映画『めがね』〜何が自由か知っている〜
この映画の世界に、どっぷり
浸かりたくなる時があるのです。
久々にアマプラを開いたら、色々無料になっていて
とりあえず 映画「かもめ食堂」を観て、
そこから「めがね」も観たくなり、その気持ちを
noteで本作にまつわる投稿を読んだり
サントラを聴くことで紛らわせていたんだけど
どうにも 紛らわしきれず、
作業しながら、映画をBGMのように流してみることにした。
それで結局、見入ってしまうことになる・・・笑
観るたびに
みえるもの、湧いてくる気持ちが違うのも面白く
いま書き留めたくなったので その記録。
ただ感じたことを残しているので、あらすじなどはみえず
本作を観ていない方には、???な内容かもしれません。またこれから本作を、先入観なく観たい!という方は、ここまででページを閉じていただけたら。
( 観たあとで、戻ってきてくださるのも大歓迎です!)
◆
「ただ、いる」ということ
タエコさん、サクラさんは何者なのか?
タエコさんとヨモギくん、サクラさんとユウジさんはどんな関係性?
気になりつつも、わからないまま
知ったところで・・・なにか??
というような、そういう次元の話ではない、というような
全部が
「ただ、いる」「ただ、ある」
ハルナさんが口癖のように言う「死にたい」
が、嫌な感じに聞こえないのは、
それが当たり前にある世界での話だから、なのかも知れない
「死にたい」って気持ちが今、ただある
それだけなんだ、というか……
それで ただただ、そこにいる人たちと一緒に時間を過ごして、
ふとした会話や関わりに心が動いて、
心の動きから行動が変わって、また心が動いて、でまた、行動して…
ストーリーがあるような、ないような、刻々と過ぎる時間の中で、見えてくるそういうものに見入ってしまう
◆
マリンパレスを出て、
凸凹の田舎道を、大きなスーツケースをひきずって歩いた末
途方にくれるタエコさん
必要な物だけ持ってきた、というその荷物
スーツケースいっぱいの それらを以ってしても
草むら中にひとりポツンと、為すすべもない
携帯は電波がなく繋がらず
道行く人もおらず
(鎖につながれた子牛にしか出会えず)
最後には、人に救われる
「必要な物」だったはずの荷物は手放して
ヨモギくんがドイツ語でつぶやいていた詩
◆
サクラさんのかき氷
お金で買う人はいなくて
「お金」が意味を持たない、
というか、その価値を重視していないかのような空気があって
皆んなが、
私のできる事、持っているものを分け合っている
それに戸惑うタエコさんがいる
私も、お金の価値や意味を信じている
お金があれば、何でも簡単に手に入るのだ、と
けれどこれから、すこしずつこんな風な世界に、変わっていくのかもしれない
以前、ほぼ日の学校というところで聞いた、田内学さんの話を思い出していた
◆
ユウジさんの地図も最高で
頭で考えるんじゃなく、自分の中に本来あるはずの感覚を戻していく
そんなような道案内に、全身が緩む感じ
ふと、滝沢カレンさんのレシピを思い出した
近いものがある気がする・・・笑
ユウジさんの言う
「ここに住む才能」って、そういうことかな・・・?
取り留めもない記録で、分かる人にはわかる?というような
やや乱暴な記事にも関わらず
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また、定期的に観たくなるんだろうなぁ
まだまだ、サントラで余韻に浸っています。