この季節になると、やっぱり吹奏楽コンクールのことが頭に浮かびます。 私は中学生の時に吹奏楽とサックスに出会い、それ以来吹奏楽コンクールに様々な形で関わり続けてきました。 出場する立場として、 指導する立場として、 審査する立場として。 部活動のあり方が問われる昨今。 変化していくことが望ましいと思うことは、もちろんたくさんあります。 しかし振り返ってみれば、この吹奏楽との出会いは間違いなく「自分」という個のアイデンティティを確立していくための最初の”扉”だったのかな
「生徒さんの前で吹くの嫌なんですよね…。こんなのお手本にならないんじゃないかと。それで、レッスンの後はいつも疲れきってしまって…。」 音楽教室で講師を務める管楽器奏者の方がレッスンにいらっしゃり、ポツリとそんなことをつぶやかれました。 ・・・私は自分が"生徒"であるときのことを思い出すと、先生が目の前で演奏してくださることは何よりも大きな学びになりましたし、生徒の特権というかレッスンのご褒美というか、とにかくとても嬉しい時間でした。『少しも聞き逃すまい!』と耳をダンボにし
「・・・またそんなこと言ってる。」 「・・・え?な、なになに?」 「”全然大したことじゃない。”って。自分の成果を、自分がちゃんと認めてあげなきゃ。あなた、すごいことやり遂げたのよー。100点満点なんて。なかなか取れるもんじゃないんだから!」 「・・・あぁ、ホント、そうだったそうだった。私、よくやりましたよね。ありがとうございます(^ ^)」 同僚であるフルート奏者でアレクサンダー・テクニーク教師嶋村順子さんとの、今日の会話。 自分のことをよく知ってくれている人との
「リハーサルまでは上手くいってたんです。納得するまで練習もできました。…でも本番ですごく緊張してパニックになってしまって…。」 演奏をする方なら、どなたにでもそのような経験があるのではないでしょうか? 今回はそんな「本番」に備えた練習について。 レッスンでお伝えした、ひとつの提案です。 お客様の「目」。本番まで、私たちはたくさん練習をすると思います。 自分の納得する演奏に少しでも近づくため、そして本番でどんなに緊張してもある程度自動的に演奏できるよう、心も体もできる
実は先日…簿記の試験を受けに行きました(笑)。 私は高校を卒業して音楽大学に入り、卒業してからはずっとフリーランス奏者として活動してきたわけで…まぁホントに経済とかお金のことというか、そもそも基本的に「世間知らず」なのです。 2年前に上京して、初めて"会社"というものに属することになって、そこでやっと「社会経済」というものをほんのちょっと垣間見ることになり(笑)…そこで自分の無知さを思い知りました。 「社会人としてこのままではイカン!」と思うに至り、ちょうど再び独立する
私は、レッスンにおいて「教師と生徒さんとの間の信頼関係」ってすごく重要だと思っているのですが、先日それについて改めて強く実感する出来事がありました。 何かを学ぶ上で、生徒さんは先生の「全て」から学んでいると思います。 言葉(楽器の場合はもちろん音と音楽も)を始めとして、体の動きや姿勢、表情、態度、佇まい。それら全てから。 特に「言葉」はとても重要だと考えています。 生徒さんが何かを学びたいと思った時、それを教える先生が ・何を大切にし、どのように考えているか。 ・
サックス奏者の友人から、こんな話を聞きました。 彼女がレッスンの合間にカフェでお茶をしていた時のこと。 高校生くらのい娘さんとお母様との会話が耳に入ってきたそうです。 母「ねー、〇〇ちゃんはピアノ習ってよかったと思ってる??私は今思えばピアノ習わせたの、お金の無駄だったなと思ってる。」 娘「えー?そうなのかな?習ったお陰で学校でピアニカもさらっと吹けたし楽譜読めるようになったし、楽しいから私は習って良かったって思ってるよ」 母「そこなんだよね。楽譜読めるの
「吐く」ことについてさて、今回は息を吐くことについて。 息を吐くときは、肺の中にある空気が気道に沿って動き、やがて口(や鼻)から出て行くわけですが、この時の「空気の動く方向」を改めて考えてみたいのです。 口は肺よりも上にありますね(当たり前すぎてゴメンなさい…)。空気が肺から出て行くときは「下から上に」動いていき、やがて結果的に口から前に出て行きます。※図3 その際、空気を上方向に動かす役割を持つのが肋骨と骨盤の間にある腹筋群たち※図4、および脚の付け根と同じくらい
