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「ほどける」関係性の再構築

雪柳あうこ 詩集『追伸、この先の地平より』(土曜美術社出版販売)

 タイトルでもわかる通り、本書の意図としては手紙を仲介した詩的世界を狙ったものだ。しかし比重ではむしろ、作品冒頭の「つかみ」の重要性を認識させられる、稀有な詩集の印象をもった。辞書でひくと、「お笑い芸人が観客を引きつけるために最初に放つ独創のギャグ」とある。同じように、詩的世界の入口での「引きつけ」が「独創」的であり巧みだ。入口から鬱蒼たる秘密の詩的世界の奥深くへ入ってゆく。その意味からいって象徴的な作品である詩篇『森』を見てみよう。冒頭のさり気ない〈ベランダで、森を育てている〉を、詩的世界を擬していると捉えるならば、ベランダという日常的地平の身近な場所で「詩」を育てると解釈することができる。直喩で、〈赤子の肌〉のような〈苔〉、つぎに森の情景である、〈繰り返す虫たちの生死/花が咲いて散って/度重なる台風にも耐え抜いた〉と続くことで、〈ベランダで、森を育てていたつもり〉が効果的な楔となり、〈育てるなどというのが/烏滸がましいほど/完璧な深緑の世界からすれば〉と森に深入りすることで暗転して、〈リビングで、私を育てている〉と、〈リビング〉の方が〈私を育てている〉とネガとポジの反転が完了する。あとは、詩である秘密の森に育てられて、〈何年経っても成さぬ実を/密かに、案じているのかもしれない〉と、未熟である自覚をみせながら、詩である森に案じられているのかもしれないと気づくのだ。森と詩的世界、森と詩的世界の同期的神秘性、森の描写と詩の奥深さとの換喩、対比の妙、そうしてバランス感覚抜群の印象をもつ源泉となっている。書き手の居住場所である私性から始められ私性で終わる完結性の、私的世界が詩的世界になる共有的親和性。冒頭部が遠雷となって作品を支配する構造は、見てきたように〈ベランダ〉を点綴させることでより効果をみせている。次に、〈わたしの背中から/蔓が伸びている/手入れもしていないので/すっかり、伸び放題だ〉から始まる詩篇『ほどける』もいい。〈森〉が〈蔓〉になっている構図は『森』に似ている。違うのは〈するりと、/ あるいはずるりと、/ほどけて、/ あなたが、きみが、あの人が/風に千切れていく〉と、日常の緊縛した関係性のほつれの動詞的換喩である〈ほどけ〉て〈千切れ〉るという詩句の使用で、視点の違いが明瞭になる。こんな詩句がある。〈右耳から/あなたの/声がする、朝方//わたしの一番深いところにある/小さな泉の水面に/ゆらゆらと細波が走る//この身の内で震える/気がふれそうなほど/柔い、ひかり//右耳が/あなたの名残を留める、午後〉、私性から発した私情と詩情が〈あなた〉へと流れてゆく。この流れを形象化したものこそ、手紙形式のなり連作の形をとってゆくのではないだろうか。〈わたし〉から〈あなた〉へ、新たな関係性が手紙形式で構築されようとしている。だが深読みすれば、私性から発して私性へなのだと思う。それにしても何と儚くピュアで繊細な表現だろう。価値感的存在論的に、稀有な詩集だと断言したい一冊だ。

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