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「日曜日の翌日はいつも」から「周日次日不复往日」へ(創作者へのエール)

SNSなどで告知しましたが、昨年刊行した短編集『黄金蝶を追って』に収録されている「日曜日の翌日はいつも」が、中国語訳され「周日次日不复往日」として中国のSF誌『銀河辺緑』18号に掲載されることとなりました。
翻訳者で、作家でもいらっしゃる木海さんが、私の作品を気に入ってくれ、訳してくださったことがきっかけです。
 
こちらの記事にも書いているとおり、同じ『黄金蝶を追って』に収録されている「ハミングバード」という作品は2020年に英訳され、米文芸誌「Strange Horizons」の別冊「samovar」に掲載されました。
海外の批評家から好意的なレビューをいただき、外国の読者からの熱い感想も多く届きました。それは本当に青天の霹靂というか、予想も想定もしていなかったことで、まるで奇跡のような出来事でした。
それが今度は中国語訳です。いったい自分の身に何が起きているんだ、と今回も驚くばかりです。
 
中国は『三体』に代表されるように優れたSFがどんどん出ていて、ヒューゴー賞の受賞者も出てきています。今回掲載されるSF誌『銀河辺緑』からもヒューゴー賞受賞作が出ていて、今も新しい作品がノミネート中です。世界的に注目されている文芸誌なので、私の作品がグローバルな文学賞にノミネートされる可能性もゼロではない……のかもしれません。
 
ただ、私は海外を意識して書いているわけではなくて、「自分が面白い」と思った作品を書いているだけです。「ハミングバード」や「日曜日の翌日はいつも」も、どちらかというと日本的な要素の多い作品ですしね。それなのに、こうやって海外の方々に気にいっていただけるのはなんだか不思議な感じです。
 
もともと私は大学生のときに「小説家になりたい」と思い立ち、少しずつ書き始めました。これまでいくつかの公募文学賞でいいところまでいきましたが、佳作や最終候補どまりで、大賞を受賞したことはありません。
紙媒体の単著を初めて刊行できたのは39歳のときで、小説家を志して20年ほどかかった計算になります。なので、自分に「才能がある」と思ったことはこれまで一度もありません。本当に才能があれば、書き始めて数年で芽が出たでしょうからね。
 
公募文学賞に応募して、最終候補の連絡がこなかったり、予選発表号の文芸誌に自分の名前が載っていなくて深く落ち込む気持ちは、誰よりもよく分かります。私も何度も何度も経験しました。時間をかけて、さまざまなものを犠牲にして書きあげた作品が一次予選すら通過しない。それは本当に辛いことです。気持ちが折れそうになることもあると思います。
炎が完全に消えてしまったのであれば仕方ないかもしれませんが、心の奥底にともし火がかすかにでも残っているのであれば、ゆっくりとでも書き続けてほしいと思います。
 
今はネットで作品を公開したり、ZINEや電子書籍の形で出版することも可能です。公募文学賞だけがすべてではありません。
私の場合は、書く作品がいつも複数のジャンルを横断してしまうため、「うちの賞には合わない」、「求めているのはこういうのじゃない」と落とされ続けてきました。しかし、そんな変わった作風を評価して、光のあたる場所に掲載してくださった方がいます。
「日曜日の翌日はいつも」は、坊っちゃん文学賞で佳作どまりでしたが、目に留めてくださった方が電子書籍の形で短編集として刊行してくださり、それが評価され、別の出版社から紙の本になりました。そして、遂には外国語訳です。ちゃんと見てくれる方は、必ずどこかにいるのです。

私の身に起きたような幸運な出来事が「全員に必ず起きる」と無責任に約束することはできません。でも、書き続けていないと、幸運が舞い込む可能性もなくなってしまいます。
 
創作の世界というのはとても奇妙なもので、ある日突然、脚光を浴びるかもしれないし、逆に一瞬で評価されなくなることもあるかもしれません。私自身、この先自分がどうなっていくのか予想もつきません。
 
高名な小説家を手本にされるのもいいと思います。でも、創作で気持ちが落ちこんだとき、辛いときは、この記事を思い出してみてください。道は一本ではないのです。まだまだ偉そうなことを語れる立場ではありませんが、「公募文学賞を受賞しなくても道は拓ける」という一つのモデルケース、参考にはなると思います。
 
私は創作を行っている全員を応援していますし、同じ志をもった仲間だと思っています。あなたが必死に創作をしているとき、私も同じように創作をしています。苦しいことも、辛いことも沢山あるけれど、ともに頑張りましょう。そして、いつかどこかでお会いしましょう!

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