ツンデレ童話(6)癒し系ツンデレ人魚姫(前編)
九州北西部の対馬海流が流れる世界有数の漁場として知られる玄界灘に、美しい声と赤い髪を持つジュリアという癒し系ツンデレ人魚姫が住んでいました。ジュリアは玄界灘の魚が大好物だったので『♬もしも醤油がヒゲタなら ♬刺身の残りをズケにして ♬一晩寝かせることだろう:元歌 西田敏行:もしもピアノが弾けたなら』と、サザンライトパーソンプロジェクトの詩を美しい声で奏でながら、フードロス問題を解決するために、刺身が残っても美味しく食べられる方法について思いを馳せていました。
玄海といえば、岩下俊作の小説や、村田英雄の『無法松の一生 ♬小倉生まれで 玄海育ち』で有名な、義理と人情と荒くれ者の世界です。小倉は手榴弾やロケットランチャーが特産品で、日本で唯一拳銃や手榴弾の密告に対して福岡県警が報奨金を出している『修羅の国』ですが、実際に住んでみると、平和でとても良い街です。
ある日、ジュリアが海底から海面に日光浴に出かけると、何かヤバイ物の密航の際に嵐で遭難したダンデレ若頭が溺れて心肺停止しているのを見つけました。若頭とは組長に次ぐ任侠道の二番目の役職で、王様が組長なら、若頭はヤクザ界の王子のようなものです。
ジュリアは人魚姫ですが、医療従事者の経験を生かして、看護師国家試験へ向けて勉強している受験生に医療知識を無償で配信しているYouTubeチャンネルの癒し系ツンデレ広報という意外な側面も持っていました。
ダンデレ若頭が呼吸をしていないことは瞬時に目視で確認できました。心停止しているかどうかは目視では分からなかったので、ジュリアは若頭の胸に耳を当てて心音を確認すると、心臓も既に停止しており、心肺停止状態になっていることは明らかでした。咄嗟に若頭の瞼を指で開いてみると、瞳孔反応が確認できたので、『ふん、ヤクザ者って社会のクズなのに、ゴキブリみたいに生命力だけは強いのね!』とツンしましたが、『でも、これなら、まだ、蘇生できるかも♡ だ、だからって必ず蘇生できるって限らないんだからな!』とデレてしまいました。
ジュリアは癒し系の力を使って、若頭の首を優しく持ち上げ、気道を確保しました。彼女の手は優しくも確かで、彼の顎を支え、頭を後ろに傾けました。次に、ジュリアは自らの息を深く吸い、若頭の唇に自らの息を吹き込もうとしましたが、一瞬、『えっ、私のファーストキスが、こんなヤクザ者なんてあり得ない!』と叫びましたが、『こ、これはキスじゃないからな! マウスツーマウス人工呼吸法だから、勘違いするなよな!』とツンしてから、鼻を指で閉じてから空気が漏れないようにして息を吹き込み、一度、二度と胸が上がるのを確認し、彼女は即座に胸部圧迫を始めました。
ジュリアの可憐な手は若頭の胸骨の中央に置かれ、力強くリズミカルに、『1ツン、2ツン、3ツン、4ツン...』と、1分間に110回のタイミングを正確に数えながら圧を加え続けました。
彼女は時折、『ダンデレ若頭! あなたがいないと組の若衆が悲しむからしっかりしなさいよ! ふっ、でも、あんたの後釜を狙ってる若頭補佐とか意外と喜んでるかもね』と、サドデレの合わせ技も使った癒し系の励ましの言葉を投げかけ続けました。
ジュリアの眼差しにはひたすら若頭を救いたいという切実な願いがあふれていましたが、『あんた、バっカじゃないの! こんなところで溺れ死んだら、緊急処置が拙かったって、わたしが恥をかくのが分からないの? でも、ダンデレ若頭のためなら恥くらいかいても良いかも♡』とツンデレ技も駆使しました。
そこに突然、漫才言葉の胡散臭い魔術師が現れて、『そないな処置しとったらあかんがな。海の中で心臓マッサージなんかしよったら、生きとる人間かて死んでまうやんけ! ここはいったん砂浜に上げて、心臓にブスリって心内注射する見せ場やで!』と話しかけてきたので、『あんた、邪魔だからそこをどきなさいよ! 処置が10秒も遅れたら助かるものも助からないのよ!』と、思わず怒鳴ってしまいました。
『一々説明せんかて、ワシの方がよう知っとるっちゅうねん。ワシは海の魔術師やさかい、潜りの医者なんや。なんや、陸の社会にもブラック・ジャック・バウアーっちゅう、もぐりの天才外科医がおるやろ? まぁ、ゆうたらそんなもんや』といって、ダンドレ若頭を砂浜に上げてドクターズバッグから、エピネフリン(アドレナリンのこと)のアンプルと、注射器をジュリアに渡しました。
