
ご飯派パン派論争 ~朝ご飯聖戦勃発~
ご飯好きな一人とパン好きな一人がいた。
二人は自分の好きな食べ物の話した。
ご飯の好きなところの話をした。パンの好きなところの話をした。
「私はご飯が好き!」
「私はパンが好き!」
「私はご飯の白いところが好き!」
「私はパンのふわふわしたところが好き!」
相手に理解してもらうためには、好き嫌いの感情的な理由だけではお互い意見が通らず平行線であった。
お互いのただの好きなところの話が、相手に理解してもらいたいがための主張に転じた。主張により論点が生まれた。
「ご飯って世界一おいしいよね」
「パンって世界一おいしいよね」
「!?」
「ご飯って朝ご飯に一番適しているよね」
「パンって朝ご飯に一番適しているよね」
「!?」
一方が好きの理由だけではなく、自分の主張の良い面と相手の悪い面を語りだした。
そして相手の否定のためのもっともらしい理由づけをするようになった。
これが、ご飯派とパン派の誕生である。
「パンって腹持ちが悪いから朝ご飯に食べるものじゃないよね」
「ご飯って炊くのも時間かかるし朝ご飯に向いていないよね」
「パンって太るよね」
「ご飯っておかずがなきゃ食べれないし面倒だよね」
通りすがりの第三者はこれに理解を示した。
個人の感情的な好き嫌いの表現は、主語が個人と癒着するため第三者の理解は得られにくい。
しかし、相手への論理的な否定表現は、主語が否定する対象と癒着するため、第三者の潜在的な意見と融和しやすく、第三者の理解が得られた。
また、論理的な否定表現の種類は、感情的な好き嫌いの表現方法よりも言語化がしやすく言葉の絶対数が多い。
そのため、効果的に多くの人に共感を生み当事者に仕立て上げられる。
論理的な否定表現により理解を示した第三者もパン派ご飯派論争の当事者に仕立て上げられた。
「面白い話をしているな」「僕はどっちだろう」
「私はご飯派だな」
「俺はパン派だな」
論理的な否定表現により、個人だったものが、それぞれが一つの小集団となった。
論理的な否定表現と自己正当化が自己肥大化を招いた。
「ご飯派が正しい、パン派は間違っている」
「パン派が正しい、ご飯派は間違っている」
「我々が正しい、奴らは間違っている」
より効率的な論理的他者否定と自己正当化を実現するために、
ご飯派パン対策部、ご飯派ご飯推進部が発足された。
ただのご飯派の一人が、ご飯派パン対策部部長となった。
これはさらなる自己肥大化と組織肥大化を招いた。
一定の自己肥大化を起こすと、自己正当化し相手を否定するには、より大きい集団となる必要があると錯覚した。
論理的な否定表現方法にもある程度の絶対数があり、その論理を理解できない人を新たに集団に入れることは難しい。
論理的な否定表現が排他的思想に転じた。
「ご飯を食べるのが神の使いだ」
「パンなんかを食べるのは悪魔だ」
「パンを食べないやつは劣等遺伝子だ」
「ご飯を食べるやつは人間じゃない」
多くの第三者はこれに興味を示した。
「劣等遺伝子にはなりたくない」
「俺は人間だ」
「僕は神の使いだ」
「我々で悪魔は滅ぼさなければいけない」
思想には感情が乗っかる。人間の誰もが持っているような不安や喜びにリーチする。ここでの主語は人間であり全人類に覆いかぶさる。不安や喜びにリーチした人はこの暴論から逃れることはできない。
また、集団の核は論理的にも固められており、感情的な思想に曲がりなりにも裏付けがされる。
本来のパン派ごはん派ではなく、その論理と思想に賛同するものも増えゆき、大きい潮流の反対合戦となっていく。
感情的思想により不安を駆られた、興味を持った第三者も当事者に仕立て上げられた。
論理的否定表現と感情的な排他的思想形成により、
小集団が大集団となった。
さらなる自己肥大を招いた。
「俺たちが正義だ。あいつらを滅ぼせ。」
思想から一定の自己肥大化を起こすと、相手を否定するためにはより強い個人が必要であると錯覚した。
人間の数には絶対数があり、全人類を主語とし、数の制圧が終わった状態では、集団の強さには強い個人が必要である。
「もうこれ以上ご飯派もパン派の人数も増えることはない。」
「ここから行われるのは我々が正義である証明だ。」
「言葉の強さでは相手が屈しないことが分かった。」
「我々の正しさの証明にはわかりやすい物理的強さを示すことが必要だ。」
論理と思想の曲がった展開により、思想による集団の強さと相手を物理的に打ち負かす強さを求めた。
