15歳。最強だった私。そして”ねがい”。
この季節になると、やっぱり吹奏楽コンクールのことが頭に浮かびます。
私は中学生の時に吹奏楽とサックスに出会い、それ以来吹奏楽コンクールに様々な形で関わり続けてきました。
出場する立場として、
指導する立場として、
審査する立場として。
部活動のあり方が問われる昨今。
変化していくことが望ましいと思うことは、もちろんたくさんあります。
しかし振り返ってみれば、この吹奏楽との出会いは間違いなく「自分」という個のアイデンティティを確立していくための最初の”扉”だったのかな、と思うのです。
大切な時間
…とは言え中学の時は、コンクールに出場してもだいたい地区大会で終了してしまうような、いわゆる「弱い」部でした。
それでも、部員はいつも100名を超えていたと思います。
さほど厳しくないから…ということもあるでしょうが、やる気だけはいつも満ち溢れた(笑)、とても雰囲気の良い部活だったからでしょう。
また、寛容な教育方針をお持ちだった顧問の先生のもと、当時は当たり前だった先輩後輩の厳しい上下関係も、ほとんどありませんでした。
…さて、そんな「弱い」部ながらも、なぜそんなに”やる気”があったのか。
思春期の中学生たちの心に、火を点けていたのは何だったか。
それは隣の学区の中学校の吹奏楽部の存在でした。
全国大会金賞常連校。
同じ中学生ながら、その演奏レベルは桁違いなのでした。
「私たちにも、できるはず!」
そんな思いを胸に、
どうしたらあんな音が出るのか。
良い音楽、とは一体どういうものか。
どうしたらそれができるのか。
何の知識もなく、今ほどの情報収集手段もなく、専門的な指導もなく、中学生たち同士でただただ必死に考え、もがき続けた日々でした。
順位や賞は目標ではありましたが、その前に「自分がただ好きなことにとことん熱中し、真剣に向き合う」という貴重な時間だったと思います。
同い年のメンター
そんな私の気持ちにますます火を点ける出会いが訪れます。
当時、市内の全中学校から選抜されたメンバーによる合同バンドが年に1度結成されることが恒例になっていたのですが、そのメンバーに選ばれたのです。
喜び勇んで参加した私の隣に座ったのが、その全国大会常連校の同じ学年の生徒さんでした。
初めて彼女の音を間近で聞いた時の衝撃は、今でも忘れられません。
15年間の人生で初めて味わった「挫折」でした(笑)。
同じ楽器の音とは、到底思えない。
あぁ、“響く”って、こういうことなんだ。
それだけでなく、彼女の発言から見える彼女の音楽に対する真摯さや、目指しているものの高さも、自分のそれとははるかに桁違いだったのでした。
数少ない練習のたび、彼女の音を耳に焼き付け、立ち居振る舞いを観察しまくりました(笑)
相当迷惑だったと思います(笑)
「こんな音で吹きたい!」
「こんな風に歌いたい!」
「もっと上手くなりたい!」
それは間違いなく、私の音楽の原体験でした。
広い世界が、目の前に開いた瞬間でした。
そしてそれは自然に「音楽を学ぶ」という人生を選ぶことに繋がっていきました。
何も恐れず、夢と希望と憧れだけがダダ漏れだった当時15歳の私は、これまでの人生の中でも最強だったと思います(笑)。
「ねがい」
振り返れば、10代の時期にこういう時間と出会いを授かった私は、とても幸運だったと思います。
現在、全国様々な中学校や高校でサックスやアレクサンダー・テクニークを教える機会をいただきますが、その中で「自分の新しい可能性や伸びしろ」に出会った瞬間の生徒さんたちの活き活きとした眼差しに、つい過去の自分を投影して目頭が熱くなってしまうことも多いのです。(と、歳かな…笑)
今年もきっと、日本全国で様々なドラマが生まれているのでしょう。
時代の変化とともに、部活動のあり方、コンクールや大会のあり方も変化していくことは当然のことだと思います。
どうか、より良い形で彼らに様々な「機会と時間と体験」が惜しみなく与えられますように。
そしてそれらを自由に選び取り、どうか心身ともに健康で、活き活きと、真剣に、学ぶことの楽しさを謳歌できますように。
私にできることでこれからも、何らかの貢献ができたらと思っています。