貴方解剖純愛歌~死ね~#17【インスパイア小説】
連続して日本列島を横断していた台風も落ち着きを見せ、過ごしやすい気温が秋の到来を感じさせていた。
僕は情報カフェテリアでゼミの資料を作成していた。机の上に置いていたスマホのバイブが鳴る。LINEを開くと春香ちゃんからだった。
**《今大学いる?》
*《情報カフェテリアで作業してる》
**《これから少し時間ある?話したいことあって》
*《了解。ラウンジ集合にする?》
**《出来れば外がいいかな?》
その後正門で落ち合った僕らは【Buzz】に来ていた。
「新くん今日シフト入ってないって言ってたから」
コーヒーにミルクとガムシロップを入れながら春香ちゃんが話す。
「その様子だと新とはうまくいってる感じ?」
「え?なんで?」
「あ、いや新のシフトのこととか知ってるってことは、もう付き合い始めてるのかなと思って」
僕の言葉に春香ちゃんは驚いた表情を浮かべる。
「はあ?ちょっとやめてよ。新くんとはただの友達だよ。シフトのこともたまたま今朝会ったときに聞いただけだし」
”ただの”の部分を殊更強調したように聞こえた。今の言葉を新に聞かれていなくて心底よかったと思う。
「そうなんだ。じゃあ呼び出したのは新のことではないの?」
「違う違う。陽葵のこと」
陽葵の名前を聞いて心が波立つ。
「陽葵がどうしたの?」
なるべく平常を装って聞く。
「もう病気のことは知ってるんだよね?」
僕は反応できず春香ちゃんの言葉を待った。
「あのね、私も何度か病院に行ってきたんだ。陽葵最近大学来てなかったし、何回連絡しても風邪気味で体調悪いからとしか言わなくて。それでお見舞い兼ねて講義のノート持って陽葵の家に言ったら、お母さんから倒れて入院したこと聞いて」
「春香ちゃんは病気のこと知ってたの?」
「子供の時から持病があって、激しい運動は控えてることくらいしか聞いてなかった。そこには陽葵もあまり触れてほしくなさそうだったから、深く詮索することはしなかったし。私といる時は発作とか辛そうな素振りは一度も見なかったから。だからお母さんから重い心臓病って知らされたときはすごくショックだった」
春香ちゃんはやりきれない表情を浮かべ、俯き唇を噛みしめた。
「何で本当のこと教えてくれなかったんだろう、陽葵にとって私はそれくらいの存在だったのかな、とか最初はそんなふうに思ってた。でもね、病室に入った時に私の顔見た陽葵がね、本当に申し訳なさそうに『ごめんね』って言ったの。その瞬間、自分のことが恥ずかしくて情けなくなった。何で教えてくれなかったんだろうじゃなくて、何で気づいてあげられなかったんだろうって。ずっとずっと私と出会う前から苦しんできたのは陽葵じゃん。ごめんねって謝らなきゃいけないのは私のほうなのに……」
春香ちゃんの頬を涙が伝う。
「陽葵はね、いつも私のしたいことを優先してくれて、文句も言わず一緒に付き合ってくれて。家の事で悩んだりむしゃくしゃしてる時もずっと気の済むまで話を聞いてくれてた。逆に陽葵が私に悩みを打ち明けることはなかった。本当は誰よりも悩み苦しんで、周りの支えが欲しかったはずなのに。それで、どこかサバサバしてるというか、冷めてるなって感じることもあった。それをバカな自分は、もしかしたら私といてもあまり楽しくないのかなとか、時々思ってて。そうやっていつも自分の事しか考えてなくて。今ほど自分にムカついてることはないよ」
「春香ちゃんが自分を責める必要なんてないよ。陽葵が春香ちゃんに救われてた部分はたくさんあると思う。だからそんな風に考えちゃダメだよ」
春香ちゃんは黙って首を振る。僕は上着のポケットからハンカチを取り出して差し出した。
「ごめんね私のことばかりしゃべって。蒼くんを呼んだのはお願いがあったから」
涙を拭い、一呼吸おいて春香ちゃんが切り出す。
