闘争ではないカウンターカルチャーを、しかしカウンターカルチャーは闘争を包含する。

戦争反対と訴えて、戦争している国や人に唾を吐きつける。

肉食反対と訴えて、採食でない人を攻撃する。

差別反対と訴えて、レイシストを差別する。

環境保全を訴えて、資本家を扱き下ろす。

ポリコレムーブメントを推進させて、それに乗らない人は時代遅れであると蔑視する。


ヒッピーたちのカウンターカルチャーは、社会不満を内在する多数の人の参入によりファッション化してしまった。
ファッション化した信念のないカウンターカルチャーを行使する人は、それを他者は持ちえない自分だけの武器と錯覚し、社会不満から、他者への増悪が拡大する。
「親世代の価値観に対する不満や反発」のような個人の私情が混ざり合い、全体的な視点ではなく、個人的な視点から攻撃性が生まれる。
その一視点からの正しさは、親、兄弟、恋人、友人、会社の上司、後輩、社長、社会、自治体、政治、国、世界との闘争へ進む。

正しさの押し付け合いという点から、宗教戦争と何が違うのだろうか?

ヒッピーたちは、理想が先行し、現状にたどり着かない焦燥感から暴徒化。批判したはいいものの、そもそも理想がないことによる不安の増大。
結果、商業主義と自己矛盾を抱えながら、抱き合う形となった。

一視点からの正しさの確立は、自己矛盾を内包する。
カウンターを行うことは、そのカウンターを受けることと同義である。
それは、2次元的な平面ではなく、想像もしない角度から3次元的にカウンターを受けることになる。また、未来の自分からも4次元的なカウンターを受けることにもなるだろう。

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