願いへ向かうゆり戻しの中にいる
昨日で1つ、継続のセッションが完了した。ライフコーチとして活動する私は、基本的に月に1回のコーチングセッションを受けている。
今回伴走いただいていたコーチは、12月に見たツイートとnoteに惹かれてお願いした。もともと知っていた方だったけど、直接セッションを受けることは考えなかったのに、この2つによってす〜っと吸い寄せられてお願いしていたコーチだった。
私の直感的なところをもっと受けとりたい、自分を自分が知っている範囲にとどめず変化をしたい。そんなことをテーマとして1月から受けたセッションが、昨日8月6日に完了した。完了したいまは、私は確かに変化をしたけど、変化によるゆり戻し、試しの期間にいるのだと思う。本当にそれでいいの?と、何かによって聞かれている。
セッション中に言葉になったのが、「私はもっと伝えたい」ということだった。何を伝えたいかといえば、相手の方の本心の声や、使命のようなこと。私がそれを受けとって、伝えたいということだった。
たとえば私は、自分の使命とは何なのだろう? と、ずっと考えながら生きている。私は何のためにこの世に生まれたのだろう、何に命を燃やすべきなのだろうと考え続けている。
私の使命というものを、私は直感から受けとりたい。言い換えれば、思考して計画して生きるみたいなことじゃなくて、自然でスピリチュアルに、あらがわず流れに乗って生きたい。
でも、この世で直感を受けとること、思考的に生きないことは本当に難しい。だって、それがよしとされて、私は30年も生きてきた。前職で営業職やマネジメント職をしていた私は、常に営業計画やマネジメントの計画を聞かれたし、それを持って行動している人が褒められた。
私たちは知らず知らずのうちに、直感や心の声を聞かないように生かされている。これって本来はすごく不自然なこと。現代の社会になって、計画して管理されている私たちは、思考で生きることが当たり前になっているかもしれない。でも、人間が生き物であり野生に自然で生きてきたことを考えれば、いまの在り方はすごく不自然だと思う。
この考えに立つと、私はもっと自然に生きたい。スピリチュアル的に暮らすとは、自然であることだと最近知った。心の声を聞く余白を持ったり、加工品ではなく自然な食材を食べたり。これも私たちにとって自然なこと。あと、たとえば天体の影響も、「得体の知れない何か」ではなく「ある」のだから、それを知って自然に生きたい。
こう考えながら、私は誰かが自然に生きるためのメッセージを、伝えて生きたいと願っているのだと気がついた。「あなたの本心はこう言っているように聞こえるよ」と通訳をしたり、ホロスコープを読んで生まれる前に決めてきたことをたどったり。
「今年で33歳の私が、急にここで何を言っているのだ」と言う私がいる。そんなことのできる人は、しかも私よりはるかに上手にできる人がもうたくさんいるのに。なぜ経験の浅いあなたが、それを使命として背負うのと。あなたは圧倒的に経験不足で、力不足でしょうと。
なぜこれを私が使命として背負おうとしているのかなんて、私にも正直わからない。すでに年齢としても遅い、もしかしたら才能も人よりないかもしれないけれど、でもこれがいまの私の願いなんだよなぁと。
けど、考えてみたら、心の声を聞いて渡すことは、すでにもうコーチングでやっている。私のやっているコーチングとは、私に見えたり聞こえたりする、クライアントの本心の声を届けることなんだなぁと、最近特に意識的になってきた。
本心の声のように聞こえるものを、クライアントのみなさんにお伝えすると、みなさんの生き方がどんどん変わる。私のクライアントのみなさんって、ご一緒しているうちに何かしらの社会のしがらみから抜ける方が多いと思っていて、コーチングの力とはすごいなと他人ごとに思っていたけれど、もしかしたらこれは私のコーチングのらしさなのかもと気がついた。
コーチングでもある程度は十分に機能していたと思うけれど、もっとメッセージを伝える方法として、相手の方のことを明らかにする手法として、たどり着いたのが占星術だった。ホロスコープが教えてくれることは興味深い。
こうして私は、またひとつ自分の願いを叶えるルートに乗った。乗ったことは大きな変化、だけど大きな変化のなかで、私はゆり戻しに悩まされているようで。
使命を知って生きることは、私自身が願ってきたテーマ。それを私は、もちろん当事者としても続けるけれど、今度は伝える側にもなりたいのだなぁと。
でも、これまでとは違う手法を取り入れて深めることに、たぶん私は恐れがある。あと単純に、それってお金になるの? あなたはもっとお金を得て、豊かに生きたいんじゃないの? そんな感覚的なことをやってていいの? とか言う私もいるな。
私をゆり戻させる声は、1つではないのだろうなぁ。でも、ここを超えていかないことには私の願いは叶わない。叶わなくても生きてはいられるだろうけど、願いを叶えない人生は私にとってはつまらない。
となれば、やっぱりこのゆり戻しは、超えていく必要がある。私が私を信じて、次の道に慣れるしかない。