私は主に楽器を演奏する方や歌を歌う方に向けて、演奏する時の身体の使い方や精神面についてレッスンを行なっています。今回は管楽器奏者の方からよくご質問を受けること、また私自身が演奏において役に立った呼吸と姿勢(動き)の関係についてお話ししたいと思います。 知識を持ってイメージする楽器を演奏する時の体の使い方を考える上で、具体的な「イメージを持つ」「意識を持つ」ということは非常に大切なことです。人間が「イメージする」「意識する」ことと「体の動き」は実に直結しているからです。呼吸に
『分かってるんですけどね…なかなかやめられないんです。』 演奏技術を習得していく中で、私たちは技術と共に様々な「クセ」を身につけていくもの。 それらはやがてさらなる技術的飛躍、表現の幅を広げたいと望んだとき、「超えるべき大きな壁」となって私たちの前に立ちはだかることになります。 今回はその「クセ」について考えてみたいと思います。 クセの正体私たちが日頃「クセ」と呼んでいるものは、「習慣」の一つと言えます。 「習慣」を改めて調べてみると、 「 心理学で、学習によって
「こんなひどい演奏をして…。私など生きている価値がない。」 決して冗談でなく、かつて私はよくこんな風に考えていました。 自分に厳しく、という意味もあり、またある種の自嘲の意味もあり…..。 またそんな風に自分を評価することで、深層心理では逆に「救われる」「許される」そんな気がしていたことも事実です。 自分への脅迫。一体いつからそんなことを考えるようになったのか。 細かいことは思い出せませんが、恐らく音大受験〜音大時代に遡ると思います。…いや、もっと前かもしれません。
「本番でも緊張しないようにしたいんです。いつも通りに演奏したい。」 生徒さんから、よくこのような相談を受けます。 演奏者をはじめとしたパフォーマーにとって、永遠の憧れとも言えますね。 …永遠の憧れ。 そう、それはきっと「永遠の憧れ」のままであり続けるのだと思います。 なぜなら「緊張」した時に起こる様々な現象は全て、本番で実力(あるいはそれ以上のもの)を発揮するために必要不可欠なことだから。 「緊張」した時に何が起こるか?さて、緊張した時に何が起こるでしょうか? 何が
”本番用衣装”というと、私の場合はもっぱらロングドレスか上下とも黒いもの(黒黒、と呼ばれます。)で、どれも自分の体に合った演奏しやすいものを揃えているのですが、いつも困るのは「靴」。 やはり舞台に立つものとしては、見た目もできるだけ大切にしたいもの。靴もやはり多少なりともヒールのあるもの、形の美しいものを選びたくなります。 しかしこの「ハイヒール」ちゃん…。カワイイ顔して大変手強い、ニクいやつですよね…。 今日はそんな「本番用ハイヒール」とのお付き合いについて。 美し
MC。 カジュアルなコンサートには特に欠かせない、大事な司会進行役。 どんなコンサートをする時も、共演者の中に一人は必ずMCが上手なありがたーい方がいて、たいていはその方にお任せして安心しきって演奏に集中しているのですが(◯ちゃん、いつもありがとうございます!)、ソロでのコンサートの時などどうしても一人でMCも演奏も努めなければならない時があります・・・。 今日はそんなMCと演奏のバランスの取り方について考えてみたいと思います。 まるでマラソン… 私は元々人前で話す
アレクサンダー・テクニークの中で大切にされている考え方の中に「心身統一体」というものがあります。 「心と体はいつも結びついていて、切り離せない」というものです。 今日は、そんな「心(思考)が体にどう影響を与えるか」について考えてみたいと思います。 子供の頃の記憶。5歳の頃。 私は生まれて初めて「ピアノの発表会」というものを経験しました。人生初めての「本番」です。 それまでたくさん練習をして、楽譜を見なくても弾けるようになって、いよいよその日が「本番」であることもよく
今日は座奏、座って演奏するときのことについて。 立奏よりも、実は座奏のほうに悩ましさを抱えている方が多いように思います。 「脚をどうしたらいいのか分からない。」 「踏ん張れない。お腹が使いにくい。」 「動きにくくて、窮屈さを感じる。」 「そもそもどう座ればいいのか。」 今日はそんな悩み多き「座奏」について考えてみたいと思います。 脚の行方「座奏の際、脚はどのように置いたら良いのでしょうか?」 吹奏楽の指導をされている先生方によく質問をされるのがこの話題。 脚を投げ出