「道場の掃除」について考えてみた(とてもテクニカルな話)【前編】
(1)市営道場のお掃除
①「道場の掃除」って?
みなさんは「道場の掃除」と聞いて、どのようなイメージを抱きますか?
「昔ながらの修行」「理不尽な苦行」でしょうか。もしくは映画『ベスト・キッド』のように、掃除の動作がそのまま修行になるのだろう、と考える人もいるかもしれません。
私は今回、市営の武道場を、時間をかけて掃除する機会に恵まれました。1人で雑巾や箒を使っていると、「道場を掃除すること」の意味や効果について、様々な考えが浮かんできました。
同時に、「意味がない」「理不尽なだけ」と、現代では切り捨てられがちな、掃除を始めとする「修行としての作務(さむ)」についても考えることができました。
これを好機として、「道場の掃除」について考えたことを書いてみたいと思います。
② 体験会に人が来ないので掃除をする
2022/11/12(土)
体験会の参加者がゼロでした。そこで一人稽古をしようと、会場である市営道場(柔道場)に入りました。
ところが、換気のために窓を開けようとすると、道場壁面の木枠(正式名称は何というのでしょうね)に埃(ほこり)が積もっていて、道着の袖が汚れました。ふと見渡すと、木枠の上だけでなく、木枠の奥のデッドスペース、そしてロッカールームも、同じような状況であることに気が付きました。
「ああ、この状態では稽古したくないな」と思ったので、一人稽古の予定を変更して、掃除をすることにしました。これから使わせていただく道場への初回挨拶も兼ねたつもりで、丁寧に行いました。
木枠の上を雑巾で拭き、木枠の奥スペースに溜まった埃を雑巾で掻き出す。道場を箒で掃いて掃除機で吸い取る。ロッカールームにも掃除機をかける、入口扉の桟に溜まった埃を拭き取る、などなど。
結局、初日の2時間枠では終わらず、翌日(11/13)もひたすらお掃除でした(計4.5時間)。
※この記事は、施設へのクレームではありません。施設は基本的にきれいですし、気軽に使える武道場が地元にあるだけで感謝しております。また、「市営の道場を掃除するとは、なんてボランティア精神だ」と思われたい記事でもないことを、お断りしておきます。あと、私は潔癖症ではありません(念のため)。
(2)道場を清潔に保つこと
「道場は清浄であるべき」
これは、私が合気道を始めるきっかけとなった、内田樹先生(思想家・武道家・合気道凱風館主催)がお書きになっていたことです。私が合気道を始める前に触れた考え方ですが、合気道を始めてから今に至るまで、私が道場や稽古について考える上での大切な教えとなっています。
稽古では冒頭に呼吸法を行います。深く呼吸を行い、自らの心身を内観します。しかし、埃が舞う道場では、気持ちの良い呼吸法はできません。
また、合気道では「足裏の感覚」が大切です。しかし、着替える場所を含めて、自分が素足で踏む場所に埃や髪の毛が落ちていたら、足裏の感覚を鋭敏にしようとは思いません(というか、したくない)。まあ、一番イヤなのは、床に抑えられたときに、目の前に縮れ毛があることですが…(合気道あるある)。
この点には、多くの方が同意してくださると思います。
ちなみに、私が研修会などでお邪魔した合気会の本部道場は、多くの道場生が利用しているにも関わらず、とてもきれいな状態に保たれていたと記憶しています。
(3)「自分の道場」を定める
① 私のお掃除習慣@自由が丘道場
私が通った「合気道自由が丘道場」は、3階建て商業ビルの3階ホールを借りて運営されています。合気道以外にも様々な団体が利用するため、稽古のたびに畳の準備・片付けが必要です。
私が合気道を始めて半年ほどたった頃、稽古前に受身の練習をしたい一心で、なるべく早く道場に出向き、掃除をして畳を敷くことが習慣になりました(特に土曜の朝)。
稽古の1時間半前に準備を始めても、1人で準備を終えるのには1時間以上かかります(多くの場合、途中で道場仲間が合流して手伝ってくれます)。結局、自主稽古ができるのは稽古前の30分ほど。朝早くて眠いし、畳を敷くだけで疲れるし、誰も手伝ってくれないときには、「なんでこんなことしてるのかな」と思うことも度々でした(私が勝手に早く来ているだけなのですが…)。
合気道から気持ちが離れた期間や、2021年秋に道場から遠くに引っ越して以降は準備をサボることもありましたが、なんやかんやで道場を離れるまで続いた習慣でした。
② 道場を「自分で」掃除する効果
「自主稽古」をしたくて始めた掃除・畳敷きの習慣だったので、自主稽古の前に行う「掃除・畳敷き」の作業自体は、楽しくも面白くもありませんでした。眠いし疲れるし。
しかし、続けていれば良い面も見えてきます(というか、少しでもプラスの面を探そうと、自分に言い聞かせるようになります)。私が感じた最大の効果は、「道場が自分の場になる」という感覚を得られたことです。
道場を隅々まで丁寧に掃除していると、「自分の道場」という感覚が強くなります(もちろん「所有者」というわけではありません)。この感覚は、「自分の心身がその場に馴染む」と言い換えられそうです。
自由が丘道場では、道場として利用するホールだけでなく、廊下・トイレ・男性が着替えで使う階段まで掃き掃除をしていました。だからこそ、私の心身は誰よりも道場に馴染んでいたと思います。
掃除をするためには、対象をよく観察します。全体をよく見て、各所で求められる掃除の方法や、そのために必要な道具を選定します。そして、優先順位を決めて身体を動かしていきます。
それはつまり、「その場をよく知る」ことであり、よく知るからこそ、「自分の心身がその場に馴染む」という感覚につながっていきます。今回、時間をかけて市営武道場を掃除したことにより、たった2回の利用ですが、自分が道場に深く馴染んだ感覚を得られました。
道場をよく知れば、それは稽古方法の工夫にも繋がります。
例えば、今回利用した武道場は、柔道での利用を主目的として作られています。中央は少し足が沈む柔らかい畳なので、合気道では受身の練習がしやすい。また、周囲の畳は少し硬いが、足捌きの練習はしやすい。などなど。
③ 学ぶために「自分の場を定める」(=「結界を張る」)
掃除や準備によって得られる「自分の道場」という感覚は、多田宏先生(合気会本部師範・最高段位)に教わった、「自分の場を定める技術」にも通じます。
1m四方のスペースであっても、そこが自分の道場だと思えば(断定すれば)稽古ができる。古来から日本人はそれを「結界を張る」と言い習わしてきた。そう教わりました。
これは「精神論」ではなく、とても「技術的」な考え方です。
「道場に行かなければ稽古ができない」のではなく、「(どこであっても)自分のいる場所が道場なのだ」と考えれば、工夫次第でどこでも稽古はできます。これは武道に限った話ではありません。勉強・仕事・趣味、どのような分野であっても、自分のいる場所を「自分の場(道場)」として定める(断定する)。そうすることで、人は周囲の環境に関わらず、自らの力を発揮できます。
このように考えていくと、「道場の掃除」についても見直すことができます。
繰り返しになりますが、掃除をするためには、その場所をよく知る必要があります。そして、自らの手で、道具を用いてきれいにしていく。特に雑巾を使っての拭き掃除は「触覚」をフル活用するので、自分の身体を使ってその場を知るためには、とても有効だと思います。
まとめます。
【前編】はここで終わりです。
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