のびのびばplus9回目
8月は、引き続き、私からのシェルボーン療育ムーブメントの体験と、別の方からの療育ムーブメントのシェア。
前者では、ペアで、3種の関係性を、動きでもって体験する。比較する。
療育としては「他者への信頼」や「自信の獲得」を目的としているが、そこに辿り着くまでに、さまざまな繊細な道筋があることを、その後の振り返りの時間で、参加者と共有する。そこで出た中で、特に印象的だったのは、合気道経験者の「身体の暴力性」についてだ。ややもすると、ムーブメントやタッチなど、体が触れ合うことを前提とするワークを指導する者は、「当たり前」に、いやもう少しいうと「これは大切なことだから」と、触られることに人一倍気を使っている当人のことなどお構いなしに「触れる」。
そこには何か「危うい」関係性が生まれてしまうという話があった。
触れられた人に、例えば「不快や恐怖」が生まれるということに、指導者となる側の者は、目をそらさないということ。そこを素通りしないということ。
からだの負の感情を掬い取ることをも、丁寧に行い、うやむやにしないことは、ムーブメントワークの可能性を諦めないということにつながるのだろうか。自戒をこめて、問い続けたい。
ちなみに、「触れる」の経験値が増えると、触れられたその瞬間に、相手を負かしたい、支配したいというような、相手の欲のようなものだったり、全くもって無私なピュアな動きそのものであったり、勿論、性的な匂いのするものまで、微弱に伝わってくることがある。改めて、相手を感知する皮膚感覚は、大変大切な能力だという気がしてならない。からだでわかるということ。触覚で感じることの効用。
これは、別の方が提示してくださった、モノを媒介としたワークで、その関係性を、あえてモノで「試す」ことができることも、改めて確認することができた。
療育というまなざしから、当人にとって、何が大切かを炙り出すことが、意外な方向からやってくることがある。
引き続き、この場で掘り下げていきたいと思う。
次回は、9/13(金)12時〜、豊中市内にて。