マミチャジナイ とナナカマド

日々だらだらと考えています。

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  • The Cosmic Bums

    私的解釈の西洋思想と東洋思想の未知との遭遇を物語にしようと思い書き始めました。母なる惑星が滅亡する時、あなたの自己はどこに存在するのか?

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家族・共同体は、どの主義が望ましいのか?

結婚は国と国とが合わさること。家族は国や共同体と言い表されるのをよく耳にする。 では、ある意味で国の最小単位とも言える家族は、どの主義が望ましいのだろうか?政治形態の、独裁主義、民主主義、経済の仕組みの、資本主義・社会共産主義。政治思想の、自由主義、その他のどの主義に属するだろうか? また、その他の理想の国=家族のあり方は存在するのだろうかを考えていく。 ここでの結論は、「これが理想の家族の形だ!」「○○主義以外ありえん!」というような提示とはなりません。 結論だけを求め

    • かっこいい・ダサい判断軸

      個人の行動・価値判断の軸が、従来の良い悪いといった善悪論や、道徳、法律への限界を感じる。 良い悪いという定義は相対的なものであり、絶対的な普遍的なものを法としているが、法そのものが国家を安定させる目的でつくられるものであって、国外へ出たらそれが適応されなくなる。 他国の多様な情報を簡単に得られ、国との往来が容易に可能な現代において国のルールというものを、機能させることが難しくなる。 法律や倫理が、絶対的なもの神や自然の法則から得られたものであれば、すべての国は同じ法律を持ち

      • これが正しいは、もうやめにしよう

        もういいって、飽きたよ

        • 直観の行動・個人という単位・時間の認識・認知基幹

          直観の行動 行動が結果を生む。 結果には責任が伴う。結果には、視点により必ず二面性が存在する。 全ての責任が予想できないまでも、良い結果のみを見るのではなく、視点を変え二面性を予想し、その視点からも責任をとる姿勢が必要である。 その時、責任を取りたくないがために受動的となるのは、結果のわかりきっているサイコロを降るかの如く、個人にとっては面白味のないものであり、他人にとっては当然のこととなる。 当然のことは不変と誤解され、サイコロの出目が理想と違うものであった時、他人と個人

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          8本

        記事

          現実→理想→虚構

          現実→理想→夢→虚構→現実→現実…          ↳  現実(虚構)→虚構→ 現実(虚構)→虚構→ … これらは一方向へ進んでいく。戻ることはない。螺旋していく場合はある。 虚構に身を浸せば浸すほど、現実を求めるようになる。 しかし、その現実が現実化された虚構であった場合、虚構であるが(自然法則にのっとってないが)故、現実化せず失敗する。 個人の恋愛と社会の供給を例に置く。 個人:社会: 現実で、あなたは現在付き合っている人がいなく、理想の彼氏彼女を求めている。理

          ”能動的”に愛の有る「相手のための選択」を行使すること。

          上記の記事では、愛の有る「相手のための選択」が豊かさを最大化するために効果的であるという結論に達した。 しかし、これを実践していくうえで、この選択というものも、2種類に分岐することに気が付いた。 ”能動的”であるか”受動的”であるかだ。 ”受動的” ”受動的”に愛の有る「相手のための選択肢」を行使することはパターン化することができれば容易い。 相手の言語や態度から発せられた信号を読み取り、望まれた行動をする。 利他に徹することで、豊かさを高めることは実現可能である。滅私奉

          ”能動的”に愛の有る「相手のための選択」を行使すること。

          「超」という複雑さ

          「超」って端的に上位互換という表し方でいいのだろうか?かなり複雑じゃねっていう話。 一般的に「超○○」というのは「○○」の上位互換とされる。 「やばい」よりやばいのが「超やばい」。 「うざい」よりうざいのが「超うざい」。 超サイヤ人は、サイヤ人を超えたサイヤ人である。 今より超えた状態を表すのが超だろう。 スーパーサイヤ人は戦闘力という指標が上がっているので超である。 この指標の軸は、それを観察する全ての人間の視点において統一されている。 しかし、超えることで元に戻ること

          心、頭、体

          開かれた心、静かな頭、溶け込んだ体 閉ざされた心、騒がしい頭、固体化し不和な体 心は、現実をとらえるため、その現実の行動を選択するために、開かれる 頭は、理想をとらえるため、虚構へのブレーキを働かせるために、速度を落とし静かになる。 体は、自然をとらえるため、誤った法則の違和感を感じるために、溶け込ませる。

          さよなら、左様なら・・・

          さよなら、アメリカ さよなら、ニッポン さよなら、カリフォルニアン・イデオロギー さよなら、アイン・ランド さよなら、山岳思想 さよなら、個人 Bye Bye 左様なら、バックミンスター・フラー 左様なら、吉福伸逸 左様なら、原始仏教 左様なら、共同体 Hi, How Are You?

