小説『雨のみち』
しとしと と
雨しずくが肩を濡らす
胸がつまるような感覚に
呼吸ができなくなる
いつもの帰り道
石畳の上を
靴が不安定に踏みしめる
「言われたことだけやっていればいいんだよ」
上司に言われた言葉が
じわじわと毒のように効いてきて
意識を暗く染めていく
そのうち
すれ違った女性の
真っ赤なヒールに
胸を引き裂かれそうになって
思わず路地裏に入り込んだ
ざわざわとした喧騒を背に感じながら
ひんやりとした静寂に包まれていく
いくあてもないのに
そろそろと進む
ふと、
気づいて顔を上げる
この路地裏は思ったより
入り組んでいるらしい
いくつかの角を曲がると
途端に戻る道が分からなくなってしまった
行き止まりになれば
本当の本当に終わりだなと
力なく笑みを浮かべる
今は朝だったか夜だったか
そもそも私はどうしてここにいるのか
「あなたはだれ?」
ふいに声をかけられて
自分の世界から引き戻される
視線の先には小さな影
年の頃は10歳ほどだろうか
紺青の瞳の少年が立っていた
「……さて、わたしは誰でしょう」
茶化した笑顔を向けると
少年の頬が子供扱いをするなとふくれる
「お姉さん、迷子のくせに」
今度は少年に茶化される
図星の図星
ぐうの音もでない
ここはどこなの、と問うと
少年は肩をすくめながら答えた
「ここは見てのとおり、道の途中だよ。
この路地裏は入り組んでいるけど
行き止まりがない。
必ずどこかにつながるようになってるんだ。
でもどこに出るかは誰もわからない」
私は茫然とした気持ちで前を見つめた
長く 湿った道が続いている
曲がり角が多く
どの道の先も
暗くてよく見えない
見てて!
静寂を打ち破るように少年が叫んだ
いたずらっこのような笑みを浮かべて
道の先の角に走り去っていく
どこにいくの、と追うように足を前に出すと
後ろから袖を引っ張られる
驚いて振り向くと
先に消えたはずの少年が笑っていた
まるで瞬間移動だわ
そんなことを漏らすと
少年は得意げに笑う
だから言ったでしょ
この路地裏は入り組んでるんだ
少年が軽やかに走り出す
今度は別の角を曲がる
革靴の音が
濡れた石畳に反響する
こっちこっち!と
反対方向の角から顔を出す
2度目はさすがに驚かないよ
と呆れながら言うと
少年が得意そうな笑みを浮かべ
後ろを見て、と指で合図をする
振り返った先、
ーーー少年が、そこにいた。
鏡の世界に入り込んだような感覚
私はふたりの少年を交互に見る
あなた達ふたごだったの
そう問いかけると
少年たちはクスクスと笑った
「あなたが双子だと思えば双子になる
ドッペルゲンガーだと思えばそのとおりになる」
気がつくと、
いつのまにか雨は止んでいて
雲間から光がさしている
少年たちの瞳に映る私は
まだまだ迷子のままなのだろう、と
くしゃりと笑った