刑務所(研修)時代の憂鬱な一年間の話
どうもサンタマリア寺子屋です。
今回は、刑務所時代(研修時代)のお話をさせていただこうかなと、
タイトルは刑務所って書いてますが、刑務所には、入ってません(笑)
それも踏まえて、今回書かさせていただきます。
中学から高校へ
せっかくなので、私の中学から高校への話もさせていただこうかなと、
わたしは、親が怖かったので簡単にいうと、家から逃げたっかたんですよね
そして、寮があるところも少し考えたんですけど、当時めちゃくちゃテレビ好きだったので、寮生活だとそこが多分制限されていますし、
先輩とか、同級生とかと生活したくないなと思い、
いろいろ考えた末、
地元からすこし離れた高校を選択しました。
結果的に、高校卒業後一年間寮生活したんですけど、
本当にしんどかったです、
嫌でした、変えれることならあの人生を変えてしまいほどに
会社に入る前
まずですね、私の経歴をお話します。
私は、18の時に鹿児島から、大阪に就職いたしました。
その、18の時に就職した会社が結構大手です。
その会社は、約一年間の研修を得て、本格的に現場で働く会社でした。
ざっくりいうと、その会社は工場なので、いきなり高校卒業して現場でなにも知識ない状態で働くのは危険ですし、なにもできないと思うので、
大学や、専門学校のように知識と実技経験を学んで、現場に配属される
会社でした。
さてさて
まずは、
中学卒業から高校入学の話をします。
飛ばしたい方は飛ばしてもらって大丈夫です。
私は中学時代は、勉強嫌い、苦手、出来なかったので、高校卒業したら大学行かずに就職する考えでした。
なので、進学校ではなく
まず、工業高校や、商業など、就職、専門的知識な高校に行くと決めてました。
また、公立と私立では本当は私立行きたかったですが、当時鹿児島に住んでましたし、親に迷惑かけたくないこともあり、公立高校を志願しました。
また、地元から離れた高校も選びました。
理由としては、都会の方に行って遊びたかったこともありますし、ちょっと家が複雑なので
地元の高校だと、親の目が入りやすいと思い、都会の高校をめざしました。
判定はずっと、E判定でしたけど
なんか受かりました。笑
さて高校では、
土木関係の、勉強してました。
親が土木関係の仕事してたことも影響あり、
当時、ビフォーアフターのテレビの影響で
自分もこんな仕事してみたいなと思い行きましたが、思った以上に現実は厳しいことを
高校に入学して痛感しました。
部活と勉強の両立どちらも結果中途半端で終わってしまいました。
本当に後悔してます。
親が怖かったこともあり、同じ業種に行くと色々言われてしまうこともあり、それが嫌で
とりあえず別な仕事しようと思いました。
当時兄が関東で働いてたので、自分は
大阪に決めました。
当時はお笑い芸人になりたかったからです。
でも、その話、親にしても結果ダメで、
就職決める手段は。
親に3社資料渡されて、
その中で1つ選べと言われて
そのひとつを選んだことが大変なことになったとは…
研修(刑務所)でまっていたものとは
研修場所は大阪でした、
正直、はじめはめちゃくちゃ楽しみでした
スーツ姿で、同じ仲間(同じ部活の仲間)と大阪に向かい
飛行機で乗って向かいましたね
そして、指定された寮に2人で楽しく話しながら向かいました
寮の近くにファミリーマートがあったのでそこについたら
研修の担当者先生がいました
(ハリネズミ)先生
当時約40人ぐらいいた記憶があります。
一年間共にこの人たちといろいろ乗り越えていくんだなと思いました。
研修の一日スケジュール
5:50 起床 点呼
6:00 ランニング (当時コロナの為中止)
6:30 朝食
7:00 バスで移動
8:00 朝礼 (出勤)
8:30~12:00 研修
12:00 休憩
13:00 研修
16:00 終礼
16:10~ 帰宅 (20人しかバス乗れないため2グループに分かれる)
16:10~ 清掃
17:00 自由時間
21:00 点呼
22:00 消灯
おおまかな、一日のスケジュールです。
ぱっとみ楽そうに見えますが、こうゆうのって制限されると何もかもできないんですよね・・
コロナのこともあり、基本バス移動は2グループに分かれていたんですが
それも4グループに分かれると、朝は点呼終わったらすぐ朝食取ってバス乗って移動してましたね、
当時の禁止事項一覧
携帯回収 終礼、22:00以降、
仕事行く前 7:00
つまり会社に携帯持っていけないんですよね
それは本当に鬱でした
ゲーム、テレビも持ち込み禁止
コロナのこともあり、平日は基本外出禁止
土日は外出3時間まで
毎日ノート1ページ日誌を記入
髪型もカラー禁止、ツーブロック禁止、襟足も整える
髭禁止
寮はコロナのこともあり、レオパレスに1人一部屋でしたそれは本当に最高でした。
