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#人生シェア会 レールを降りてあり方を決め始めた私たち編を開催したのでちょこっと内容を公開してみる

7月24日に13回目の人生シェア会を開催しました。この記事はシェア会のなかで私が話したことをまとめる記事です。

人生をシェアすることは豊か。人生で一番つらかったとき、私は人生の少し先をいく方々のエッセイに救われていました。だから私の人生も定期的にシェアをして、みなさんと分かち合いたい思いがあります。

今回のゲストは、私が主催する対話コミュニティ #カナエルバ の元住人・お皿さん。いまはイギリスのブライトンに住みながら、イラストを描かれています。

今回のテーマは、「レールを降りてあり方を決め始めた私たち編」。抽象的かもしれないけれど、女性としてこの社会で生き残ることに奮闘した私たちの、大切な人生の話です。あなたと共有できると嬉しいです。

▲当日の記念撮影

▼参加くださったみなさんのツイートをお借りしました🙇🏻



▼前回のシェア会

前回の記事をうっかり書いてないことに気がついたので、書いたら更新します!

#人生シェア会 レールを降りてあり方を決め始めた私たち編

▲お皿さんが作ってくださったバナー

今回の私のシェアは、これまでに乗ってきたレールのこと。32年生きて、いろんなレールに乗りました。

当日使う資料を作成し終える頃に言葉になったのが、レールには実は自分で選択して乗ってきたということと、私にとってのレールを降りるとは、誰かにとっての都合のいい生き方を辞めることなのだろうということ。

そしてレールとはそもそも何だったかといえば、自分の価値を証明してくれそうな、一般的に世の中で認められるような何かです。

そんなことをここに書きます。

▼自己紹介

まずは基本的な私のことを。

高知県の出身、3人兄弟の長子です。いまはドイツのベルリンに住んでいて、働き方はフリーランスを選択しています。

いまでこそ働き方・暮らし方を自分らしく選択ができるけど、これまでの私は、社会にあるレール=これを選択すればまぁ認められるだろうみたいなものに固執していました。

中学受験、学生生活、恋人、大学受験、仕事、役職……。大きく分ければこんな感じのものです。


▼レールに乗っていた頃の私

私がレールというものを選択し始めたのはいつだろう? とたどったら、小学生までたどり着きました。

小学生の頃の私は、同級生が40人という大きさの田舎の小学校に通っていて、すごく恥ずかしいけれど「自分は優れている」なんていう思いを持っていました。

優れている私だから、人の前に立ったりするのは普通。友人が中学受験をすると聞けば、私もする!と手をあげる。

しかもその学校には奇跡的に受かってしまって、いいか悪いか、毎日車とJRと自転車を乗り継いで、市内の学校まで通うことになります。


中学での私は、それはもうすぐに落ちこぼれました。成績は下から数えたほうが早いし、人の前に立つなんてことはなくなって、目立たないようにスクールカーストの真ん中くらいで過ごしていたと思います。

その生活でもやっぱり何か確かなものがほしくなって、「彼氏」という存在を手にしました。常に好きな人がいて、うまくいけば彼氏がいる状態。かといって恋愛が下手で、付き合うのは告白された人とだけ。

それでも彼氏という存在がいれば、自分の価値が認められるような気持ちになって、「彼氏のいる女の子」のレールには乗り続けていました。それはもう、つい数年前まで。

性被害を受けるという大きな衝撃と出会うまでは、私の価値を証明してくれるもの=男性という価値観で生きていました。


高校生になってもう1つ手に入れようとしたのが、国立大学に通うというレールです。でもこれは受験に失敗したので、関西の私立大学に通うことに。

いま思えばこの大学での体験はすごく大きかったし、「失敗」だなんて人生にはないといまの私なら言えるけれど、当時の私のは十分に大きな失敗でした。

その後、大学では「就活に有利」と聞いて体育会に入ったり、ひょんなことから体育会の生徒会組織に入ったり。その時点での私が手に入れられる、一番大きなレールに乗りました。

大学生活を活発に過ごしているようで、このレールに乗る動機はただ「認められたい」だけ。そんなわけで、レールには乗っかってみたけれど、何も成し遂げられたことはなく。基本的には苦しい4年間を過ごします。

一方で、大学生活の集大成となる「就活」というレールにはどうにも合わず乗り切れませんでした。だけど、なんとも皮肉というか、体育会の生徒会組織にいたことが評価されて、某大手企業に就職が決まったのでした。


就職先は、田舎に住むうちのおばあちゃんたちでも「あいちゃんの会社、CMで見たよ!」なんて言う大企業。大学受験は希望通りにいかなかったけど、大学生の4年間を経て、「みんなに認められる企業の社員」というレールには乗れました。

契約社員として入社し、予定では満了とともに退職、ドイツへ来る予定でした。それが、上司に誘われたことが嬉しく、正社員というレールに乗ることにして、その後は出世というレールにも乗ることになります。

でも、バリバリの営業企業であるこの会社では、「男性」か「男性的な女性」が認められます。私は自然と、「女性でも意思があって強い」のようなレールにも乗ることを選択しました。(なれなかったけど。)

……が、社会人7年目で心を壊してしまい、退職を選んでいまに至ります。


▼自分で決め始めたあり方

これまでの人生で、私が一度選択したのちに手放したレールはこんなものです。

30歳あたりが、私にとっては大きな分岐点でした。私に見えていた世界がいかに小さくて、いかに少ない道しか見えていなかったかがわかりました。

30歳を過ぎたあたりから、レールに乗らずとも私は存在していていいと思えるようになったし、自分で自分を満たして生きるようになりました。


そんなわけで、いまの私はこんなふうにあり方を決め始めています。

私の生き方は世の中の王道ではないかもしれないけれど、レールを手放しても私は幸せです。というかむしろ、レールをいくつも握りしめていた過去の私よりも幸せです。

自分で自分の価値を認められなかったとき、自分の価値を示すために、私にはレールが必要でした。でも、自分の価値を感じられるようになった私には、もう一般的なレールは必要ありません。とても自由になりました。


▼いまの私/お知らせ

あり方を決め始めたいまの私。じゃあ今は何の不安もなくいられるかといえば、もちろんそんなことはありません。人間として生まれてきて32年、まだまだこの世で出会って体験していくことがあります。

それでも最近の私は、私とは何を大事にして生きるのか、何に命を燃やして生きるのかに意識的になってきました。

家族、恋人、自分との時間を大切に。命を燃やすのは、大切なクライアントのみなさんが自分らしい生き方に還っていくこと。そんなふうに思っています。

だけどこれは、あくまでイマココの私の考え。また人生で体験を増やしながら、、テーマが変わっていくことも自分に許しています。


と、こんなお話を今回の人生シェア会ではしました。ここまで5か月連続で開催したシェア会も、今回が一旦の最後。お休みに入る前の最後に、私が持っていた気持ちはこんなものです。

日本と海外に暮らしてみて、私たちは自分が暮らしてきた国にとって、いかに都合よく教育されすぎているかということを考えるようになりました。

基本的に自分に自信がないとされる、日本の女性である私たち。そんな自分の価値を示してくれるものとして、私はいくつかのレールを選んで乗っていたのだろうと思います。

でも、レールを降りて、自分に都合よく生きたっていい。この場に触れてくださったあなたも、あなたの人生を自分らしく生きてと思っています。

私はライフコーチをしています。私の活動で何かお力になれることがあったら、いつでも連絡をください☺️


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aimi💐ドイツに移住したコーチ
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️