貴方解剖純愛歌~死ね~#4【インスパイア小説】
信号が青に変わるのを待つため、交差点で立ち止まると陽葵が言った。
「買い物したらお腹減っちゃった。よし、見た目は最低ラインクリア出来たから、ここからは私をエスコートしてみてよ」
「え?エスコートってどこに?」
「それは自分で考える。男ならデートで彼女を連れてく鉄板コースの一つや二つマストで抑えてくおくもんでしょ」
「急にそんなこと言われても……」
「いいから蒼がいつも行くとこでいいから連れてってよ」
なんて無茶ぶりだ。女性を連れて行って喜ばれるところなど、何一つ思い浮かばない。それもそうだ。女性とまともにデートなどしたことないのだから。散々悩んだ挙句、僕が連れて行ったのは、大学の近くのカフェだった。
駅前の緩い坂道を100メートルほど登り、路地裏に少し入っていくと、住宅街が見えてくる。その中にポツンと佇む古びた、良く言えば味のあるアンティーク風な外装のお店。店の扉の前には年季の入ったイーゼルに【Buzz】と書かれている。ここは出来れば彼女を連れて来たくはなかったけれども、どうしてもデートで使えそうな鉄板のお店なんてものは思い浮かばず、止む無く来てしまった。
「何店の前で固まってるの?ここでしょ?入ろうよ」
陽葵に急かされ仕方なく前を行く。木製の扉を開くとカウベルが軽快に鳴り響き、中から珈琲の芳ばしい香りが漂ってきた。
「いらっしゃいませ」
声を聞いた瞬間にしまったと思った。やはり今日はシフトが入っていたらしい。
「えーっと何名様で、って。お?蒼じゃん。一瞬誰かわかんなかったぞ。何か雰囲気いつもと違くね?」
「うん……まあね」
僕に気を取られたのは束の間、新の視線はその後ろに注がれていた。
「後ろの子は、お連れさん?」
「えーっと……うん……まあ」
とぎこちなく返事をすると、後ろから陽葵が顔を出す。
「ん?友達が働いてる店だったの?」
陽葵がこちらを窺う。僕はしぶしぶ頷いた。
「おい、それならちゃんと紹介しろよ蒼」
餌を催促する犬のように、新が急かす。
「同じ学部の新。でこちらが……」
「私も同じ学部の3年、山井陽葵です。よろしく」
「陽葵ちゃんね。里中新です。きのこの山、たけのこの里の”里”に、中立の”中”、新作の”新”ね。よろしく。ちなみにきのこの山とたけのこの里はどっち派ですか?俺は断然たけのこの里派です」
「えっと……」
陽葵が困った顔で横にいる僕を見る。
「おい、新引かれてるから。前もそれでいきなり失敗したって言ってたよな?」
「いやー失礼しました。え?あれ?二人はまさかデート的なものの最中とかではないよね?」
新が僕と陽葵を交互に見ながら探るように問いかける。今度は僕が答えに窮してしまう。
「そうだよ。今蒼くんとデート中」
僕が思案していると、陽葵が淡々と答えた。
「嘘……」
虚を突かれたように驚いた顔の新。
「私先にお手洗い借りるね。どこですか?」
「……あっち」
陽葵の問いかけに力ない声で新が答える。陽葵が扉の奥に消えると新が僕に詰め寄った。
「デート!?あの蒼が?そんなの聞いてねえぞ。おいどうゆうことだよ?」
半分怒ったような、そして焦るように僕の肩に腕を回し聞いてくる。
「違うよ。なんか知らないけど、面倒なことに巻き込まれてるだけだって」
「何よ、面倒なことって?付き合ってるわけじゃないのか?」
「全然そういう関係じゃないっての」
それを聞いて、あからさまにほっとした表情になる新。
「だよな。蒼にあんな可愛い彼女がいきなり出来るなんて、突然目の前にブルースウィルスが現れて、隕石が降ってくるくらいありえないもんな」
「なんだよその例え。それより今日マスターは?」
「今買い出し行ってる」
「とか言ってまたパチンコじゃないの?」
「違いねえ」
マスター、ここの主人は新の叔父さんのことで、自宅を一部改築したこのカフェは、いつしか僕ら仲間内の溜まり場となっていた。
「そんなことより、彼女と何もないんだったら、俺との仲取り持ってくれよ」
「はあ?」
「俺がこの前隣の短大の子に失恋したの知ってるだろ?その傷心のタイミングであんな可愛い子がうちの店に来るなんて、これは運命以外の何者でもないっしょ」
始まった。僕と同じで全くモテないくせに、いとも簡単に恋に落ちる新の恋愛体質にはほんと参る。
そうこうしてる間に陽葵がトイレから戻ってきた。新が僕にアイコンタクトを送ってきたが、スルーして席に着いた。
「大学の近くにこういう店あったんだね。外観見たときはうわって思ったけど、中はけっこう雰囲気いいね」
彼女は店内をキョロキョロと見まわして言った。その言葉を聞いて少しホッとする。中は入り口付近にカウンター席が並び、奥がテーブル席となっている。映画好きのマスターの趣味が色濃く反映され、壁にポスターが張ってあったり、至る所にフィギュアが置いてあったりする。特別繁盛してる店ではないが、物好きな常連がぼちぼちいるらしい。
新がお水を持ってきた。明らかにいつもよりニコニコした態度で応対をしてくる。
「ご注文お決まりですか?」
「おい、新気持ち悪いよ。いつも通りにしろよ」
「いつも通りでしょうが。陽葵ちゃん、うちの店見ての通りあまり人気ないけど、意外に美味しいもの揃いだから好きなの頼んでね」
ペラペラとメニューを捲っていた陽葵が顔を上げる。
