九度山・真田ミュージアムで忍具を見てきた話
九度山・真田ミュージアムで開催されている(現在終了)「落第忍者乱太郎原画と忍者コレクション展」へ行ってきた。
(展示関連の部分だけ見たい方は二日目まで飛ばしてください)
情報公開されたのは今年の春。
筆者は毎年8月に資格試験を受けているので(早く終わらせたい…)、試験終わりにでもひとっとび行ってこようかな~と考えていた。
しかし件のミュージアムがある和歌山県九度山、関東出身の自分には全く場所の見当がつかないので、大阪出身の父に聞いてみることに。
筆「九度山に行きたいんだけど、日帰りで行けるかな」
父「九度山に用事があるの?!日帰りはやめておいた方がいいと思う。オカン(筆者から見た祖母)の実家がすぐ近くだから一緒に行ったらいいよ」
筆「ほよよ(ぐうぜ~ん)」
ということで、2023年9月12日から祖母と二泊三日の旅が始まった。
一日目(大阪観光など)
久しぶりに会った祖母と新幹線で新大阪へ向かった。
従妹が無事出産したこと(スゲー)、従弟が中学校を頑張っていることなどを聞いて、なんやかんや大阪城へ。
祖母に下で待っててもらって(ごめん)、展望を眺めて中の展示も見てきた。
展示も価値あるんだろうなと思うんだけど、何より石垣がすごかったな~。
自動車も無い時代におっきい石を途方もない数運んだんだな。。。
これは山の上にある宿でカニを食べたよという自慢です。
二日目(祖母実家・九度山)
サッと起きて電車とタクシーを乗り継いで和歌山にある祖母の実家へ。
信じられないくらい細い道を通っていきました。
祖母のお兄さん、お義姉さん、姪っ子さんとほぼ初めてお話をしました。
お墓参りの後、お兄さんが車で真田ミュージアムまで送ってくれました。
まずは真田幸村の展示をしっかり見て、
その後落乱の展示コーナーへ。
落乱コーナーの中には尼子先生の原画と忍具が展示されており、モニターからは先生のインタビューが流れていた。
コーナー内のアップでの撮影はNGだったので記憶だが、五色米やクナイ、四方手裏剣に手甲鉤に縄はしごなどの落乱ファンなら知っている忍具たちも飾られており、
「ああっあのシーンはこれで崖を登ったのかな…、10代の子がこんな小さなお米で暗号を残すなんてすごいなあ」
と興奮しながら眺めていた。
また、「忍者は証拠を残してはいけないから本物の忍具は残っておらず、飾ってあるものは資料を頼りに復元したもの」と映像で先生がおっしゃっており、ああそんなところも忍者らしいなあ…。と思った。
ぐるぐる何周かして、手裏剣体験も済ませたところで真田庵のすぐ隣にある幸村庵というお蕎麦屋さんへ。
真田庵もぐるっと見て、九度山も満喫したな~というところで、折角なので特急くろしおに乗って白浜へ行ってきました。
三日目(白浜観光)
朝、白浜近辺に住む祖母の姉夫婦がホテルまで迎えに来てくれました。
三段壁、千畳敷を案内してもらったところで、祖母姉から祖母へ一枚の手紙が渡されました。
「アンタはお父さんを知らないからね、持ってきたの」
祖母の父が戦没したことは聞いていましたが、2歳の頃だったとは知りませんでした。
祖母と一緒に見せてもらったのは、祖母の父(筆者の曽祖父)から家族宛の手紙。
「軍は食べるのにも困らないいいところだから心配をするな。家族仲良く暮らしなさい」という思いやりの文面が紙いっぱいにきれいな字で書かれていました。
「食べるものに困らなかったなんて、嘘ばっかり」
お姉さんに手紙を返すと、苦笑いしてそう言いながら、渡した手紙を大事にしまいこんだ。
白浜も観光しきったところで、南紀白浜空港から羽田へ帰りました。
オタ活するつもりが、自分のルーツを知るという濃い小旅行になったな~。
次回
なんと尼崎でデジタルスタンプラリーが開催ッ……?!!!???
私たちは常に尼崎に行ける理由を探しているので(主語がデカい)ありがたい、ありがたすぎる…。
落第忍者乱太郎、そして忍たま乱太郎。
いつも私たちに幸せな予定を作ってくれてありがとう。