合気道の「受け」について、整理してみました。(2 / 5)
前回(1 / 5)は、
「合気道はわかりにくい?」という疑問に対して、その要因として考えられる、合気道ならではの「受け」を取りあげました。
[前回の記事はこちら]
今回(2 / 5)は、
「受け」とは何か?という疑問について、考えていきます。
(1)「受け」とは何か?
①「受け」の武道的な定義
最初に、合気道における「受け」「取り」の定義を確認してみます。
この定義を、図にしてみると次のようなります。ものすごく単純化して表しています(①→②→③)。
②「受け」は(本来)上位者が務めるもの
この稽古法は、古流剣術の流れを汲んでいます。「受け」と「取り」を古流剣術の用語に当てはめると、次のようになります。
最後の一文は特に重要なので、繰り返します。
「打太刀(受け)は通常、上位者(師匠・先生)が務める。」
合気道では通常、師匠・先生が模範演武(「取り」)を行います。そして、弟子・生徒のうち1~複数名が師匠・先生の「受け」を務めます。その後、弟子・生徒同士が組んで稽古を行いますが、このときも、上級者が最初に「取り(技)」を務めます。
こうした稽古の流れがあるので、「取り」を上位者(師匠・先生)、「受け」を下位者(弟子・生徒)が務めるという役割を、「常識」として捉えがちです。
もちろん、合気道の稽古の核は「互いに技をかけ合う」ことなので、上位者が模範となる技を最初に示すことは不可欠です。
ですが、下位者の上達を促し、正しい方向へ導くためには、上位者による「受け」が欠かせません。この点をはっきりと意識するためにも、「打太刀(受け)は通常、上位者(師匠・先生)が務める」という、本来的な定義を忘れてはならないと思います。
③「受け」は「砥石」である
これは、私の師匠である多田宏先生(以下「多田先生」と表記)が、たびたび口にされる言葉です。「受け」のあり方や役割を、これほど的確に言い表わした表現はないと思います。
「受け」は「砥石」となって、「取り」が技を磨き上げる(研ぎ上げる)ための手助けをします。
自己主張をしないという点では、「砥石」は「サンドバッグ」と同じです。ですが、「受け」は「サンドバッグ」ではありません。
「サンドバッグ」は一方的に殴られるだけですが、「砥石」は用途・目的に合わせて、たくさんの種類(素材・粒度など)が存在します。
「受け」となった上位者は、下位者のために、必要に応じた「砥石」となります。そして、下位者が技(刃)を研ぎ澄ます、そのための補助として存在するのです(併せて「研ぎ方」も指導します)。
ちなみに、合気道は素手(徒手)を基本とする武道ですが、その根底には剣術・槍術の理合があります。そのため、「自らの(そして相手の)手・腕」を、「刀」と見立てることが多くあります。こうした点からも、「砥石」という表現はとてもしっくり来ます。
合気道における「受け」は、「取り」が自らの技を試すための「実験台」でもなければ、一方的に投げられるだけの「サンドバッグ」でもありません。「取り」の技(刃)を研ぎ上げるために、臨機応変に素材や粒度を変化させられる「砥石」なのです。
このように考えていくと、
「稽古の形や目的等を理解している上級者が、(本来的には)「受け」を務める」という定義も理解しやすいですね。
【参考・引用文献】
(*1)「形稽古」における打太刀・仕太刀について
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