合気道の「受け」について、整理してみました。(4 / 5)
前回(3 / 5)は、
「良い受け」とはどういうものか、について考えてみました。
[前回の記事はこちら]
今回(4 / 5)は、
「良い受け」に必要な要素を、具体的に見ていきます。
(4)(至心会が考える)「良い受け」の要素
① 正確に打ち込む(線を意識する)
稽古の起こりとして、受けが打ち込む稽古法を考えます(正面打ち/横面打ち/中段突き 等)。
打ち込む際には、「取り」に当たるように、正確に打つ必要があります。
そんなの当たり前やろ、と言われそうですが、最初から当たらないように打ち込む方が、とても多いのです。
「取り」は「受け」の打ち込みを捌きながら、技に移行していきます。ですが、そもそも、自分に当たらない打ち込みであるならば、捌く必要はありません。
それでも、稽古ですから、無理にでも続けることになります。無理に続けると、「取り」は、正確に打ち込まれた場合とは異なる動きを強いられます。すると、稽古の線が崩れてしまうのです。
具体的に、図を用いて見てみましょう。
「取り」が「受け」の正面からの打ち込みを捌いて、「受け」の裏(背中側)に入身する場合を想定します。
「受け」が「取り」に当たるように打ち込んだ場合、「取り」が描く動きの線は、次のようになります(赤色矢印/以下も同じ)。
一方、「受け」が最初から、「取り」に「当たらないように」打ち込んだ場合、「取り」が描く線は、別のものになります(下図①・②)。
稽古では、自分の線を錬り上げることを意識します。しかし、「受け」が正確に打ち込まなければ、「取り」の線は崩れてしまうのです。崩れた線のまま稽古を続ければ、その線が「癖」として定着してしまいます。
また、「受け」の方も、「相手に当たらないように打つ」という線が、そのまま「癖」として定着してしまいます。この点にも注意が必要です。
② 隙間なく、ピタリと取る
稽古の起こりとして、「受け」が「取り」の手首などを取る(掴む)稽古法を考えます(片手取り/両手取り/諸手取り 等)。
このとき、「受け」は「取り」の手首などを、隙間なく、ピタリと取る必要があります。
稽古では、相手の身体を楽器のように大切に扱うと同時に、相手の身体を「刀」と見立てて行います。
木剣・杖 等を扱うときは、手の内を緩めません(*3)。手の内が締まり、対象との接点が大きいほど、自分の力を確実に伝えられるというのが、その理由の1つです。
「受け」が「取り」の手首などを「隙間なく、ピタリと取る」とき、「受け」は最も効率的に、自分の力を「取り」に伝えられます。つまり、「受け」はいつでも「取り」を抑えられる状態にある、ということです。
上述の通り、「受け」は、やられっぱなしのサンドバッグではありません。「取り」の技を受けながらも、「受け」は常に反撃できる姿勢を保ち続けます。だからこそ、「受け」・「取り」が、互いに錬り上げる稽古となるのです。
また、「がっしり」ではなく「ピタリ」という感覚が大切です。
木剣・杖を「がっしりと持つ」と、どうなるでしょうか。腕には力が入り、自由自在に木剣・杖を動かすことなど、到底できません。自分の力で自分を縛ってしまうのです。
だからこそ、無駄な力みを排して、素直な気持ちで、手の内(特に小指・薬指)を緩めず、ピタリと取るのです。まさに、相手の身体(手・腕)を「刀」と見立てて、稽古を行うのです。
③「取り」の動きを邪魔しない
合気道の稽古では、相手がどのように動き、どのような技を掛けるのか、事前に開示されることがほとんどです(例外は自由技)。そのため、「受け」は「取り」の動きを簡単に邪魔できます。
例えば、ぐっと力を入れる。
例えば、ぐっと踏ん張って耐える。
そうした妨害があることを前提として、それに応じて技を変化させるという稽古法もあると思います。ですが、この稽古法は、相手との対立・対峙的な意識を生んでしまいます。
稽古では、「受け」は「取り」の動きを邪魔しません。これについては、現道主・植芝守央先生のご著書にも、明記されています。
言葉だけでは伝わりにくいかもしれないので、「受け」がぐっと力を入れたり、ぐっと踏ん張る稽古によって起きることを、図で表現してみます。
これがスポーツであれば、「駆け引き」として楽しめるのかもしれません。
ですが、合気道ではこうした対立・対峙的な念によって生じる「ズレ」をとても嫌います。「ズレ」は「隙(スキ)」と言い換えられます。昔の剣術ならば、隙が生じた瞬間に斬られるでしょう。そして、この「ズレ」が癖・習慣となってしまえば、その修正はとても難しい(*4)。
「取り」の動きを邪魔しないことは、合気道において、とても大切なポイントなのです。
④(動きを)作らず、素直に受ける
前項では、「取り」の動きを邪魔せず、自然体で受けを取ることの大切さについて書きました。「自然体」というのがポイントです。「自然体」の反対を「作る」と表現します。
「作る」とは、技がかかっていないのに、勝手に崩れたり、受身を取ったりすることです。
合気道を続けていると、指導者や稽古相手の動きを先読みして、勝手に動く癖が付くことがあります(稽古の流れを理解している上級者ほど、無意識に行いがちです)。
技がかかる前に「受け」が勝手に崩れたり、手を放したりすると、「取り」の側には、スッポ抜けた感じだけが残ります。技が切れてしまうからです。
周囲からは「受け」が見事に跳び受身を決めたように見える場面でも、「取り」は技がかかりきっておらず、不完全燃焼でモヤモヤしている、そんなこともあるのです。
「受け」は(動きを)作ることなく、「取り」の動きや力に対して、素直に反応していくことが、「良い稽古」には大切なのです。
【参考】大先生は、「作る」ことを非常に嫌われた
多田先生は、技がかかる前に道場生が勝手に崩れたりすると、「作るな、自然にしていろ」と注意されます。
これは、多田先生ご自身が、大先生(開祖・植芝盛平先生)から注意されたことだそうです。これについて多田先生が語られた一節がありますので、ここに引用させていただきます。
大先生がされた直接的な注意事項なので、われわれも「作らない」という点によくよく注意しながら、稽古しなければならないと思います。
【参考・引用文献】
(*3)参考:『合気道に活きる』多田宏(2018), 日本武道館, p179
(*4)参考:『合気道に活きる』多田宏(2018), 日本武道館, p170
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