7/17 AM8:16
逃げないように友達数人に宣言をしたのは先月のこと。それから数週間経ち、宣言すると物事が進むことを実感している。
やると言った手前、やらないのはすこぶるダサい。有言不実行はダサい。私はダサい人間にはなりたくない。だからやるしかないし進むしかない。
「あなたの場所はここではないと思う。あなたはそれでいいの?」
2年前のちょうど今頃、友達が話してくれた言葉が魚の骨のように、今もなお喉の奥に引っかかったままだ。
その言葉は確かに嬉しくてありがたくて、でも認めるのが怖かった。通用しないのが怖かった。通用しない自分に出会うのが怖かった。だから動くと決めるのに時間がかかった。
現状に未練はないのかと言われれば、そんなことはない。ただ、その未練の中に「楽をしたい」「楽だから」というずるい気持ちが見え隠れしている。それは自分の成長を阻害するもので、自分を燻らせ、いずれ自分を腐らせる。現に今、私は心身ともに壊れかけている。
ここ数ヶ月の物事の流れが、私に方向転換を示していた。そのほとんどは自分にとってネガティブな出来事だったけれど、今となってはありがたいきっかけになってくれたとすら思う。そろそろ外に出ていく時がきた。私にその覚悟ができたんだと思う。いろんな人に出会いたいし、痺れる仕事がしたい。
人や場には合う・合わないがあるんだと痛感している。その場に人が集い、合わない人は去っていき、合う人は残っていき、その場はより強固に成立する。
場において何を正義とするか、何を守っていくのか、何に重きを置くのか。それに従うことを是とするのか、抗わず受け入れ淡々と過ごすのか。
例え法的に間違った出来事が起こったとしても、その場はその場の正義で成り立っていて、異を唱えることが歓迎されないことも多々ある。むしろ不利益を被ることもある。
もはや、何が正しくて何が間違っているかではなく、自分が何を選ぶのか、何を選ばないかが重要なんだと、私はここ数年で実感している。正解なんて、場によっていくらでも存在するし、如何様にも変化するのだと。
あの時、私の喉に骨を刺した友人に感謝したい。留まった時間は短くはなかったけれど、骨の髄までは染まらなかった。この骨がストッパーになっていた。動き出して新しい道が照らされたら、その友人に感謝を込めて報告したい。この2週間が勝負だ。
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