Eme suzuki(からだのアトリエ バオバヴ )

おどったり、からだを整えるワークショップを行なったり、子ども達とヨガをしたり…… 様々な身体表現にまつわることをライフワークとしています。noteでは、療育に関するからだの勉強会やWSのレポート、観察日誌等を掲載しています。(参照HP:baobab-karada.com)

Eme suzuki(からだのアトリエ バオバヴ )

おどったり、からだを整えるワークショップを行なったり、子ども達とヨガをしたり…… 様々な身体表現にまつわることをライフワークとしています。noteでは、療育に関するからだの勉強会やWSのレポート、観察日誌等を掲載しています。(参照HP:baobab-karada.com)

最近の記事

療育にまつわる身体へのまなざし vol.55

10月から 「ニューロマイノリティ」の第9章を読み始める。「内側から人を理解するということ」の、今回は「1、二分法的な理解への反省」の項。参加者同士の対話の中で、「大人から子どもへ、コトバを浴びせすぎている、説明しすぎている気がする」といった意見が出たことが印象的だった。私も放課後デイで、常々感じていることの1つである。ダンサーという、からだで理解することを重ねてきた身としては、この言葉への重きが、どこからくるのだろう、とずっと考えている。 筆者は、言葉が、「実際の具体的な世

    • のびのびばplus11

      10月の前半は、空間認識を育む動きをシェア。ある限られたスペースを、何度も歩数を変えて行き来しているうちに、からだが馴染んでくるということ。またそこにイメージの力を使って、さまざまにからだを動かしていると、その空間とからだが仲良くなる感覚が出てくるから不思議だ。 後半は、新聞紙を使ったワークへ。モノを使うことで、からだとモノとの距離感が明確になったり、単純に、ワクワク度が増すというところは、繰り返しているが、療育としてうまく取り入れていきたいといつも感じるところだ。 最後

      • のびのびばplus 10回目

        9月は、「自己認識」としての動きをまずシェア。 膝、尻、体幹、など、認識しにくいとされている辺りを、意識してみる。 もう1つは、お手玉やフープを使ってのワーク。 先月に引き続き、モノがあることで、楽しくなったり、意識しにくい身体の部位が、自然と意識できるようになることは、子どもたちとワークをする際は、大いに活用できそうなところだ。 療育のまなざしを、ムーブメントと共に体験していくと、動くことで、自然と積み上がっていく「なにか」の大切さを想う。一方で、ムーブメントそのものは

        • 療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.58

          9月のバオバヴカフェにて、「ニューロマイノリティ」(横道誠・青山誠、編著)の第8章を読み終える。日本の「ダイバーシティ&インクルージョンを進める」とは…ということへ、最終的につながる内容だった。なかなか大きな内容だとは思うが、参加者は、保育現場、学童現場での事例をあげ、自身の意見を伝えてくださった。最近のカフェは、この2つの現場に加えて、私自身が関わっている放課後等デイサービスの現場の話も登場する。どの現場も、「ダイバーシティ」は、意識として浸透しつつも、「インクルージョン」

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.57

          今回も、「ニューロマイノリティ」(横道誠、青山誠編著)の8章を皆で読んでいる。発達特性を発達障害にしてしまうのが、支援者の関わり次第ということになれば、これはかなりの問題提起であろう、というあたりが中心の話題に…。 この本には副題があり、「発達障害の子どもたちを内側から理解する」とある。 「内側」から理解する、とは、どういうことだろう。 今回、「たすかりあう」、「存在をどうみるか、まなざすのか」…など、 当事者、支援者という関係性に揺さぶりをかける言語が、いくつか参加者から

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.57

          のびのびばplus9回目

          8月は、引き続き、私からのシェルボーン療育ムーブメントの体験と、別の方からの療育ムーブメントのシェア。 前者では、ペアで、3種の関係性を、動きでもって体験する。比較する。 療育としては「他者への信頼」や「自信の獲得」を目的としているが、そこに辿り着くまでに、さまざまな繊細な道筋があることを、その後の振り返りの時間で、参加者と共有する。そこで出た中で、特に印象的だったのは、合気道経験者の「身体の暴力性」についてだ。ややもすると、ムーブメントやタッチなど、体が触れ合うことを前提と

          のびのびばplus8回目

          6月の「のびのびばplus」は、参加して2回目の方と、じっくり取り組む内容に、、、。療育ムーヴメントの中でも、「自己認識」に関する部分を、1時間程行う。「わたし」を確かめていく作業は、「自己効力感」に繋がっていくことを実感するシーンがいくつか生まれる。自分が生きていく場(からだ)を整えることで、そのからだが在る空間を大切にしようという意識が生まれてくることに気づいていく。そして、同じ空間にいる相手と近づきすぎず、遠すぎず、の距離感を掴む、からだの感受性を育むワークにも、納得し