『エピ、5mg』と指示を出してから、AEDを取り出すと『せやな、無脈性心室頻拍やから一発目は200ジュールから行くで!』といって、AEDをキ~ンと昇圧し始めて、胸の周囲の海水をタオルで拭き取ると、ジュリアが用意した注射を心臓にブスリと突き刺してエピネフリンを注入しました。
魔術師は心内注射を終えると、ドヤ顔で『クリア!』と叫んだので、ジュリアは、『そんなに大声出さないでよ! あんたに言われなくたって、ちゃんと感電しないように距離を取ってるじゃない! それにあんたなんでわたしに偉そうに命令してるのよ!』と、プンと怒ったKawaii顔に思わず萌えてしまいましたが、『そないなことは、ワシかて分かっとるがな。せやけど、ここでクリア!言うたら、なんや映画的には緊張感が出て話が盛りあがるんとちゃうんか?』と言いながら、AEDの放電ボタンを押すと、ダンデレ若頭の体がエビ反りになって、心臓の鼓動を取り戻して、肺に入っていた海水を吐き出して自律呼吸を始めました。
意識を取り戻したダンドレ若頭は、胡散臭い魔術師をみると脊髄反射的に『貴様(キッサン)どこん組のもんや! 玉(タマ)取れるもんならとっちみい!』と粋がって見せました。
ダンデレ若頭の業界用語では、『命』のことを『玉(タマ)』と言い、この言葉の語源は魂が玉になったという説もありますが、他にも『肝っ玉』や『鉄砲玉』など玉に関連した専門用語がたくさんあります。若頭の業界で『鉄砲玉』にはヒットマンという意味もありますが、鉄砲の弾丸のように行ったきりで帰ってこない突撃型の無鉄砲な若中(一般構成員)など、多様な派生語があります。
ギャング やマフィア 業界では、ヒットマン型鉄砲玉のことを、『ワン・ウェイ・チケット 』と呼び、行ったきり帰ってこない片道切符の無鉄砲なマフィアのメンバーという意味があります。
ニール・セダカ の『♬One-Way Ticket To The Blues』は、日本語では『恋の片道切符 』と訳されていますが、これは失恋と別れをテーマにした曲です。
『こんな訳の分からない業界用語の説明をする童話がどこにあるんだ?』と訝る読者もいるかも知れません。しかし、これがツンデレ童話の特徴であり、『♬恋の片道切符』の話は、人魚姫がこれからどうなるのかを暗示している布石となっています。作品中で作者が、『ここが布石だ』と解説する小説も珍しいですが、人魚姫 はアンデルセンのオリジナル版と、ディズニー 版では、ラストが全然異なります。ツンデレ童話シリーズは、さまざまなところに布石が打ちまくられているのです。
ダンデレ若頭から『貴様(キッサン)どこん組のもんや! 玉(タマ)取れるもんならとっちみい!』と、カマシ(業界用語で恫喝や騙しという意味)を入れられた胡散臭い魔術師 は、『そないな中途半端なカマシ入れよったら、オヤジにヘタ打ちよりまっせ』と、ダンデレ若頭の上司の組長よりも魔術師の方が貫目(かんめ)が上(格上)であることを、業界用語で優しく説明しました。
若頭の業界では、上司を意味するオヤジにヘタを打つ とは、ケジメとして、エンコ詰め(指切げんまん針千本処分)もしくは、罰金刑や『破門』にさせられる可能性があることを意味しています。破門には、謹慎処分に相当する『口頭破門』と、一時解雇に相当する『破門回状』の二種類があります。一時解雇と説明したのは『破門回状』には『復縁』という救済措置があるからです。他にも『偽装破門』という捜査機関を撹乱するための措置もあります。さらに厳しいのが『絶縁』や『除名』処分で、これは懲戒解雇よりもさらに厳しい処分と言えます。若頭の業界で『絶縁状』が他系列の会や組に送られてしまうと、この業界では転職できなくなってしまうのです。自己都合退職の場合は『除籍』と言います。
『ヘタを打つ』という魔法の言葉にピクっと反応したダンデレ若頭は、『これは御無礼いたしました。その胡散臭い風格、只者とは思っちょりませんでしたが、オヤジとはどのような…』と探りを入れてみました。
この業界の勢力関係は、昔の因縁から、さらには同僚の一宿一飯の恩義に至るまで、常に最新情報を把握しておくことが常識であり、『まさか自分のオヤジの関係者とは知りませんでした』が通用するような、甘い社会ではないのです。
『まぁ、そないに畏まることおまへん。陸の頭が海の任侠のことを知らんかてしゃーないわな。頭のオヤジとワシは七三の兄弟分や。ワシが海におる時はワシが七、陸におる時はワシが三やから、正味、五分の兄弟分やな。まぁ、陸の兄弟からは、親子盃ちゅうてきよったけど、ワシが三分譲ったような感じやな。せやから、いまでも、頭のオヤジはワシのことを海のオヤジって呼びよるさかい、そないな堅苦しいこと堪忍しておくなはれとか、お決まりのボケツッコミやらなあかんので、頭のオヤジはああ見えて難儀なやっちゃで』と胡散臭い魔術師が、業界の力関係を説明しました。
