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【2024年5月地中海】🇪🇸バルセロナの危険エリアに宿泊

こんにちは、エバンス愛です。アメリカ人の夫と国際結婚し、夫婦で英語を教えています。2024年5月から6月にかけて、地中海とエーゲ海を旅行してきました。

バルセロナ到着

関空→シンガポール→イスタンブール→バルセロナという経路で、深夜にバルセロナ空港に到着。

大勢の観光客が押し寄せるオーバーツーリズム下のバルセロナでは、ホテル代が高騰していた。最近のニュースで、観光客向けのAirbnbなどの民泊のせいで家賃も高騰し、バルセロナの地元住民によるデモが起きていると言っていた。

(デモは私たちの帰国後だったので、幸い水鉄砲の被害には遭わずに済んだ)

そんなわけで、できるだけ節約しようと思って予約した安いホテルが、実はバルセロナの危険区域「ラバル地区」にあることを知ったのは、渡航の3日前だった。しかも、節約のためキャンセルできない最安プランで予約していた。

ちなみに、ネットの情報によると、ラバル地区は不法滞在者が多い地域だそうで、夜にはドラッグの売人や麻薬中毒者がたむろしていたり、ナイフ犯罪などがあるらしい。

自分で言うのもなんだけど、私はこういう「危険地域に宿を取ってしまった」というミスをすることは普通はない。まず、安いホテルだからと値段だけで選ぶことはない。まずはレビューが高評価のホテルに絞って、その中から口コミをかなり念入りに読んで決める。つまり、このホテルは評価が高く、「この地域は危険だから辞めておけ」といった口コミもほぼ見ていないはずなのだ。

私はBooking.comとGoogleマップのレビューをどちらも確認しなおした。やっぱり、絶賛の嵐。レビューの数や内容から判断しても、ステマではなさそうだ。私は大丈夫と判断して、結局そのホテルに泊まることにした。もちろん、夜歩きが危険なのはわかったので、空港からはタクシーでホテルに直行した。

で・・・深夜到着だったので見えなかったが、翌朝外に出てみると、ホテル前はこんなところだった。

ホテルの前(朝)

う、うん・・・まあ・・・ギリ大丈夫?ダメ?

まあ、この落書きの多さからして、きっと夜の独り歩きは危ない。が、結果として、昼間に出歩くだけなら何も怖いことはなかった。ホテルも清潔でフロントの人も感じが良く、全く問題なかった。もちろん、ラッキーだっただけかもしれないけど。

どうせ夜は出歩きたくとも時差ボケだし、昼間にお惣菜を買っておいて夕食は部屋でそれを食べて、ワインを飲んでさっさと寝た。ホテルの防音もしっかりしていて、外がうるさくて眠れないといったこともなかった。

ちなみに、泊まったホテルはここ。↓

清潔だけど、設備も部屋の大きさも最小限。日本のホテルで例えると、アパホテルみたいな感じ。それで1泊3万円。バルセロナ、高すぎ!

ちなみに、バルセロナ全体でそうなのかはわからないけど、毎日深夜に清掃車が来て通りをきれいにしていく。だから、このガラが悪いホテル前の道も、朝はタバコの吸殻ひとつ落ちてない。いいシステムだなと思った。

25年前にバルセロナに来た時の話

バルセロナには、実は25年前にも一度来たことがある。大学を卒業したばかりだった当時、スイスに近いフランス南東部のシャンベリーという小さな街で語学学校に通っていた。クラスメートだったペルー人の友達ミラと、夜行列車でバルセロナに週末旅行に行った。

貧乏旅行なので、寝台車両ではなく通常車両のリクライニング座席だった。ペルー出身のミラはいろんな危険についてよく心得ていて、平和ボケしている私に「手荷物は、必ず体の下に敷くか、手や足に巻き付けて寝るように」と教えてくれた。私は、自分の足元に置いたリュックサックの肩紐を、自分のふくらはぎにしっかり二重に巻き付けた。

真っ暗な夜のなかを、フランスからスペインへ列車が走る。ほぼ満席だった。途中で、10代くらいの褐色の肌の男の子たち2〜3人が、キョロキョロしながら列車の通路を行ったり来たりしはじめた。「ここには空席はないのに、どうしたんだろう」と、ぼんやりした頭で考えた。が、気がついたら寝入っていた。

