貴方解剖純愛歌~死ね~#8【インスパイア小説】
家に着くころにはすっかり日が沈み、辺りは街灯の薄明かりに照らされていた。近くで蛙の鳴き声が聞こえる。街灯の周りには光に吸い寄せられた数匹の羽虫が舞っている。自転車を玄関の脇へ止めると、ポケットから家の鍵を取り出した。
「片づけるからここで少し待ってて」
「何その女の子みたいなセリフ。別に気にしないからいいよ」
と陽葵がついて来ようとする。慌てて待てのポーズで陽葵を制止させる。
「俺が気にするの。すぐ戻るから待ってて」
玄関ドアの前で陽葵を待たせ、靴を脱いで家に上がると勢いよくリビングの扉が開いた。
「蒼兄、お帰り!お腹空いたよー」
三女のハナがお腹をさすりながら、だるそうに歩いてくる。その後ろから次女のクルミも続く。
「今日遅かったね。って後ろにいる人だれ?」
振り向くといつの間にか玄関の扉が半開きになり、間から陽葵がちょこんと顔を出して、こちらの様子を窺っていた。
「何やら声が聞こえたもので、待てずにお邪魔しちゃいました。入ってもいい?」
思わずため息をつく。
「もう半分入ってるじゃん。お邪魔しちゃいましたって言ってるし。いいよもう」
その言葉を聞くなり、喜々として素早く玄関の中に入ってきた陽葵。
「ねえ蒼の妹ちゃんたちなの?かわいい!初めまして、お姉ちゃん陽葵っていいます」
ぎこちなく挨拶し返す妹たち。
「この人蒼兄の彼女?」
半分僕の後ろに身を隠したハナが、小声で僕に問いかける。
「んふふ。そう見える?」
僕が答える代わりに陽葵がニヤつきながら答えた。
「ばか、全然そんなんじゃない。ただの同じ大学の……」
「へえ、蒼兄でも彼女って出来るんだね」
クルミがさも意外そうに言った。お前ら人の話を聞け。陽葵といい妹たちといい、女性にはいつもリズムを狂わされてしまう。だから家になんて連れてきたくなかったんだ。
「うるさいお前ら。ガキんちょはそんなこと気にしなくていいんだよ。とにかく俺らにかまうな。彼女じゃないってい、いっ……」
急に耳を引っ張られ甲高い変な声が出てしまった。陽葵がそっと耳打ちしてくる。
「ここは彼女ってことにしておかないと自宅デートの練習にならないでしょ?まあ勝手に一人暮らしだと思ってたから、家族がいるのは想定外だったけど。てかいるならいるって先に言っといてよね」
「有無を言わさず連れてけって言ったのそっちでしょ。俺は初めに嫌だって言っただろ」
小声で返す。そんな僕らを見てクルミがぶすっとした表情で言う。
「ねえ、帰ってきて早々イチャつくのやめてよね」
「今日蒼兄がご飯担当でしょ?早く作ってよ」
クルミの後ろからいつの間にか長女のワカバが出てきて、怒り口調でどやされる。
「え、まだ兄弟いるの?」
「あと二人いるよ」
面喰った陽葵の表情を見て、思わず顔が綻ぶ。家に連れてきたくなかった気持ちが少し薄れていった。
台所に立ち、昨日スーパーで買ってきていた野菜を切り出す。昨日のおかずの残りもあるし、時間も遅くなってしまったので時短料理にしよう。ふと、家族以外の人が自分の手料理を口にするのは初めてだと気づいた。意識した途端に緊張して手元が狂い、包丁で指を切りそうになる。
うちは父さんが死んでから、母さんが女手一つで家計も子育てもやりくりしてくれていた。長男が就職し、家を出てからは、僕や長女のワカバが下の姉妹たちの面倒をみたり担当制で家事を分担した。
母さんは出産してからは主婦として家の中に入っていたが、父さんがいなくなってからは広告代理店で再び働き始め、帰りは深夜近くなる日もしばしばあった。兄も毎月仕送りをしてくれていて、助かってるみたいだ。弟は高校で野球部漬けの毎日で、帰ってくるなりブルドーザーの如く晩ご飯を平らげすぐに寝てしまう。長女のワカバが今や第二の母親として多くの家事をしてくれているが、今年高校受験を控えているので最近はカリカリしていることが多い。
