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5月19日「いい時間」

それなりに早く目覚めたのでEVISBEATSの『いい時間』を流しながら身支度を済ませた。忙しのない朝もメロウな音楽あればそれなりにいい時間に生まれ変わる気がした。
「朝」は自分にとって永遠の課題だった。爽やかな朝だったことなんて、人生において数回しかないように思えた。それもだいぶ昔の話だ。
小学生の頃にいつもよりも早く起きて、登校時間まで少し時間が余ったから、スーパーファミコンのドンキーコング2を1ステージだけ進めたのはいい朝だった。あれより後に、いい朝だったことはない気がする。

重苦しい制服に着替えて自転車にまたがったり、バスと地下鉄とバスを乗り継いで登校したり、着たくもないスーツで出勤したりと、朝は鬱々とした気持ちにさせてくるのが常だった。
朝のモチベーションを変えるためには、音楽なのかもしれなかった。ストレスを少しでも緩和させてくれるものがあれば、それだけで少し前向きになれるような気持ちがした。
苦い珈琲に砂糖を一粒だけ入れてあげるように、憂鬱な朝にはいい音楽をあてがってあげればいいのかもしれない。
アイスコーヒーが飲みたい気分だった。作り置きの、無印良品の黒豆茶で我慢することにした。カフェインが入っていないんだったっけか、忘れたけれど。

出勤した後でそんなことを同僚に話してみると、EVISBEATSいいですよね、と返答された。自分以外にEVISBEATSを聞いている人間に初めて会ったので、少し嬉しかった。
彼のYouTubeの更新は短期間で一気に上げて、急にいなくなるというものだった。最近は更新頻度が上がって嬉しいよね、と何気ない話をしているうちに休憩の時間が終わって話が霧散した。
どの曲がいいのかとかいう話はしなかった。僕は『いい時間』以外に曲名をほとんど覚えていなかった。同僚も同じだと思う。でもそういう音楽なのだ。題名を覚えられないいい音楽も、この世には存在するということだった。

仕事を終えて外に出ると、妙に湿度が高くて、湿気った空気が肌にまとわりつくような気がした。心地いいとは真逆のところにある空気だった。
雨の匂いがした。それはペトリコールというのだったか。雨が降った後に地面から上がってくる匂いのはずなのだが、小雨も降っていないのに鼻をくすぐるのは不思議だった。
世の中にはいろんなことを指し示す言葉があるなあ、と不意に思った。本の余白に書き込まれた言葉を指すマルジナリアとか、会社に辞表を出しても生きていける程度の貯蓄を指すファッキンマネーとか、そういう狭い範囲を意味する言葉が好きだった。使う機会が来るまで懐にしまっておこうと思うのだけれど、使用するタイミングが来たら、もはや出せないくらいに埃をかぶってしまう。それが魅力的に思えた。無意味でいい。

家に着いてLINEを返信することにした。懐かしい名前が二つほど見て取れた。
一人は上京して整体師をしている友人で、6月から開催されるYOSAKOIソーラン祭を見るために札幌に帰ってくる、という嬉しい内容だった。予定をすり合わせてYOSAKOIを見に行った後、お酒を飲みに行く約束をした。
もう一人は結婚をして道東に引っ越した元同僚で、出産が近いこともあって地元に帰ってきたとのことだった。直近の日付を指定してご飯に行こうと誘われたのだけれど、すでに予定が入っていたので、今回はパスをすることにした。子供が生まれて落ち着いたらまた連絡をくれるとのことだった。なんにせよ、無事に元気な子供が生まれてくれればいいと思った。

ゴールデンウィークから友人たちの連絡が多くて嬉しい。いろんな人が帰ってきて、僕に会おうと言ってくれるのは、ありがたいことだった。そう言ってもらえるうちが花だろうから、できる限り会うことができればいいと思った。
全ての人と、楽しい人生を少しでも分かち合えればいい。それを指し示す言葉があれば、忘れることなく毎年使える気がするけれど、何かあるのだろうか?
幸せ、とかかね?

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