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.56

          7月の「バオバヴカフェ」は、引き続き、「ニューロマイノリティ」(横道誠・青山誠 編著)と、「愛の労働あるいは依存とケアの正義論」(エヴァ・キティ・フェダー著)を読む。当初は、それぞれ分けて話を進めていたが、今回は、話題が交わる部分もいくつかあり、この共有感は、なんだろう、、、 両書物に共通することとして、外側からすると、非常にわかりにくい、見過ごされやすい、繊細な問題を扱っているところだろうか。そこを丁寧に丁寧に言語化している印象がある。 それらについて「はら落ちさせる」戦略

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.56

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.55

          6月のバオバヴカフェも、引き続き、2冊の書物を読む。 「ニューロマイノリティ」(横道誠、青山誠 編著、北大路書房)を、第1章から読み始めている。「定型発達に近づけようとする発想の呪縛」、というところは、このカフェでさまざまな現場の話を共有するたびに出てくる内容と近しく、その呪縛がどこからくるのか…と、参加者と共有しながら、やはり今回もそれは、ふわっとしていて、発達に特性のある人間のことを、よく「知らない」「わからない」、そしてそのまま、「定型発達に近づけよう(としておけばよい

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.55

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.54

          5月のバオバヴカフェ(オンライン)。今回から、新しい本(「ニューロマイノリティ」横道誠・青山誠 編著)を読んでいくための、導入部を、皆でシェア。目次だったり、あとがきだったり…。 バオバヴカフェを次回で50回目を迎えるにあたり、これまでこのカフェで扱ってきたことの総括のような感触をこの本に感じ、選んでみたところ、継続参加の方々は、興味を持って下さったようで、次回からが楽しみでもある。 キティの書物も、引き続き取り組んでいる。私を含めた「みんな」の固定観念のようなものを解きほ

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.54

          のびのびばplus 7回目

          まず、1つ目の療育ムーブメントの体験。 初参加の方もおられ、特に人間関係の組み合わせを、動きで体験することは新鮮だったようで、1つ1つ納得して動くことの大切さを確認。 2つ目は道具を使うムーブメント。シンプルにリボンを使う楽しさが、テーマが変わることで、急に難しく感じられる体験。 その後、言葉とからだのワークを行い、終了。 動いた後の振り返りでは、実感したからこそ、出てくる「面白さ」であったり、「難しさ」であったり。 参加者から出た「肉(にく)がここにあるということ」

          のびのびばplus 6回目

          今回も、療育ムーヴメントを、2種、体験しながら、からだに起こるさまざまなことをシェアしていった。 最初に体験した療育ムーブメントは、身体認識、空間認識…と、動きの区分が明確であり、それぞれのからだに合わせて行うことができる類のもので、どんなからだの持ち主でも、それぞれに合わせた取り組みができるようなものであったし、その分、各自から出てくる動きを拡げていくスキルが、ファシリテーターには大切だということを、改めて認識する内容となった。 後者は、モノを使うことから始まり、そのモ

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.53

          今月のバオバヴカフェでは、継続参加者の花沙さん主導で、エヴァ・フェダー・キティの「愛の労働あるいは依存とケアの正義論」を読み始める。長いタイトルだが、ここに全てが詰まっているのでは、と思わされるスタート内容だった。特に前半の「愛の労働」ということ。 (詳しくは、以下の花沙さんの「雑感」を参照) 参加者の皆さんの気づきや意見も秀逸で、それぞれの立ち位置から、どういう方向に今後、落としどころを見つけていけるか、楽しみなスタートでもあったように思う。 「依存労働」という、はじめて

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.53

          療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.52

          3月のバオバヴカフェは、「アートとケア」の最終回。自身も引きこもり経験のある、渡辺篤さんの章を読む。 「想像しえない他者をつなぐ」の章。この方の、優れたプロジェクト「同じ月を見た日」について話す。ちょうどコロナ禍の作品ということで、みんなが引きこもり状態になった、当事者意識を共有しやすくなった、とされる時の作品。人々の「月を見る」という振る舞いを写真にして積み上げていくこと。プロセスが作品のようで、ケアとしての行為のようで、いい意味での曖昧さやゆるさの魅力をシェアする。 「記

          療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.52

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.51

          2月のバオバヴカフェは、「育児、家事、エッセンシャルワークなどの、不可視化されやすい労働に潜む政治性やジェンダー規範、倫理観に手芸の技法で光を当ててきた」(美術手帖「ケアの思想とアート」2022、vol.74号より)「碓井ゆい」さんの章を読む。話題の中心として、「ケアと女性性」に行き着く感触だった。「女性に生理があることは大きいのでは」「(誰でも)ケアをしたいと思えるようになることが大切なのでは」という意見が出たり、また、ケアということの対極として、以前にも登場した「ケアレス

          療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.51

          療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.50

          1月のバオバヴカフェの前半では、「ケア」という言葉からイメージすることをシェアしたりと、身近なところから、「ケア」にまつわる言葉をやりとりする。「子育て」「介護」、、 そこから、テキスト(今回は、美術手帖74号「「ケア」をを起点に考える新しい社会のかたち」の章)を読み進めていく。 「ケアについて考えようとすると、同時に格差や人種、インターセクショナリティの問題も関わってくる(杉田敦) 「……資本主義にさえも抵抗できる可能性」(岡野八代) 「依存関係は必ず第三者を必要とする」(

          療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.50