リビングからクルミとハナの笑い声が聞こえる。既に陽葵とは打ち解けて一緒に遊んでるみたいだ。
「ごめんね、妹たちの面倒みてもらっちゃって」
台所から陽葵に話しかける。
「ううん、二人ともいい子で楽しいよ」
「ねえ蒼兄、陽葵ちゃんスプラトゥーン強いんだよ」
「次はクルミね。陽葵ちゃんもう一回やろう」
陽葵を挟んでハナとクルミがコントローラーのやり取りをしてる。
「おい、ハナもクルミもあんまりお姉ちゃんを困らせるなよ」
「いいよー、お姉ちゃんこう見えてゲーマーだから何回やっても勝っちゃうからね」
母親が普段から働きに出てるせいで、普段から下の妹たちは自分たちだけで遊ぶことが多かった。だから、今陽葵と遊ぶ時間は、すごく楽しそうにはしゃいでいる。陽葵も存外楽しそうにしてくれているのでひとまず胸を撫でおろす。
料理が完成しワカバも部屋から出てきて、皆で食卓を囲んだ。エビとタコのアヒージョとジャーマンポテト、コンソメスープ、そしてワカバが昨日作った残り物のハンバーグがテーブルに並ぶ。
「こんな短時間にこれだけ作ったの?しかもどれも美味しそう」
陽葵が素直に驚いてた様子で、テーブルに並んだ料理を見渡す。
「蒼兄が兄弟で一番料理上手なんだよー。お姉ちゃん食べてみて」
クルミが口いっぱいにじゃがいもを頬張りながら薦める。
「クルミしゃべるか食べるかどっちかにしろ」
僕の言葉に黙ったまま、クルミは皿に箸を伸ばす。食べることにしたらしい。
「じゃあいただきます」
陽葵がアヒージョに箸をつける。何気なく食べるふりをしつつ、陽葵の反応が気になる。
「んー、美味い!」
やった!という気持ちをおくびにも出さないように、喜びと共に料理を噛みしめる。家族以外の誰かに料理を食べてもらうのはこんなにくすぐったいことなんだと初めて知った。
「ワカバちゃんが作ったハンバーグも美味しいよ」
陽葵が話しかけるも返事はせず微妙に会釈をするワカバ。
「ごめん、こいつ今絶賛反抗期中なのか、常に機嫌悪そうにしてるんだよね。気にしないで」
「うっさい」
とハンバーグを自分の皿に移しながらキッと睨んでくるワカバ。やれやれだ。
「わかるよ。私だって同じ年の頃は毎日のようにイライラしてたもん。あ、そうだ。ワカバちゃん来年から高校生でしょ?お化粧とか興味ない?」
少し面喰ったように目を見開くワカバ。
「ワカバちゃん目鼻立ちもはっきりしてるし、化粧映えする顔だと思うよ。ご飯食べたら私が教えよっか?どう?」
少しの間があった後、微かに聞こえる声でうんと頷いた。へえ、と意外な反応が面白くてワカバを見ていたら、再度鋭い目を向けられたので、さっと目を逸らし興味なさげな仕草でおかずを頬張った。
食事を終えて皿洗いをしていると、二階から陽葵とワカバの笑い声が聞こえた。どうやら完全に陽葵に心を許したらしい。さすが女同士ということか。そういえば陽葵には兄弟はいるのか。思えば僕は陽葵のことを何も知らない。それはそうだ、出会ってまだ間もない。そんな人が今自分の家に上がっていることがなんとも不思議な感じだが……。
ハナとクルミは晩ご飯を食べると、先ほどはしゃいでたせいか、間もなく目を開けているのが辛そうな表情になり、急いでお風呂に入らせて先ほど寝かしつけた。
ベランダから洗濯物を取り込んだりと、一通りの家事を終えたところでワカバが二階から降りて来た。メイクは落としてしまったのか、いつも通りのすっぴんだった。
「陽葵にまだ化粧教えてもらってるの?」
