超保守の白人しかいない田舎、アメリカ北西部のアイダホで暮らした記憶を辿る
トランプ大統領の再選が決まって、例に漏れず鬱屈とした気持ちになる。トランプ大統領を支持する人たちってどういう人たちなのか。メディアで報道されているニュースを見ても、ピンとこない人たちもたくさんいると思う。私たち、日本人がビジネスで接するのはリベラルなアメリカ人がほとんどだと思うし、駐在・留学する地域も多様性が尊重される場所が多いのではないか。
私は高校時代、超保守地域のアイダホ州に1年間留学していた。ホームステイをしながら現地の公立高校に通っていたので、現地の人たちとどっぷり接した留学生活だった。アメリカ人でさえ「アイダホ!すごいところで暮らしてたね」と驚く、超保守の田舎での生活と人々のことを、少し思い出してみようと思う。
アイダホはどういう州なのか?
アイダホ州の場所がわかる日本人は殆どいないと思うし、アメリカ人でさえ知らない人が大多数ではないか。アメリカ大陸の左上くらい。本州よりちょっと小さいくらいの土地に、180万人の人しか住んでない、都市部以外はほぼ山と荒野という地域だ。
一番大きい州都ボイシで人口20万人弱。近年はテック産業も盛り上がってきているらしいが、典型的な農業国。アイダホポテトで有名?なジャガイモは、アメリカ合衆国内の13%近くを生産している(寒冷地かつ荒野が多いので、ジャガイモやマメのような作物の栽培が多くなるのだろう)
人種構成は非常に偏っており、白人が9割、ヒスパニックが1割。ネイティブアメリカンやアジア系、黒人はそれぞれ1%程度しかいない。産業にも乏しく、気候が厳しいこともあり、ほかの地域に比べると移民が少ないのだと思う。イエローストーン国立公園などの観光地もあるが、ほとんどの州外の人にとっては「行く機会の無い地域」だ。
私が暮らした街(人口1500人)と家族たち
私はアイダホ州の2つの町に、それぞれ数ヶ月暮らした。(途中でホストファミリーと合わず、町を移動することになった)
最初に暮らした町は人口1500人あまり。ユタとの州境の小さな町だった。ソルトレイクシティから2時間かけて荒野を運転し、ホストファミリーの家にたどり着いた時、それまで住んでいた町との違いに驚き、失礼と分かっていながらも心細くて泣いてしまったことを覚えている。
ホストファザーとホストマザーは40代後半で再婚同士。ホストファザーには前妻との間に4人の子供、ホストマザーは前夫との間に6人の子供。そしてホストファザーの長女がティーンエイジャーの時に産んだ子供3人を養子にしていて、合計子供が13人という大家族だった。ちなみに13人のうち8人は成人しており、ホストファミリー宅で一緒に暮らしていたのは18歳と16歳の高校生男子、5歳の双子男子、3歳の女子という構成だ。
ホストファザーはUPSのドライバー、ホストマザーはピアノ教師だった。ホストファザーは穏やかな人で、ホストマザーも優しかったけれど、感情のアップダウンが激しく、部屋に閉じこもることもあった。(再婚同士の二人は結婚と離婚を3回繰り返していた)ホストマザーはほぼ専業主婦みたいなものだったが、夕ご飯を作るのは週に2〜3回。残り日は、パンにジャムを塗って食べたり、シリアルを食べたり。アメリカ人らしく、掃除も最低限しかしなかったように思える。
アメリカでは9割の学生が高校を卒業するが、ホストファミリーの成人した8人の子供のうち、高校を卒業したのはたった1人で、残りの7人は何をやっている人たちがよく分からなかった。ホストファザーもマザーも、普通の人たちのように見えたが、当時の生活に落ち着くまでに家庭が荒れた時代があったのかもしれない。たまに、5歳双子と3歳女子の母親であるホストファザーの長女がふらりと家に来て、子供たちと遊び、私ともよくお喋りをしてくれたが、ホストマザー(長女からすると義母)に「彼女はマリファナをやってるから、あまり近づきすぎないで」と釘を刺された。
歩いて行ける地元の高校には、近隣の街からも生徒が通学してきたため、数百人の生徒がいたが、アジア人は私ともう一人、香港からの留学生のみ。黒人の姿は目にしなかった記憶がある。街にはマクドナルドが1軒あったが、あとは小さいコンビニがあるくらいで、スーパーも映画館も、車を数十分走らせないと行けない、そんな街だった。
厳しく結束の強い宗教コミュニティ
モルモン教徒の総本山、ソルトレイクシティに近かったのもあり、住民の9割以上がモルモン教だった。(※今では「モルモン教」という呼称は推奨されていないらしい)
モルモン教はキリスト教の一派だが、他のキリスト教徒たちからは異端視されることが非常に多い。戒律が厳しいことでも知られている。カフェインもアルコールも禁止。また男女の性に関する決まり事も多く、デート出来る年齢は16歳から。アダルトコンテンツ閲覧も禁止されており、こっそり見ているのがバレてホームステイ先を追い出される留学生も珍しくなかった。中絶はもちろん禁止だが、避妊も禁じられているため、高校を卒業してすぐに出産したような若いママが多かったのを覚えている。
小さな街のコミュニテイ=ほぼモルモン教で、ホームステイ留学生の私も当然のことながら、家族や友達、みんなと毎週日曜の礼拝と教室に通うことになった。
戒律に違反すると破門される、つまりコミュニティから疎外されることになる。教会は互助会的な位置付けもあり、困った時は助け合おうという精神が根付いているため、教会に通えなくなることは人によっては死活問題だった。現地で仲良くなった友達のお姉ちゃんは、17歳で未婚の母になったため、教会から閉め出されたらしく、もちろん定職もないため、なんとか自分を養ってくれそうな男と結婚しようと必死だった(私のホストブラザーを追いかけ回して、困らせていた)
外国人差別はあったか?