思想による集団の強さと物理的強さの証明には、極論だが総力戦が選ばれた。
ご飯派聖戦部の発足
パン派聖戦部の発足
・
・
・
朝ご飯聖戦勃発 ~戦車・機関銃~
ご飯派VSパン派
お互いの総力戦の結果、ご飯派が勝利を治める。
人類は、ご飯派の物理的強さの証明により、一つの思想に治められた。
しかし、物理的強さの源流を辿っていくと、感情的な排他的思想を拵え、論理的な否定表現を身にまとい自己肥大化させた、ただ自分のことを理解してほしいという孤独から発せられた好き嫌いというのが本性である。
好き嫌いが生まれることは現象である。
思想でもなければ、論理でもない、真理でもない。正否は存在しない。
相手に無理やり共感してもらうものでもない。
好き嫌いの誕生を抑圧することは新たな反発は生む。
~数年後~
ご飯派統一の反発を起因する好き嫌いが生まれた。
新たな集団、過激シリアル派の登場である。
このシリアル派は純粋な好き嫌いから生まれた集団ではない。
物理的強さであるご飯派統一の時代が生んだ集団である。
シリアル派には純粋な好き嫌いは存在しない、強烈な相手批判を性質に持つ。シリアルの良さが重要ではなく、現体制ご飯派の打倒のために動く。
現体制への批判が目的のためご飯に対する、論理的な否定表現は必要としない。ご飯派へのヘイトと感情的な思想があれば十分である。
敗北したパン派の残党もシリアルが好きであろうとなかろうと、シリアル派の味方に付き戦争に備える。
そこには本来のパンが好きなだけであった個人はもう存在しない。
ご飯派もシリアル派の動きに備え物理的強さを高める。
そこには本来のご飯が好きなだけであった個人はもう存在しない。
物理的な強さを行使するだけの集団である。
第1次朝ご飯戦争勃発 ~電波兵器やミサイル、ジェット機~
ご飯派VSシリアル派
集団が強さを持ち、より破壊力のある武器の作成が進められた。
・
・
・
第2次朝ご飯戦争勃発 ~1発で制圧可能な爆弾の使用~
ご飯派VSパン派VSシリアル派
1発で制圧可能な爆弾が作られたことにより、戦力の強化が集団の力の必要性をなくす。
・
第1次朝ご飯紛争勃発 ~戦車・戦闘機~
ご飯派VSパン派VSシリアル派VSフルーツ派
集団の力が弱まり個人の力の台頭。
1発で制圧可能な爆弾の使用は、集団の力で維持していたもののため使用後再製作不可能であり使用もいづれ不可能となる。集団の力が弱まることにより、新しい武器開発は進まず現行の武器を使用する戦いとなる。
・
・
・
第n次朝ご飯紛争勃発 ~機関銃・拳銃~
ご飯派VSパン派VSシリアル派VS麺派VSフルーツ派VSご飯時々パン派VS何も食べない派・・・・・・・・・・
個人化が進み、大規模な武器の維持もままならなくなる。少人数でも扱える武器が重宝された。
・
・
・
第1次朝ご飯闘争勃発 ~拳銃~
ご飯派貴族VSご飯派中級VSパン派貴族VSパン派女中級VS・・・・・・・・
本来の朝ご飯論争ではない個人化も加わりさらなる個人化が進んでいく。
個人化が進むことにより集団による知識の蓄積が行われず、簡単に製作・使用可能な武器が重宝された。
・
・
・
第n次闘争勃発 ~刃物・弓矢~
貴族VS中級VS低級VS男VS女VSパン派男VSご飯派女VS・・・・・
集団による知識の蓄積が行われないことで、拳銃の使用も不可能となり、より身近なものの使用を好むようになる。
・
・
・
第n次喧嘩勃発 ~石とこん棒~
個人VS個人VS個人VS個人・・・・・・・・・・・・・・
個人の制圧だけのため拳銃や弓矢など知力の高いものの使用は必要とされず、石とこん棒で殴り合うようになった。
・
・
・
個人化が進みすぎた状態では、弱い個人は生存のために強い個人に隷属し自身の生存を確保する。個人の集まった小集団が形成される。
しかし、一度集団となるが個人が集まっただけの集団のため、他者と自分を繋げる強固な思想は生まれにくい。個人の目的が、個人としての独立が基礎にあるため、集団内で内乱が起こり自然解体されていく。
個人は自己が抑圧されるのを耐えきることはできない。
・
・
・
集団喧嘩
・
・
・
・
・
個人喧嘩
・
・
・
集団形成
・
・
・
集団喧嘩
・
・
個人喧嘩
・
・
集団形成
・
集団喧嘩
・
個人喧嘩
・
個人喧嘩
個人喧嘩
個人喧嘩
個人喧嘩
個人喧嘩
個人喧嘩
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・