀間真常、
近代政治家の蔡温(具志頭親方文若)、
そして残すもう1人が野國総管である。
その神社は「世持神社(よもちじんじゃ)」
戦火におちた影響でごたごたし、琉球国当時の都・那覇市にて、御神体は波上宮、社殿は奥武山公園内に分かれている。興味があればぜひ…。
なんとここで脅威の2070文字over!
他にも嘉手納町の野國総管推しが凄くて
野國総管まつり(例年10月)ってお祭りがあったり、特に2015年は甘藷の導入410年記念で盛り上がってたり、
とにかくお芋と野国総管推しの町なのだ!!!
覚えてね!
おまけ
↑他の推し(ベッテルハイム氏)取り上げて世持神社を取り上げてない残念な過去記事
↓迷子の奥武山公園編。何故か社殿の写真がない残念な過去記事。この近くにガーナー森(マーシー)もいる。
↓あんなにネタにされて今回出番のなかったいもっち
芋そのものじゃなくて妖精なんだね!?いもの栽培…そっか。あ、名字あるんだね…。へぇ…。19歳だね。
その叫び方は「ミキティー!」だね。庄司だね。
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