「じゃあ私はナポリタンと珈琲、ホットで」
「ナポリタンとホット珈琲かしこまりました」
と礼儀よくお辞儀をし立ち去ろうとする新を止める。
「おい、待てって。俺頼んでない」
「何よ、早く言って」
やはりこの店に来たのは間違いだったと後悔する。
「じゃあ俺もナポリタン。それとクリームソーダ」
新はカウンターに戻りいくらも経たないうちに、珈琲とクリームソーダをお盆に乗せてテーブルに運んできた。
「陽葵ちゃんナポリタンもすぐ作るから。I'll be buck」
彼女にだけ目配せをし、僕には目もくれず、新はキッチンの中へと入っていった。
「なんか面白い人だね新くん」
「ただの浮かれた猿でしょ」
カランコロンとカウベルの音が鳴り、中年男性が入ってきた。キッチンから新が出てくる。
「あー、上田さんいらっしゃいませ」
どうやら常連客らしい。
「いつものでいいですか?」
「うん、お願い」
ちらっと常連さんがこちらを向く。今あの人の目には僕らはどう映っているのだろうか。普通に大学生のカップルに見えるのだろうか。急に陽葵と面と向かって座ってることに、気恥ずかしさがこみ上げてきた。どこを見ていればいいのかわからず、僕はストローを咥え勢いよくクリームソーダを吸い込んだ。
「蒼ってさ、見かけ通りというか、かわいい飲み物飲むんだね」
「いいでしょ何飲んだって。ソーダ好きで何が悪い」
「ソーダ好きの蒼くんか。もしかしてあだ名は”だぁ”とか?」
「は?」
「ソーダ、蒼だ、だぁ、ってこと」
陽葵が閃いたような顔を見せる。
「いや、呼ばれたことないし、名前の部分何も入ってないじゃないそれじゃ」
「細かいことは別にいいじゃん。”だぁ”ってかわいいと思うけどな」
かわいいのか?でもそう言われると、もし彼女が出来てそう呼ばれるのも悪くないのか、などと想像する。
「それはそうと、彼女とはどこまでいってんの?」
今の件には既に興味を失ったようで、陽葵が話題を変える。
「彼女って?」
「決まってるでしょ?片思いの美青ちゃん。もう告ったの?」
「告白なんて出来るわけないよ。それに、片思いって君が勝手に決めつけてるだけでしょ」
「え、両想いだと思ってるの?」
「そうじゃなくて。俺が彼女の事好きだなんて、まだ一言も言ってないんだけど」
「いいからそういうの。はっきりしない男はモテないぞ」
とハッキリ言われ、何も言い返せない自分が情けない。でも陽葵の言うとおりかもしれない。いつだって僕は自分の気持ちに蓋をして見て見ぬふりをする。
「好きだの云々の前にね、そもそも彼女は前から付き合ってる彼氏がいるんだよ」
「ひゅー。じゃあ寝取ろうとしてるわけだ」
陽葵が両手で卑猥な形を作る。
「寝取りません。そんな昼ドラみたいな非日常的なことは、現実じゃ起きないでしょ。僕らはただの平凡な大学生なわけで」
「非日常は意外に起きるものだよ」
「何でわかるの?経験したことあるわけ?」
「あるよ」
「え……」
「あ、今急にエロい目つきに変わったよ?」
「は?そんなわけないでしょ」
「とにかく、諦めたらそこで試合終了ですよ……?」
首を傾け眼鏡を直すフリをし声色を変える陽葵。
「それは漫画の世界ね」
「ノリ悪ー」
「しょうがないよ。俺みたいな何の取り柄もない、見た目もパットしないやつじゃ、彼女とは釣り合わないし。それに彼氏は年上で、自分で会社起こしてるような人みたいだし。諦めるも何もとっくに勝負ついてるよ」
「あーやだやだ。ウジウジして言い訳ばっか。そんなこと言ってるやつには、どんな女も振り向かないよ。いやージメジメしてる。早く梅雨明け出来るといいね」
そう言って陽葵は、ガラス越しからよく晴れた空を仰ぎ見た。僕も同じ方を見る。確かに僕の心の中はいつまでも梅雨空のようにどんよりとしていた。
「そっちはどうなの?本物の彼氏はいないの?」
「いないよ」
窓の外を見たまま陽葵が答える。
「特定の彼氏は作らない。私には窮屈なの、恋人になって付き合うとかって。ビジネスライクでいるほうが楽じゃん」
同い年とは思えないほど、数多の経験を積んだ大人の発言に聞こえる。
「随分大人と言うかドライな考え方なんだね」
「そりゃ一皮も剥けてない蒼くんからしたら、大人に見えるかもね。お姉さんが剥いてあげよっか?」
またもや手で卑猥な形を作る陽葵。
「女の子なんだからそういうのやめなよ」
「蒼弄るの楽しいんだもん。そのチェリーももらってあげようか?」
そう言って、クリームソーダのグラスに入ってるチェリーに、手を伸ばそうとする。僕は先にチェリーを手に取り、口に入れた。
「残念でした」
口の中に優しい甘さが広がる。
「まあ私の事はいいとして、人の恋愛は見てて楽しいじゃん?恋愛リアリティショー的な。私がプロデューサーとして手取り足取り、教えてあげるから。ここは経験豊富なお姉さまに任せなさい」
そこに料理を持った新がやってきた。
「陽葵ちゃんお待たせしてごめんね。ていうか今手取り足取りとか、経験豊富なお姉さんとか聞こえたんだけど何の話?」
「テラスハウス」
僕が答えると、腑に落ちなさそうな顔をした新だったが、新規のお客さんが入ってきたので、僕らの席を離れていった。テーブルに置かれたナポリタンから湯気が漂う。焦がしケチャップの香りが鼻腔をくすぐった。