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4月18日「無駄」

少しだけ早く目が覚めたので無駄に時間を使うことにした。
計画的な時間の無駄遣いは、何かの意味があるんじゃなかろうか、とも思ったけれどどうだろう。無駄と知って始めたことは無駄に帰結する他ないのか。

でも、有益にしようと思って始めたことさえ無益に終わることもあるのだから、僕らのやろうという決意の行方は、結果でしか語り得ないのだろうか。だとするとかなりむなしい。
ここは反対に考えよう。無駄だと始めたことにも、有益なことが転がっている可能性もある。

そんな気持ちでYouTubeを開き、チャンネル登録をしている「スーツ旅行」の動画を見始めた。ひと月以上前に投稿された、鉄オタの動画投稿主がディズニーシーに遊びに行く動画を流し見る。
モノレールのゴムの跡の黒ずみに目を向けたり、パークの中心にある海と接する壁を見て、フジツボなどの海洋生物がいないことに気づき「ということは海水ではない」という結論をくだしたり、パーク内を走っているエレクトリックロールウェイという簡易鉄道を見て「ディズニーシーで最も面白い乗り物」とコメントを添えたりしていた。
目線がオタクだった。
看板に偽り無し、と思った。

僕は鉄オタではないのだけれど、ものすごく楽しい動画だと思った。
好きが溢れているし、好きを探求することにおいて、他人の目を気にしていないところも素敵だ。

羨ましいな、と思う。どこにいようと、自分の好きを押し通せばいいことはわかっていて、そこに他人からの小言を挟まれるいわれはないのだけれど、不思議とビビってしまう僕がいる。
元来、気が小さい。待ち合わせ場所として市民がよく使うモニュメントの前で、堂々と待つことさえ躊躇ってしまう。居酒屋で隣の卓に自分の話が聞こえることもあまり好ましくない。仲の良いグループで遊んでいる時に「どうぞ、話してください」みたいな空気が訪れると日和ってしまう。

そういう場面には何度も遭遇してきたから、そつなくこなすことはできるけれど、生活における他人の目線は僕にとって毒でしかない。
なんでもない生活の場面を切り取っても、そうやって心をすり減らしてしまう僕にとって、好きなことでも同じ反応になることは火を見るよりも明らかだった。

好きなことをしている自分は、滑稽に映っていないのか心配になってしまうのだろうか。阿呆のツラを引っ提げて、よだれを垂らしていやしまいか、とか不安に感じているのか。そんなわけもないのだが。なんで他人を気にしてしまうのかの心理的構造は未だに謎で、ラヴを押し出しまくれる人には尊敬の念を抱いている。
九州の荒れる成人式とか。ああなりたいなとは全く思わないし、こいつら何やってんだよとは思うけれど、そのパッションの部分というか、根っこの性格というか、自己表現を如何なく行える様は羨ましいと思ってしまう。自分をおおっぴらに表現することは難しい。

とか書いてきて気づいたのだが、この文章を書くというのも十分自己表現だった。
とはいえこれは、僕が自分の部屋で一人で黙々と記したものを、見られてるんだかどうなんだかわからない場所に放り出しているだけで、強烈な他人が介在していないから楽なのだろう。自己表現は基本的に一人でするもの、というのが僕の気持ちの根底に根付いているのかもしれない。
だからこそ、僕は大人数よりも数人での飲み会、もっと言えばサシで話のできる環境が大好きなのだと思う。気心の知れた、なんでも話せる人といることは誰にとっても気持ちがいい。僕にとってもそうだ。

無理してまで好きなことを他人の前ですることはないし、モニュメントに近づく必要も、大声で話す必要も、フリに答える必要もないということである。
できる限りナチュラルに生きていくことが、これから先求めていくべきことで、自分なりの「生の平熱」みたいなものから体温を変えずに生活していければすごく楽なのだろうと思う。変温動物ではなく恒温動物だったわ、そういえば。

と、無駄から始まったYouTubeも意外と良い感じのところに着地したので、完璧な無駄ではなかったということである。
スーツ旅行、面白いからみんなも見てください。

以上を朝までに書き、仕事を終えて、小雨の中帰宅した。
寝る準備を済ませて読み返すと、そんなこともあったなあと既に懐かしくなっていた。

日記をつけ始めてから如実に感じ始めたことは、思ったことはすぐに忘れる、ということだ。
昨日書いたことすらもう怪しい。細部まで覚えているかと言われても絶対に覚えてないです、と答えられる。
それどころか、今日の朝にたどり着いた考えさえも忘れてしまっているのだから、僕の頭は随分立派にできているようだった(拙いところを逆にいう爆笑ポイント)。

書いていかなければいけない。
日々の生活が、ただでさえ希薄で無駄の多いものなのに、更に取りこぼしてしまっては、生きているという証拠というか、実感みたいなものがなくなってしまうような気がする。少しでもいいから文字に起こそう。無駄の隙間から、何かを探して拾いあげよう。

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