【エヴァンゲリオン与太話】アスカの人形について
そういえばアスカの人形って昔はドイツっぽい人形だったけどシンだとロシア人形だったよな。って突然思ったから調べてみた。
まずはそれぞれの画像
・TVアニメ版22話
使徒にアスカが精神攻撃されてる時の心象風景
・ビデオフォーマット版の追加シーン
加持さんに「私はもう十分に大人よ!もう大人よ!大人よ大人よ!だから私を見て!」」のとこ
・幼い頃のアスカ
・シン・エヴァンゲリオン
※おまけで漫画版
それぞれ調べてみた。
まずはシン・エヴァンゲリオンからだけど、シンのはどうやら安野モヨコがデザインしているらしい。
※公式ツイッターより
バブーシュカって書いてあるしやはりロシアで間違いないらしい。
となると、「何故?」が来る。アスカはドイツ人のはずだしロシアは関係なさそうだ。
庵野監督がどこかのインタビューで言ってた
「式波と惣流は設定がかなり違うから名前を変えた」
って話に繋がってるんだろうな。
凄く寒そうな雪が積もってる針葉樹の森のシーンがあったし式波はドイツは関係なくてロシアの研究所で作られた量産型アスカなんだろうなきっと。たぶん。
モヨコがデザインしたらしいから意味なくて見栄え的にそれっぽい人形を選んだだけなんじゃ……?とも思ったけど流石にだろうと信じたい。
猿の人形についても調べたら見つかった。庵野は女声優を好きになっちゃう悪い癖があるらしいが、庵野が恋したアスカの声優の1人、宮村優子(通称みやむー)のデザインらしい。
みやむーは文章が少し下手なので要約すると
・みやむーは猿が好きで猿のオリキャラをよく色んな物に描いてた
・アスカに持たせる人形を聞かれたので猿がいいと答えた
・庵野がそれをアニメエヴァンゲリオンに出して潰されてかわいそうだった
昔のアニメはアドリブ多いとか、声優さんの現場とアニメ制作の現場が近かったとか聞くけどこれもそうだったんだね。
声優の意見で登場する物が変わるなんてなんか素敵だ。
エヴァファンのなかで、みやむーの意見を取り入れたモノと言えば「気持ち悪い……」だが女っぽくていいシーンだ。好き。
最後にTVアニメ版のほうも調べた。でも昔のアニメだ、そもそもエピソードみんな忘れてるよね?おさらいしよう
アスカの母「惣流・キョウコ・ツェッペリン」はエヴァンゲリオンを作っている時に事故にあって精神がやられてしまう。
そして人形をアスカだと思い込みアスカを見てくれなくなった。
アスカは再び自分を見てもらえるように努力を重ねるが、努力が実りエヴァンゲリオンパイロットに選ばれたその日に、キョウコは首をつって自殺してしまう。
そしてその傍らで共に吊られていたのがこの人形
アスカはこれをきっかけに独りでも自分の居場所を確立するために周囲には攻撃的になり、結果に固執しだす。
加持へのあの態度も、自分の居場所を確立するために大人に早くなりたい、大人に認められたいというアスカの背伸び行為である。
っていうのがアスカのパーソナリティでこの人形に纏わるエピソード
つまり結論として俺の勘違いだった。
てっきりアスカの大事にしていた人形はドイツっぽい赤いワンピースの人形だと思っていたが、アスカの大事にしていたのはサルの人形だった。
シンだとロシア人形を大人アスカが持っていたから脳が記憶を勝手に補完して認識をズラしたんだなきっと。
しかしそう考えると新劇場版エヴァンゲリオンのアスカは[大人になりたい][能力を認められたい][大人へ憧れ]っていう14歳程度の人間が持つあるあるのような物、つまりアニメ版でのアスカの役割と言って良い部分がほとんどないんだな。
14歳周辺の人にとっては共感の悩みだし、大人にとっては「あるある、俺もあったな~」だし、もう少し聡い大人は今も自分にある煩悩だと感じるはず。仏陀も言ってた、嫉妬と承認欲求は捨てるのが難しいって。
それがアスカというキャラクターを好きな人間の心理だろうし原理なんだろうなと思う。
人形スタートでアスカの考察を進めていくと疑問に思うのが、エヴァンゲリオン新劇場版シリーズの「みんなが好きなアスカがアスカである部分」がない式波アスカにあるものっていうのはなんなんだろうか?
ないモノは考えてみたけどじゃあなにが在るんだ?
きっと〈アスカらしさ〉の匂いなんじゃないかなと思う。:破のアスカなんてわかりやすい。
ちなみに俺は:破が好きじゃない。
理由は簡単で俺には明るすぎるから。俺がネガティブ過ぎるだけかもしれないが。
:破の世界は商業的でキャラクター的でご都合主義で、視聴者に違和感を仄めかす。そして小声でこんな世界おかしいよね?と問いかけてくる。
そんな声が聞こえるのはたぶん視聴者の10%もいないのだ。
分かりづらく言うとわからない人間のほうが多いんだ。
悲観的すぎるのかもしれない。俺はそう思ってしまう。オタクだから好きな作品が誤解されるのも悲しい。だから苦手だ。
もはや庵野監督には《未熟な14歳の悩み》は過去のものなのだ。[能力も認められた]し[十分に大人]だし[大人になることへの憧れ]も消えたのだ。
シン・エヴァンゲリオンのアスカはシンジに「好きだった」と伝え同時に子供時代と決別する。式波の新しい役割はきっと《未熟な14歳の悩み》から離れることなのだろう。ただ消すことは出来ない。〈アスカらしさ〉とは未熟さであり誰しもがつつかれたら痛い場所だ。
決して誰も(悟りを開いた仏陀共以外は)死ぬまでに取り除けないモノだ。
誰でも褒められたい、認めてもらいたい、(自分の思う)大人になりたい。俺の知る限り人はジジイになってもそうだ。
ただ俺達は隠すのがうまくなっていく。人の心象風景を部屋のように描く作品が多いけれど案外的を射てると思っている。
人は多くのもので心の部屋のようなものを満たして痛い場所はなにかの裏に隠してしまう。匂いだけ残して。
きっと式波もそうで隠した裏から匂うなにかが〈アスカらしさ〉なのだろう。
……実際のところはたぶんこれは好意的に解釈しすぎかも。
本当のところはアスカというキャラクターは、最早大衆と商業に組み込まれ依存しスタンドアローンとして動きバラバラになり各々の中にある欠片が組み合わさって再構築されたもので、それが新劇場版の式波・アスカ・ラングレーなのだと言われても納得してしまう。このアスカ一枚皮膚を剥がしたらきっとベニヤ板だ。
新劇場版エヴァンゲリオンで綾波が人気で、アスカが人気で負けている理由はきっとこのアスカはアスカらしさを固めた実態のないガスの塊のようなものだからだ。
ただ辛うじてアスカであると認識出来るのはやはりそのガスから〈アスカらしさ〉の匂いがするからだ。初期のアスカから20年以上経って匂いが残ってるなら上出来なのかもしれない。
そもそもおかしいと思うんだよな。「綾波レイ」と違って「アスカ」なんてありふれた名前なのに「アスカ」でググるとしっかりエヴァが出てくるの。すげーよアスカ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?