冒頭で述べたが、州全体で白人が80%以上。有色人種はほぼ都市部に集まるので、私が住んでいたような小さな街だと、さしたる仕事もないので、移民もほとんど流入してこない。留学生以外はほぼ全員白人、という状態だった。アジア人である私は完全に「お客様」扱いだったので、みんな非常にフレンドリーだった。アイダホ州に滞在した1年間を思い返しても、差別的な言葉を投げかけられたり、態度を取られたりという記憶がほとんど無い。自分たちの生活が変わるということが無いため、わざわざ来てくれた余所者にも優しい、そういう感じだった。
街と人びとに馴染めなかった私
町に住む人は、みんな敬虔なモルモン教徒で、早くに結婚して家族を作ることが一番大事だと考え、自分の住み慣れた街を離れる人生をほとんど想像していない人たちばかりだった。私がホームステイしていた家族の高校生男子2人は、進学費用がないため、卒業後はまずは軍に入隊してお金を稼ぐんだ、という話をしていた。高校では成績優秀なクラスメイトも、進学先はアイダホ州立大学。州を出たことがない人たちばかり、人生で一生海を見る機会が無いような人もたくさんいた。街には産業がなく、みんな等しく、質素な暮らしをしていた。
留学中、史上最も接戦になったアメリカ大統領選挙が行われたが、周りの友人は当然の如く、共和党のジョージ・W・ブッシュを支持していた。(当時、共和党の支持者の特徴は「白人」「保守」「内陸部」「敬虔なキリスト教徒」と言われており、アイダホの人たちはまさに典型的な共和党支持者の代表例だった)
アメリカでは小学校低学年のうちから、大統領選挙についてクラスで議論するなど、政治的トピックを話題にすることを厭わない。長引く大統領選の中で「中絶を認めるなんてあり得ない」「銃を使うのは私たちの権利でしょ」と当然のように口にするホストファミリーや友達と議論することに、私はだんだん疲れていってしまった。みんな、とっても優しくしてくれる。でも、一つの例に過ぎないが、「まさかダーウィンの進化論を信じているの?私たちの祖先がサルと一緒だって言うの?あり得ないわ!!」などと捲し立てられたりすると、拙い英語では反論できない。ちょうどアイダホに来てから4ヶ月、毎日の課題に追われ、英語もなかなか上達せず、気晴らしできる場所もない。孤独感が募り、ストレスが溜まった私は、その後色々とあり、もう少し大きな街に移ることになった。(移った先のホストペアレンツとは非常に仲良くなり、無事に残り数ヶ月の留学生活を送ることができた。新しいホストファミリーは、大卒の建築家夫婦だった)
アメリカ西海岸の学生たちとのギャップに衝撃を受ける
その後、留学の終わりに、両親の古くからの友人が西海岸・カリフォルニア州のアーバイン地区に住んでいるということで1ヶ月弱滞在させてもらうことになり、アイダホ
とのギャップに衝撃を受けた。
アーバインは高等教育機関が充実している事と、低い犯罪発生率で知られるロサンゼルス都市圏である。人口の50%が白人、40%がアジア人と、裕福なアジア人がたくさん住んでいて、教育熱心な家庭がとっても多い。
何から何まで、アイダホの学生たちと違うのだ。まず親の収入が安定しているし、学生たちは著名な大学に進学するために、スポーツをはじめとした経験を積み、SAT(大学適正試験)で高得点を取るために、ひたすら勉強する。かたや、車を乗り回し、モールでショッピングを楽しみ、映画を見に行き、クラブでハメを外す。ウォルマートに行きたくても、自分の車がなく、ホストファミリーや友達に頼んでも「ガソリン代がもったいない」と言われて断られたアイダホ生活を思うと、くらくらしてきた。「ホストファミリーは結婚離婚を3回繰り返して、子供が合計13人(うち3人は養子)」「高校を卒業していない身内がたくさん」「教会に毎週通ってた」と話すと「すごい!実在するんだね、そういう人たち!!」と無邪気に言われる。日本と地方以上の分断がある。
留学先で馴染めなかった挫折と諦め
実は私は小学生の時、1年間、ボストンに住んでいたことがある。それゆえ、留学を決めた時も、なんとなくボストンでの生活のイメージがあり、留学先でもうまくやっていけるだろうという楽観があった。(ちなみに私が参加した交換留学プログラムでは、留学費が非常に安い代わりに、留学先を選べない)
リベラルで教育水準が全米トップのボストンと、超保守のアイダホは正反対すぎた。
優しくしてくれたホストファミリーや友達と馴染めず、途中で街を交代することになったこと。心から仲が良い友達と出会えずに留学生活を終えてしまったことは、高校生の私に深い後悔と挫折感をもたらしたが、英語力が発展途上だったこと、精神的にも未熟な10代に単身渡航して現地で暮らしたことを考えると、あの時の自分は頑張ったよ、と今なら言える気がする。
そして、日本人どころか、リベラルなアメリカ人があまり出会うことのない人たちと暮らした経験というのは、アメリカという国の多様性を理解するうえでの一助になる気がする。ここ数年はアメリカに嫌気がさして、関心も失ってしまっていたのだけれど、せっかく隣国のカナダに住んでいることもあるので、改めてアメリカという国に目を向けてみようと思う。