「え、化粧終わったら蒼兄の部屋行くってことになってたんじゃないの?」
「いや、そんなこと言って……」
しまった。ワカバの横を通り過ぎ急いで二階へ駆けあがる。部屋の扉を勢いよく開けると、陽葵がさっとこちらを振り向き、バツが悪そうな顔をする。
「あら、バレちゃった?」
「バレちゃったじゃなくて、何勝手に人の部屋入ってるの?」
「ごめんごめん、蒼の部屋ってどうなってるのかなって気になっちゃって。でも大丈夫、何も触ってないから」
「そういう問題じゃないんだけど」
部屋を見られたのが恥ずかしくて陽葵の腕を掴み、急いで部屋から引っ張り出そうとする。床に置いていた雑誌に足を滑らせバランスを崩してしまった。咄嗟に陽葵の肩を抱えて、ベッドに二人とも倒れこむ。ベッドに仰向けの形になった陽葵に覆いかぶさるような形になり、僕の顔の目の前に陽葵の顔があった。目と鼻の先で陽葵と見つめ合っている。
「ごめん、足滑らせて」
慌てて立ち上がろうとすると、すっと陽葵が目を瞑った。これは、一体……。陽葵は目を閉じたまま微動だにしない。どうしていいかわからず、声をかけることも忘れ僕もその場に固まってしまった。
恋愛ドラマや映画でしか見たことないような場面に今自分が遭遇してるのか?何秒そのままになっていたか。僕は訳が分からないまま、気づくと目に見えない力に吸い込まれるように、ゆっくりと顔を陽葵の顔に近づけていった。すぐそこにふっくらとした淡いピンク色の唇がある。お互いの息遣いが感じられ僕は目を閉じた。
「練習になった?」
驚いて目を開くと、陽葵も目を開けてすっと僕を見つめていた。次の瞬間、陽葵が吹き出して笑いだす。
「あはは、ごめん蒼の今の顔面白すぎる」
腹抱えて笑う陽葵を見て、体中が一気に熱くなり、恥ずかしさが爆発した。僕は勢いよく立ち上がる。
「ごめんね、怒った?」
涙目になった目の淵を指で拭いながら謝る陽葵に背を向ける。
「からかうのやめろよもう。でも倒れたのがベッドで怪我なくてよかったよ」
まだ心臓が勢いよく高鳴っている。陽葵も立ち上がると棚を指差して言った。
「ずっと写真見てたけど、どれもよく撮れてるね」
これまで撮ってきた写真の一部をフレームに入れて飾ってあった。家族以外の人に見られたのは初めてで、先ほどとは違うこっぱずかしさがこみ上げてくる。
「別に人に見てもらおうと思って撮ったわけじゃないから。俺の部屋なんて何も面白いものないからもう行こうよ」
「私は蒼の写真好きだけどな。こういう風に素敵な写真として残るのいいね。今度私も撮ってもらおうかな」
じっと写真を眺めながら陽葵が言う。
「さ、もう遅いから行くよ」
半ば強引に陽葵を部屋から連れ出す。そのまま玄関に行くとリビングからワカバがやってきた。
「お邪魔しました。ねえ蒼、ワカバちゃんすっごく可愛くなったんだよ。もう化粧落としちゃったけど。ね?」
「いいよ、そんなこと蒼兄に言わなくても。でも勉強も教えてくれてありがとね。また教えて」
やはり陽葵とはすっかり打ち解けたらしい。ワカバのこんな明るい顔を見るのはいつぶりだろう。
「それじゃあまたね」
「送ってくよ」
「いいよ、自転車だし道もわかるから」
「あ、そう?」
僕がすんなり折れると、横からワカバにツッコまれる。
「何言ってんの?彼女なんだからちゃんと送ってきなよ」
いや彼女ではないと、喉元まで出かかりなんとか飲み込んだ。そういえばそんな設定だったのか。
「妹もこう言ってるし、人通りが多くなるとこまで送るよ」
「そう?じゃあお願いしよっかな」