「陽葵から蒼くんとのことも聞いた。病室でとても酷いこと言ったって。陽葵すごく後悔してた。具体的に何て言ったのかはわからないけど、それは絶対陽葵の本心じゃないの。陽葵は難病を抱えてるけど強い子だって、私はこれまで思ってたけど、そうじゃなかった。人よりもハンデを背負ってる自分を必死に取り繕って、気丈に見せてただけなんだって。でも蒼くんには誰よりも弱い自分を出せるんだと思う。だからお願いわかってあげて」
「……わかってる、陽葵の本当の言葉じゃないって。だから怒ってなんかないよ。病気だって知って、でも何にもできない自分がいて。何かあるはずのに、考えても考えても答えが出なくて。そんな自分が情けなくて、どうしようもなく無力で、ただただ自分に絶望してるだけで……」
言いながらそれでも彼女の本当の苦しみなんて、自分はこれっぽっちも理解できてないことに胸が締め付けられる。
「さっき陽葵はいつもどこか冷めてる感じがあったって言ったでしょ?人間関係もそうで、自分から積極的に人と深く関わり合いを持つことを、避けてるように見える部分もあって。あんなに可愛いのに彼氏も作ろうとしたことないの。前にね、私が元カレに振られて荒れた挙句、ひどく酔っぱらった時があって。付き合ってくれた陽葵が親身に慰めてくれたんだけど。落ち着いた後私が、『陽葵がもし失恋したら何時間でも話聞くからね』って言ったの。そしたら陽葵、『私は春香がそばにいてくれればそれでいいし、誰かを好きになる資格なんてないから大丈夫』って、そう言った。その時は自分のことでいっぱいいっぱいだったし、失恋したばかりの私に気を遣ってくれたのかとも思ったけど違ってた。病気のせいでそういう普通にみんながしてきたことを諦めてきたんだよ。そんなの辛すぎるよね……」
春香ちゃんの声が震える。手渡したハンカチを目に当て、口元をギュっと閉める。僕はじっと次の言葉を待った。
「でもね、陽葵少し変わったと思う。前よりも言葉とか表情に温度を感じるっていうか。今までは生きることに後ろ向きな姿勢だったのかもしれない。でも今は少しずつ前向きになり始めてるんじゃないかな。そうなってるのはきっと、蒼くんと出会ったことが大きいんだと思う。だから蒼くんこそ自分を責めないで。蒼くんにしか出来ないことは必ずあるよ。これからも陽葵の支えになってあげて」
僕に出来ること。陽葵が今一番望むことはなんだろう。話をしてくれたとこに感謝して、春香ちゃんと別れた後もずっとそのことを考え続けた。
西の空が青から橙色へ綺麗なグラデーションへと染まり、シャツの上から当たる風が冷たく肌寒さを感じる。歩いていると後ろから救急車のサイレンが聞こえてきて、段々とボリュームを増しながら近づいてきた。
僕は遊園地で陽葵が倒れたときのことを思い出す。いくら呼び掛けても無反応な陽葵。何もできない自分の無力さに打ちひしがれ、見守ることしかできなかった。
先日の春香ちゃんの言葉、僕にしかできない事。未だにそれがなにか答えは出てない。だけど、ちゃんと陽葵と向き合おうと思った。だからまたここに来る決心をした。
再び彼女のいる病室の前に立つ。正直陽葵に会うことが怖かった。でもそれ以上にまた会いたい、何でもいいから傍で寄り添っていたいという気持ちのほうが強かった。
大きく息を吐いてゆっくりと扉を開けた。陽葵はベッドの上で上体を起こし、窓の外を眺めていた。扉の開く音に気付き、顔をこちらに向ける。
「今日の夕焼けすごい綺麗」
穏やかな口調で陽葵が言った。
「うん、そうだね。思わず撮りたくなるくらいに」
僕はカメラのシャッターを押す仕草をする。
「今日は持ってないんだね」
「最近あまり撮ってないかも」
しばしの沈黙が流れる。再び窓の外に顏を向けた陽葵が言う。
「もう来なくていいって言ったじゃん」
