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生きるということ〜南海トラフ地震が起きると言われている地域に住む小児がん経験者が東日本大震災震災遺構・伝承館に訪れて〜
私は中学の頃からあることをよく悩むようになった。
"なぜ私は生きているのか・生き残ったのか?"
小児がんを経験したのはもっともっと小さい頃の話で中学時代に小児がんを経験した訳では無いが、なぜか中学時代からよくそんな事を考えるようになっていった。
不器用な自分が、本当に生きる道を選ばれてよかったのか、今を生きたいと願いながら亡くなった方々の方がよっぽど今を大切に生きたのではないか。
中学時代、ずっとそんなことを悶々と考えていた。
考えすぎて体調悪くなることもあった。
その時ほどではないが、同年代や若い方が亡くなったニュースを見ると体調が悪くなることが今でもある。
中学卒業から10年以上経った今でも、この傷が癒えてない自分の心弱さに落胆したり、この傷を忘れてはいけないと葛藤していたりと過ごす日々。
だからこそ、生きてる理由・存在意義を必死に探したくなってしまう。
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しかし、最近その考え方が少しずつ変わってきた。
2024年の春に放送されていたドラマ 「ブルーモーメント」の中でこんなセリフがあった。
「ただただ、運が悪かった。残酷ですけど、それが唯一の答えです。」
災害遺児でもあるSDMのドライバー兼料理人の丸山ひかるの言葉である。
聞いた当初は、"運" たった1文字でそんな風に片付けられてしまうものなのかと悲しくなった。悲しくなったけれども、心になぜか残り続けている言葉でもあった。
今回訪れた東日本大震災震災遺構・伝承館で、この言葉の意味を知ることとなった。
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妹が通う大学のある東北へ実家から戻る途中、家族旅行で訪れた訪れた東日本大震災の伝承館・震災遺構。
自分で訪れてみたいとは思っていたのだが、"小児がん経験から20年以上時が経った今も葛藤が消えていない自分がいる。それだけ時が経っても消えない心の傷がある。多くの方の命が奪い去られた瞬間を目の当たりにしてきた震災を経験した方達はきっともっと大きな傷と向き合っている方もいるだろう。生きている罪悪感をを中学時代からずっと感じ、当事者にしか分からない痛みもあると悩み続けていたのに、その場所に当事者でもない私が震災遺構に訪れ、震災当事者でもないのに、震災そのものを知った気になってしまってもいいのだろうか。"
そんな葛藤が渦を巻いていた。
気仙沼にあった伝承館の中で貼られていた訪れていた方々が記したたくさんの言葉。
「今を大切に生きようと思いました。」
そんな言葉がたくさん貼られていた。
何だかありきたりな言葉に私は感じ、苦しくなった。
ここに訪れた何人が、本当の痛みを理解して未来に繋げるのだろうか。
"生きる大切さ"を感じているのなら、なぜ人間は身近な人と衝突を繰り返すのだろうか。
"死ね"と簡単に口に出すのだろうか。
怒りが生まれるのだろうか。
そんなことを考えている途中、以前行われた所属する防災ネットワークの講義の中で、先生が話していた言葉を思い出した。
「人間はね、忘れてしまう生き物だから。」
最近、母親と将来の話をするの中でちょっとした言い合いになることが多々あった。
小児がんを経験していない母が私の気持ちなんて分かるはずない、そう思っていたが、気仙沼にある伝承館で流れている被災者の言葉のビデオを見た母が泣いていた。
その涙を見て気付かされた。
人間誰しもが生きていると大切な事実に向き合っているのだ、でも毎日一緒にいる"あたりまえ"の環境になると、生きているという大切な"あたりまえ"を忘れてしまいがちになるのだと。
サバイバーズギルトとして、小児がん経験者として生きる素晴らしさを人よりも感じているつもりでいたが、私もそんな"あたりまえ"に呑まれていたのかもしれないと。
気仙沼の伝承館に貼られていた「今を大切に生きたいと思いました。」という言葉。
それは人間が人間らしく、生を全うしようと決めた誓いなのかもしれない。みんな"生の大切さ"は心の奥底で感じ取っているのかもしれない。そう考え方が変わった。
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生物には必ず死が訪れる。
分かってはいるけれど、日々の生活の中で"あたりまえ"を忘れてしまいがちになる。
この前、がんサバイバー交流会でもこんなことを言われた。
「私たち生かされたんだから、気にせず今を生きなきゃ!!」
確かにその通りである。
でも、生かされたことに意味や責任を持ちすぎると辛くなる。
それが今の私。そんな気がした。
生物には死が訪れる、そう分かってはいても実際ことがおこると上手く行動出来なかったりする、想像以上の傷が出来てしまうこともある。何か慣れない大きいことがあると慣れない事柄に対してパニックになる。
そして、そんな責任を感じて辛くなった時には、丸山ひかりが話していたように「ただただ運が悪かった。」「たまたま私は運に恵まれた。」
そう感じることが前を向けるキーワードになるのかもしれないと。
そう思うことで、がんサバイバー交流会で出会っていた人が話していたように、今を大切に前を向けるのかもしれないと。
誰かが亡くなるということは人生の大きい出来事の1つ。大きい出来事の1つではあるけれど、誰もが必ず経験する出来事の1つでもある。
阪神・淡路大震災や中越地震、東日本大震災の前にも大きい災害はあった。
そして、日本はその教訓を活かし、防災について考えてきた。でも、結果として東日本大震災では多くの方が亡くなった。
では、今を生きる私達はなにが出来るのか?
学び続けるしかないんだと思う。
震災遺構の中で語り部をされていた方が、こう繰り返し語っていた。
"最低限の知識が必要だと感じた。"
今回訪れることはできなかったが、YouTubeのある動画で大川小学校で亡くなった児童の遺族がこう話していた。
"次の被害を出さないために、私達は伝えていかなければいけないんだと思う。"
最初は、伝承館に関して複雑な思いを抱いていたが、今回訪れた震災遺構を通して、震災を学ぶことが出来た。"生きること" "あたりまえ"の大切さを再び噛み締めることができた。
そんな学びが出来たことが良かった。今を生きよう。と複雑な思いは消えていた。
*
私は現在絶賛就活中である。昨年は就活に向けてたくさん自己分析をしていたが、自己分析をしても医療福祉の仕事に就きたい。エンターテインメントを続けたい。という夢は変わらなかった。今回、訪れた震災遺構を通して、その理由もさらに明確になったように思う。
私は"人々に伝えられる仕事がしたいんだ。"と。
サバイバーズギルトである。生と死が絡んでるような思い問題だから、周囲に話したら重いと思われてしまう。だから、極力話さないようにしてきた。
だけど、私は私の弱さも大切に、後世に伝えられるようにしていきたい。同じ悩みを抱える人の少しでも力になれるように伝えていくしかない。"あたりまえ"を忘れさせないように、何かあった時に悲しむ人が少しでも減らせるように、私のような悲しむ人を減らしたいのであれば、私自身も伝えていくしかないんだ。そう感じた。
生き残り罪悪感、そのきっかけとなった傷があって生まれた大切な感情。
過去ばかり見つめてると思われるかもしれないが、私自身の傷を忘れずに、生と死という生物なら必ず一度は経験するであろう経験に寄り添っていきたい。
そう考えさせられた。
また時間があれば、伝承館に足を運びたい。
(写真は、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校)で撮影したものです。)