『失礼しました。オジキ。密航でヘタ打ったうえに、オジキにヘタ打っちょったら、オヤジにヘタ打つどころじゃ…』と、若頭は深々と頭を下げました。
癒し系ツンデレのジュリアは、ここで何か言っておかないと、読者が主人公がジュリアだったということを忘れてしまうので、『あんたたち、ちゃんとわたしにもわかる言葉で話をしなさいよ!』とツッコミました。『すんません、姐御 ! お連れのお方がオジキとは知らず、数々の御無礼、どうかお許しください』とダンデレ若頭が詫びると、胡散臭い魔術師が『頭は溺れて心肺停止しとったさかい、知らんかてしゃあないけど、若頭を助けたのは、このジュリア や。まぁ、玄海灘では珍しい名前やけど、漢字で『嬬璃亜 』て書いたらあんたも名前くらいは知っとるんちゃうか?』と尋ねました。
嬬璃亜の名前に驚いたダンデレ若頭は、『えっ! も、もしかして伝説の嬬璃亜さまですか? 遥か昔から『嬬』は、神に仕える巫女 や女神 のことを指し、ギリシャ神話においては、セイレーン のような魔女、中世以降は人魚を連想させる半人半魚の生き物として語られてきたんですよね。ゲーテ の『ファウスト』では、より海の怪物としての側面が強調され、時代を超えて人魚や水の精など、様々な姿で語り継がれてた伝説の海のツンデレ! 『璃』はガラスや玻璃という意味で、美しい宝石や貴重な石、それに似た輝きを持つものですね。中国の伝統的な七宝の一つで、美しいものの象徴ですね。あっ、ここから無茶振りで『鉱物資源の秘密 :地質学と宝石学の世界』の話に持って行くんですか?
こんなところにも布石があったとは意外でした。でも、まさか本当に伝説の嬬璃亜さまとお会いできるなんて、ボ、ボク、光栄です!』と急に最近のインテリヤクザ のように、教養をひけらかしてダンデレ若頭の素に戻ってしまいました。
ジュリアは少し照れくさそうに顔を背けて、『もう、密航に失敗して遭難事故なんかおこさないでね! べ、別にあんたがダンデレ若頭だから助けたんじゃないのよ! 偶々、そこの胡散臭い潜りの医者の魔術師が、エピネフリンとAED持ってたから助けてあげたんだからね。でも、インテリっぽいダンデレ若頭って素敵だわ♡』とツンデレました。
ダンデレの素に戻った若頭は『今回の密航の失敗は必ず取り返して、六代目を襲名する気で頑張るので、命の恩人の嬬璃亜さまには、是非、六代目襲名式典にはお越しください。本来は女性が入れる場所ではありませんが、いまは性の多様性とLGBTQの時代なので、このような女性差別はせずに、女性でも気軽に参加できる襲名式典 にしてみせます』と任侠道をなめた発言をしてしまいました。
襲名式典の意味が分からずに、お城の舞踏会 か何かと勘違いしてしまった癒し系ツンデレ のジュリアは、『襲名式典ってなんか素敵な感じね。そこでは、和服を着てロマンチックな襲名披露とかするのかしら♡ だ、だからって、別に襲名式典なんか行かなくったって良いんだからな! でも、ダンデレ若頭と一緒なら参加しても良いかも♡』とデレてしまいました。
すると胡散臭い魔術師が『そないな尾びれの付いた人魚が、襲名式とかいったらあかんがな。せやな、ワシが魔法でその尾びれを人間の足にしたろか? 若頭も密航で無くしたヤバイ物を回収せなあかんやろ。ワシのオヤジのポセイドンのオヤジに手ぶらで頼みに行くわけにもあかんさかい、人気のジュリアの癒し系ツンデレと、あまり人気のないサドデレ・マゾデレ・セットを交換でどや? そういえば、こないだポセイドンのオヤジが、金のデレを探しよったから、癒し系ツンデレ・セットやったら、ええ返事がもらえるはずや』と提案しました。
ジュリアは少し考えましたが、癒し系ツンデレがどれだけ貴重かを知らなかったので、胡散臭い魔術師が持っていた、サドデレ・マゾデレ・セットと交換してしまいました。
癒し系ツンデレが手に入ったポセイドンのオヤジは、大喜びで密航で無くしたヤバイ物にもっとヤバイ物をおまけで付けてくれたので、ダンデレ若頭は一気にダンデレ組長を襲名することになりました。
その後、ダンデレ組長と、サドデレ・マゾデレ・ジュリアは意外と相性が良くて、末永くダンデレ・サドデレ・マゾデレで幸せに暮らしました。
賢い読者はここで『♬恋の片道切符のどこが布石だったのか?』と悩むかも知れませんが、この意外な結末の布石だったのです。
つづく…
武智倫太郎