「……うん。気が付いたら病院に足が向かってた」
僕は扉の前に立ったまま答える。
「何それ。心臓の病気にでもかかった?」
こちらを向き少しだけおどけた表情を見せる陽葵。僕は言葉を返せずに、下を向いてしまう。
「そこは何か返してよ。それはお前だろ、とか身近で二人もなってたまるか、とかなんかあるでしょ」
僕は胸が詰まる思いだったが、真っすぐ前を向き陽葵の方へ近づいた。
「俺は医者でもないし、特別な力を持ってるわけでもない。極平凡な大学生だから、この前陽葵に言われたように、助けることも苦しみから救うことも出来ないと思う。それでも何か俺にも出来ることがあるはずだって思ってずっと考えたけど、結局どうしていいかわからずじまいだった。答えが出ないままノコノコと現れて、何しに来たんだよって感じだけど……何でもいい、俺に出来ることをさせてほしい」
陽葵はじっと僕を見つめている。そして視線を外すと俯いてしばらく黙ってから顔を上げた。
「それは同情?」
「……わからない。もしかしたらそうかもしれない。でも、確かなのは陽葵にはこれから先も生きててほしい」
「何で蒼がそんなこと思うの?」
「……」
僕が何も答えずにいると、陽葵が続けた。
「蒼はみんなに優しいね。こんな死にかけの私にも。あ、死にかけだから余計になのか」
陽葵が無理に笑顔を作り、黙ってまた窓の方を見やる。
「俺が写真を始めたきっかけはね、父さんなんだ」
「お父さんも写真をやってるの?」
「ううん。それにもう父さんは亡くなっていないんだ。震災の時にね。突然のことで当時は自分の感情がよくわからなかった」
陽葵はじっと僕の話を聞いていた。
「初めはいつもの食卓に父さんが座っていないことが、悲しいというより不思議だった。でも友達が両親といる姿を目にする度に、とても暗い気持ちになった。それから1年、2年と過ぎていくうちに、段々と父さんのいない日常に慣れていった。ある日ね、家族の会話の中で父さんの話になって。俺その時父さんの顔がうまく思い出せなくなってた。あれ、父さんってどんな目と鼻だったっけ?どんな風に笑ってたっけって。すごく悲しくて怖くなった。ああ、俺は大切な家族のことも忘れていってしまうのかって。それから写真を撮るようになった。だから、上手く言えないけど、大切な人たちには元気でいてほしい。生きることをどうか諦めないでほしい」
静かに話を聞いていた陽葵が口を開く。
「蒼にとって私は大切な人なの?」
僕の目を真っすぐ見つめ、陽葵が問いかける。
「うん。俺の友達はみんな大切な人だよ」
陽葵は僕から目を逸らし、窓の方に顔を向ける。
「ねえ、西日が眩しいからカーテン閉めてくれる?」
「うん」
僕は窓際に移動する。
「ていうか、ちょっと恋のいろは教えたら、すっかり懐いちゃったわけだ」
「人をペットみたいに言うんじゃないよ」
カーテンを閉めながらツッコむと、後ろからクスっと小さな笑い声が聞こえる。
「あのさ、さっき俺に出来ることを、って言ってたでしょ?」
「うん」
「なら一つお願いしていい?」
「なに?」
僕は陽葵の方を振り返る聞く。
「死者の日に連れてって」
「前に話してたメキシコの祝祭のこと?」
「そう」
「いいよ、病気が良くなったら行こうよ」
「ううん、今年行きたいの」
陽葵は真剣な眼差しで僕を見る。
「でもその体じゃ……」
「私の為に出来ることはしてくれるんじゃないの?それに遊園地の時に何でも言うこと聞いてくれるって言ったよね?」
「そうだけど……」
「じゃあ連れてって」
きっと僕は間違っている。彼女がどんな思いでその言葉を口にしてるかわかっていても、全力で止めるべきだ。
それでも彼女の気持ちを尊重してあげたかった。誰にどれだけ責められようとも、僕は陽葵のその思いを真っすぐ受け止めたかった。
「わかった。行こう」