目標達成指標を自分に課すことの是非
noteユーザーの皆さん、どうもです。
noteユーザーではない皆さんも、どうもです。
この記事を書いた過去から自分の生活スタイルや思考をアップデートできたので、今思っていることを書きます。
https://note.com/aiinkiestism/n/n211dec553e24
twitterで文を多少残すことは意識しているとはいえ、ちゃんとした文章を書くのが久しぶりなのでなかなかタイピングが進みません。個人的なサイトも作ったので今後メインはこっちになりますが、このサイトで残していくコンテンツは自他ともに長期的価値のあるコンテンツで、なるべく専門性を高く保ち、投稿したあと長い時間がたっても個人的にも後悔をしないようなコンテンツを載せていきたいと思っていて、その前の段階やブレスト的な位置づけとしてTwitterでの言語化を、そしてnoteでは多少文体はまとめながらもエンゲージメントや自分探りの観点でたまに投稿する実験的な使い方をしていきたいと考えてます。
↑この文中で言っていたサイト
https://hashmimic.com/
さて、本題に入ります。
価値観のアップデートは定期的に追っていくのはいいとして、KGIやKPIのような目標達成指標をトップにおいて行動していくことは定量的な側面だけなので、個人としても組織としても好ましくありません。組織的な観点は後述します。個人としての観点では資本主義経済や今日のテクノロジーを活用すればとてもアナログでかつ非効率という理由です。ですが、仮にある期間内で自分を定点観測したのちメタ認知できていなく、自分が向かうべき方向に対して感情や行動のコントロールができていないと感じたのであれば、有効かもしれません。また、目標達成指標の感覚やそのメリットデメリットを自分に埋め込むためには良いですが、メタ認知ができるのであれば圧倒的に非効率で、有名な影響力のある人々もあまりしないでしょう。そういった方々はEQが高いのである地点ある地点でメタ認知をして思考修正や行動修正をするのが大変得意なのだと思います。要するに、個人としての観点ではピボットの回数が大変多いのです。昨日深刻に悩んでいたことだとかも日付が変わり頭も身体もクリアになればそうではなくなること、たくさんありますよね。逆もまた然り。
また、目標達成指標をトップダウンした行動基準を常に自分に追い求め続けると、人間が幸福感の高い状態を続けるために(=死ににくい状態を保ち続けるために=死への抵抗をするために=生きるために)するような行動をしなくなるので(人と会ってストレスなく楽しく過ごすとか)、だいぶ老けます。自分は数年間くらい自身に課しましたが、ストレスがたまりやすいことからもその時の老化速度はかなり速かったです。精神と時の部屋の逆だったり、でっかくなる時のゴンだったりしました。
組織的な観点では、読んだことがない方はティール組織という本を読むと共感するはずです。また、経済学で取り上げられる外部不経済のような市場の失敗やピグー税も参考になります。現実的な例で言うと、組織のフレームが一般的なフレームよりもパラダイムシフトしている先進的なグローバル企業や一部のスタートアップ(的な文化を持つ組織)か、DAOと呼ばれる組織の一部を参考にすると実感がわくでしょう。
組織は人間の集合体で経営学の様々なコンセプトも定性的な側面は人間らしかったりするので、人間が絡む領域において定性を無視してシステムを作ると歪んだものになるのだと思います。