          欲しい情報がわからない。

          情報過多の時代。 無料で様々なコンテンツにあふれている。いつでもどこにいようと消費可能である現代において、探求欲求という生物の基本的な本能がいともたやすく満たされるようになった。 そんな時代の中、私は今情報を欲しているが、何の分野のどのようなことを知りたいのかがわからない。 なにを知りたいのか、わからない。 自分の体が今何を知ろうとしているのか、わからない。 自分に何が足りていないか、わからない。 何が満たされていないか、わからない。 なあなあと常に満たされていて本当に満

          虚構・現実/自然

          虚構と現実は、個人の頭の中での空想や認識に過ぎない。 自然は自分の外の物である。 頭の中の虚構と現実を、自然に産み落とすことを表現とする。 頭の中にあることは全て、虚構であり現実である。 外にあるものは自分で表現したものであれそうでないであれ自然である。 自然は他者と否が応でも共有してしまうものである。 頭の外に出た表現、絵画であれ歌であれ彫刻であれ文章であれ言葉は表現により体内から自然(体外)に産み落とされる。 自然は共有され個人に認識される。他者の頭の中で現実にな

          現実と虚構

          歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、『サピエンス全史』で、ホモサピエンスという種がなぜ地球の支配者となれたのか、それは虚構を信じる力を得たからだと主張した。 現実と虚構は別のものであるか? 虚構は現実から生まれるものであり、現実も虚構から生まれたものである。これらは二元論的に切り分けられる存在ではない。位置するのはどちらも濃淡のある「あわい」だけだ。 しかし現実は宇宙の法則に乗る。 虚構とは、個人の頭の中で生まれるものである。そのため、宇宙の法則を外れた虚構は存在するが

          食べたいご飯がわからない。

          飽食の時代。 安価で食べたいものが、いつでもどこにいようと調達可能である現代において、三大欲求である空腹から生まれる食欲の上位である、食べたいものを決めて食べるという欲求が安易に満たされるようになった。 そんな時代の中、私は今空腹であるが、食べたいご飯が思い浮かばない。 なにを食べたいのか、わからない。 自分の体が今何を欲しているのか、わからない。 何が足りていないか、わからない。 何が満たされていないか、わからない。 なあなあと常に満たされていて本当に空腹か、わからない

          木村拓哉がキムタクを演じることは不幸なのか?

          「キムタクって一生キムタクだから大変だよね、」 「キムタクって素に戻る時ってあるのかな?」 「木村拓哉がキムタクを演じることは不幸なのかな?」 先日、友人とこんな話になった。 かなりの余計なお世話だ。 そんなこと言われなくても、キムタクは幸せにやっているだろう。 ただ、疑問にも思ったので、だらだら考えていく。 肉体と精神、現実と虚構(理想)の関係に近いように思う。 現実を木村拓哉とし虚構をキムタクと置く。 木村拓哉はキムタク(理想)を演じることで、日本の誰もが認識する

          木村拓哉がキムタクを演じることは不幸なのか?

          スーパーマン(現実の人物)は、僥倖にも厄災にも成り得る

          スーパーマンとは、普通の人よりかけ離れて優れた能力をもつ人のことを指す。言わば、ただの力を持った個人である。 スーパーマンについて考える。 普通の人という定義は一般には存在しない。個人の今まで会ってきた人を想像した頭の中だけにある。 優れた能力というのも存在しない。他者比較から生まれる物差しである。 捉え方次第で自分が優れた能力を持つ者であるという認識は、誰にでも可能だ。 つまり、誰にでもスーパーマンに成り得る。 また、逆説的にこの世界でスーパーマンを一人でも認めてしまっ

          スーパーマン(現実の人物)は、僥倖にも厄災にも成り得る

          The Cosmic Bums 第7話

          第7話  Straight, No Chaser-2 トムの語る歴史の真実② ~モシーズ星の回想~ トム視点 続き 🔥また災害が起こった🔥 今回の災害ではたまたま怪我を負う人はいなかった。 違和感を覚えた3人は今までやったことがないことをやり始めた。 1人は他者と比べて小さい体であり災害に対して他のものよりも恐怖心が強かった。災害にも負けない、他の者よりも大きく硬い体になることを目指した。 1人は自分の存在意義に絶望し自傷することに走った。精神異常をきたし、この星を放浪し