
セーターの毛玉が木になる話
いつものように、古いセーターの毛玉を取っていた。 毛玉を集めていると、小さな芽が出てきた。 セーターの毛玉から、静かに芽が生えてきたのだ。
特に驚くことでもないな、と思った。 毛玉を窓際の小さな鉢に植えてみる。 水をあげなくても、日が当たらなくても、 すくすくと育っていった。
お隣のおばあちゃんが、セーターを編んでいる。 編み棒が動くたび、編み目から音色が生まれる。 ドとレとミとファと、優しい音が響いていく。 その音が見える人もいれば、見えない人もいる。
毛玉の木は、静かに伸びていく。 葉っぱの代わりに、小さな夢が生えてきた。 誰かの忘れた夢や、まだ見ぬ夢。 風が吹くと、夢がこすれ合って、 懐かしい香りがする。
部屋の本棚で、本たちが居眠りをしている。 ページがそよぐたび、ため息をつく音が聞こえる。 物語の主人公たちは、違う本の中で お茶会を開いているらしい。
窓の外では、雨が逆さまに降っている。 地面から空に向かって、 水滴が静かに上がっていく。 傘を逆さまにしても、普通に使っても、 どちらでも濡れない。 それが、今日の雨のルール。
リビングのソファには、 誰かの置き忘れた午後が溜まっていた。 拾い上げてみると、 まだ少し温かい。 窓際に置いておこう。 誰かが取りに来るかもしれない。
台所では、お皿が自分で眠りについていた。 一枚また一枚と、 食器棚の中で横になっていく。 スプーンが子守唄を歌っているせいかもしれない。 聞こえるのは、銀色の音色。
時計は、今日も迷子になっている。 長針は東の空を指し、 短針は来週の水曜日を指している。 でも、誰も困っていない。 そのくらいがちょうどいい。
壁の中では、小さな冬が眠っていた。 夏の盛りなのに、壁を触ると少し冷たい。 壁の中の冬は、目覚めるのが苦手らしい。 このまま、ずっと眠らせておこう。
毛玉の木は、相変わらず夢を実らせている。 小さな夢は、熟すと風に乗って飛んでいく。 どこかの誰かの枕元で、 また新しい夢になるのだろう。
編み物をしていたおばあちゃんは、 いつの間にか空を編んでいた。 青い空に、白い雲の模様を編んでいく。 時々、小鳥の柄も編み込んでいる。
郵便受けに、風が手紙を届けていった。 開いてみると、何も書いていない。 白い紙の上を、誰かの優しい気持ちが ふわふわと漂っているだけ。
キッチンの戸棚の中で、 スパイスたちがおしゃべりをしている。 サフランが昔話をして、 シナモンが歌を歌って、 バジルが踊りを踊る。 パプリカは、いつものように居眠りをしている。
庭の植木鉢の中では、 小人たちが引っ越しの準備をしていた。 荷物は、ほとんどが思い出と時間の詰まった箱。 どの家に引っ越すのかは、 小人たち自身も知らない。 でも、それでいいらしい。
毛玉の木は、少し背が伸びた。 枝には、まだ熟していない夢が揺れている。 誰のものでもない夢、 誰のものにでもなれる夢。
リビングには、まだ午後が残っている。 本たちは、まだ居眠りをしている。 壁の中の冬も、まだ目覚めない。 時計は、相変わらず迷子のまま。
窓の外では、逆さまの雨が 静かに空へと昇っていく。 それを見上げながら、 また新しい毛玉を見つけた。 今度は、どんな木が育つだろう。