あと、部屋にはIHがあったんですがそれも禁止されてました。
あと
もみあげ禁止
これは本当に辛かったですね
私が当時やっていたこと
まずですね、はじめは
携帯回収
があったんですけど、
それをダミー携帯だして
ばれて、とんでもないことになりましたね
会社の社訓みたいなものをめちゃくちゃ欠かされてましたね、
休み一日潰れるほど
あの屈辱的な日は忘れてはいけない
次に
自炊やってましたね
寮の飯、日曜日の夜は基本でないんですよね
んで、私は瘦せたかったのでコンビニ弁当じゃだめだと思い
入って、二日後ぐらいに飯作ってましたね
あと、寮に食堂あるんですけど、電子レンジは使えるんですけど
なんか生ものが禁止らしく
さしみとかダメなんですよねよくわからない
自転車事件
寮には一応自転車があるんですけど、
それもはじめ禁止されていたんですよね、
んで当時エニタイムジム行こうと思ってたんですけど、
上司や研修仲間も近くのジムに行ってたんで、なんかいきずらいと思い
別の遠いほうのジム行ってました
そこは歩いたらとんでもなく遠いため
近くのマンションに自転車止めていける日は毎日エニタイム行ってましたね
なので、土日の3時間外出時間も破ってました(笑)
ゲーム持って行ってた
とうじは、会社と寮はそこまで遠くはないんですけど、朝と夕方は物凄く渋滞するため、先に1グループ行っても次帰ってくるの40分後ぐらいなんですよね
他の人達は、日誌を書いたり、トランプしたり、漫画読んだり、おしゃべりしてましたが、私は当時友達居なかったため
トイレにこもってゲームしてました
DSのパワプロクンポケットやってましたね
あれはいい思い出だ
ずっとペナントレースやってました、
イベント
ほんとは毎月イベントがあったんですけど
4月は近くの大きな公園で遠足
夏はサマーキャンプ
富士山のぼり
研修後は創設者の地元巡り
あったのに全部潰れましたね爆笑
確か、伏見稲荷大社も行く予定でしたが全部潰れて
実習になってましたね
なのでその分暴れてしまったのかもしれません。
他の人達は
他の人達は、ダミー携帯や、
よるこっそり外出、また仕事中に歩いて帰ったりと訳の分からないやつばっかいましたが
その中でも
食堂事件(無銭飲食)
はすごかったですね
入社当時私は174㎝、84㎏ありました、デブです
そこから痩せようとして、ご飯はほとんど食べずに
プロテインだけ飲んだり、白米抜いて、おかずのみ食べて生活してました。
しかし、9月10月ごろにふともう痩せるの無理かなと思いました
84→62㎏まで落として
半年ぶりに白米を食べたんですよね、めちゃくちゃ美味しかったです。
会社の食堂は、A、B、C、Dあり、カレー、うどん、そば、ヘルシーメニューとたくさんありました
はじめはずっとヘルシーメニュー食べていたんですけど
とまらなくなり、
カードをタッチしてから商品を取らないといけないんですけど
私は、一回目ヘルシーメニュータッチして二回目は
素通りしてほかのごはんを取っていましたね
それを3か月ぐらいしてましたね、
1月ぐらいに、上司にばれてとんでもないことになり
伝説の悪夢の日誌生活が始まりました。
恐らく2ヶ月間ぐらい休みなかったですね
そのなかでも、3月には研修が終わり本格的に仕事が始まるので
1月、2月は父親と一緒にマンション見に行き契約も取ったり
引っ越しの準備もしてましたね
私はずっとノート書いてる間も父親が代わりにいろいろやってくださり
亡き父親にはあのとき本当に感謝しています。
研修後一人だけ寮に入らない
基本研修終わったら、実家からいける人は実家から
それ以外は別の寮に入るらしいんですが
私は、ゴールドジムにいきた過ぎて寮に入らずゴールドジムの近くのマンションに住みました。
正直、寮生活が嫌だったのと、
寮の立地が悪かったんですよね
今現在住んでるところは、以前住んでいた場所に比べて、お店の充実感
あとは交通も便利で気に入ってますし、なんといってもゴールドジムが近くにあるのが非常にいいですね
最後に
この一年間毎日鬱でした
学生時代とくに遊ぶことができず、社会人になったら自由が手に入れるのかなと思ったんですけど、結果何もできずに
何もかも制限されてずっとイライラしてました
配属されても3ヶ月ぐらいで逃げて退職しました。
たくさんの財産を失いましたけど、今となっては後悔してないです。
その代わり自由を手に入れました。
さて、その中でも私が得たものとは、当時あのつらい研修を乗り越えた
仲間がいたと思います。
私は自由にやっていますが、いまでも少なからず何人かと連絡を取ることがで来ています。
もう今は亡き日誌にも40になったらみんなで集まってパーティーをしよう!
と日誌に書きました、
その幹事として私は歩んでいきたいと思います
当時の仲間たちよ
サンタマリア寺子屋は生きています。
また会ってあの時の思い出を愚痴言って笑い合いたいです。