どれくらい時間が経ったかわからない。突然、女性の叫び声で目が覚めた。

その声の主は、私たちの座席のすぐ後ろに座っていた中年女性だった。スペイン語なので何を言ってるかは聞き取れないが、「マローキー!マローキー!」としきりに叫んでいた。マローキーとは、スペイン語でモロッコ人を指すらしい。

ミラが女性の話を通訳してくれた内容によると、電車が途中駅に到着する直前に、さっきの褐色肌の少年たちが女性のハンドバッグを奪い、電車を降りてしまった。そのハンドバッグには、彼女の所持金が全部入っていた。ちょうどその時、少年たちが暗闇の中に全速力で走り去っていくのが電車の窓から見えた。財布など金目のものを取り出したら、バッグはそのまま投げ捨てるだろうから、気の毒だけれどもうお金は返ってこないだろうとミラは私に言った。

モロッコ人かは定かではないが、アラブ系らしきさっきの少年たちは、通路をウロウロしながら獲物を物色していたのだ。そして私たちの後ろの女性客のハンドバッグに狙いを定め、電車が停止する直前にそれを奪い、電車のドアが開いた瞬間に降りて走り去った。彼女は窓際に座っていたが、隣の通路側が空席で、そこにハンドバックを置いていたそうだ。彼女には、ミラのように注意喚起してくれる人がいなかった。

私にとって、この体験は強烈だった。とんでもなく危険な国に来てしまったと感じた。それからというもの、私の中でのスペインのイメージは「マローキー」になってしまい、なんとなく足が遠ざかり、今年まで訪れる機会がないままだった。

25年ぶりのバルセロナ

25年ぶりに訪れたバルセロナは、私の頭の中のイメージとは違って、こぎれいで洗練された雰囲気の街だった。

かわいすぎるロエベ
ピンクの柱部分を拡大
無印良品もあった。これはきっと25年前にはなかった

そして、25年前と同じようにガウディ建築を見てまわった。

カサ・バトリョ
カサ・ミラ

バルセロナの街はとてもきれいで歩きやすく、普通にスリに気をつけて歩いていれば、怖い思いをすることもなかった。

サグラダ・ファミリア

そして、もちろんここにも行った。サグラダ・ファミリア。ネットで事前予約した。大人ひとり26ユーロ(約4,000円)。

サグラダ・ファミリア

なんせ25年前のことなので、ほとんど覚えていない。当時はフィルムを買うお金がもったいなくて、写真もほとんど撮っていない。でも、25年前もこの特徴的な彫刻の入口(生誕のファサード)はちゃんと見た記憶がある。

日本人彫刻家・外尾悦郎氏が手掛けたブロンズ製の扉

そして、サグラダ・ファミリアの内部へ。

ほんとにうろ覚えなのだけど、25年前の教会内部は全くこんな感じではなく、ほんとに工事現場みたいな所だった記憶がある。まあ、実際工事現場だったのだから、当たり前だけど。

森の中に茂った木々のイメージで作られている
午前と午後で、寒色と暖色の光の加減が変わるそう

サグラダ・ファミリアは、祭壇から向かって右側と左側でステンドグラスの色が寒色と暖色に分かれている。だから、訪れる時間帯によって強い光が変わる。私たちは、事前購入のチケットが11時半くらいだったので、ちょうど両方からの光が同じくらいの強さで見えている気がする。

こっちは寒色側
反対側のステンドグラスは暖色
壁に反射したステンドグラスからの光がきれい

外から全体像が眺められるスポットに移動。

私の曖昧な記憶では、この左側に出っ張った部分と、右側の後ろ側の背が高い部分は25年前にはなかった気がする。色もちょっと違う。私の記憶のなかでのサグラダファミリアは、右側の濃い茶色の教会だ。

街歩き再開

サグラダ・ファミリアを後にして、街歩き。紫のジャカランダが咲いていた。

バルセロナ凱旋門
ビスべ橋

そして、こんな場所を見つけた。マンガ書店。

鳥山明先生への追悼メッセージ。GRACIES PER TANT!(本当にありがとう)と書いてある。スペインの方たちにも本当に愛されていたんだなぁ。

バルセロナに限らず、ヨーロッパ各地で日本のマンガやフィギュアを売っているお店をたくさん見たし、日本のアニメのTシャツを着ている現地の人もたくさん見た。

というわけで、過去25年間「マローキー」だった私のバルセロナへの印象は、大きく変わった。次の日は、バルセロナからクルーズ船に乗る。今日はここまで!



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