外はすっかり夜の静寂に包まれていて、Tシャツの中を涼しい風が抜けて気持ちいい。家を出てから二人ともしばらく黙ったまま歩いていた。陽葵が押す自転車のペダルが、カラカラ回る音だけがリズムよく聞こえる。横目に陽葵を覗き見ると、何かを考えているのか少し俯きながら歩いている。
「ごめんね、妹たちに付き合ってくれて疲れたでしょ?」
「全然。突然だったけど、みんないい子たちだったし。私一人っ子だから、あー兄妹がいるとこんな感じなんだなっていうのが新鮮で楽しかったし」
僕はその言葉を聞いてほっとした。
「そっか。それならよかった」
「それに今日は蒼の新しい一面が見れて面白かった」
「そう?」
「テキパキおいしい料理作ったり、ちゃんと姉妹の面倒を見てあげたり。いいお兄ちゃんだったよ」
「陽葵に褒められると逆に怖いな」
「は?どういう意味?」
そのまま自転車ごとこちらに突っ込んでこようとしたので慌てて弁明する。
「いえ、特に意味はございません」
僕の様子を見て陽葵がふっと笑う。
「うちは父親がいなくて母さんも夜遅くまで働いてるからね。でも今日は陽葵がいてくれて助かったかも。妹たちもすっかり懐いてたみたいだし。ありがと」
「うん。一人っ子で昔から家で一人で遊ぶことも多かったらか、賑やかだったり兄弟多いの憧れてたなー」
「賑やかだけどムカつくことも多いよ?」
「ケンカとかできるのもいいじゃん。それでも同じ屋根の下で暮らせるって家族ならではでしょ?それに、口では何と言ってても、それぞれ協力しあって補いあってるでしょ」
「まあね。兄貴も仕送りだけじゃなくて、たまに家に顏出してくれるからね」
「そっか。いいお兄さんだね」
少し間が空いて再びペダルの回る音が聞こえる。先ほどよりリズムがゆっくりになった気がした。
「そういえば今日はもう一個、蒼のオスの姿も見れたしね」
「なにそれ?」
「私をベッドに押し倒したでしょ?強引に」
「はあ?押し倒してないし、それに強引にじゃなくて転んでだから」
と言いながらも思わず陽葵の口元に視線がいき、すぐに前を向いた。
「って言いながら今想像したでしょ?」
「……してない」
はい、しました。
すると突然陽葵が立ち止まる。
「でも、私蒼なら押し倒されてもいいかも」
真剣な眼差しでこちらの様子をのぞき込む陽葵。思わず息を飲み、何も言葉を返せず固まってしまう。次の瞬間堪えきれなくなった陽葵が噴き出した。
「今の顔最高」
またやられた。ハンドルを叩きながら大袈裟に笑う姿を見て、顔が一気に熱くなる。
「別に本気にしてないって」
「ごめんごめん怒らないで」
「レンタル彼女でもそうやってお客さんを惑わしてるわけ?」
「どうかな。蒼みたいにピュアな人ばかりじゃないから。普通は引っかからないでしょ」
「そうやって男を手玉にしながらお金も稼げて、さぞ楽しいお仕事だろうね」
僕はどうにか一矢報いたくて皮肉を口にする。
「別にそんなつもりでやってないし」
表情を曇らせた陽葵に気づかずに僕は言葉を返した。
「手軽にお金もらえて、好きな服とか買いたいからやってるんじゃないの?」
先程までとは打って変わって、冷めた口調で陽葵が答える。
「蒼なんかにはわからないよ。私がどういう気持ちで仕事してるかなんて。それにお金をたくさん稼いで何が悪いの?」
「別に悪いなんて言ってないよ……」
「……せっかく気分よく帰れると思ったのに。蒼のバカ……」
「いや、そんなに責め立ててるつもりはなかったんだけど……」
「もうここでいいから。じゃあね」
「え、ちょっと……」
僕の呼びかけに反応することなく、陽葵はサドルに跨ると元来た道を走り去っていった。何がそこまで彼女を怒らせたのか、この時の僕にはよくわからなかった。陽葵の姿が見えなくなると頭を掻いて夜空を見上げた。薄い雲の間から朧げな月明かりが漏れていた。