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AI倫理学の基本用語(第1回):基本的な AI 概念と技術

 AI(AI:Artificial Intelligence=人工知能)とは、人間の知能を模倣し、コンピュータや機械で行われる『知的なタスク』を実現する技術の総称です。以下の『』で強調してある用語は、AIを理解する上で重要な概念ですので、追ってでそれぞれの意味について詳しく解説します。 

基本的な AI 概念と技術

『知的なタスク』は、高度な認知力、知識、専門知識、理解力が必要な『タスク(作業や課題の単位)』を指し、『自然言語処理』、『機械翻訳』、『推論』、『学習』、『問題解決』、『意思決定』、『音声認識』、『音声合成』、『顔認識』、『画像認識』、『自動運転』など、多岐にわたる能力が含まれます。
 
 人間が音声で会話する際の『知的なタスク』を分解すると、相手の話を聞く作業は『音声認識』に相当し、雑音から相手の言葉を聞き分けることは『言語抽出』であり、相手の言っていることを理解することが『言語理解』に相当します。ただ言語を理解しただけでは会話は成立しないため、言語理解に基づいて相手が期待する答えを『推論』し、結果を出すまでが『自然言語生成』であり、生成された回答を言葉に出して返す行為が『音声合成』です。
 
 筆談の場合は、肉眼で文字を読み取る行為が『文字認識と言語抽出』であり、抽出された文字情報を『言語理解』~『推論』~『自然言語生成』までの一連の処理は、前述の会話と同じです。生成された回答の表現方法には、『文字出力』、『音声出力』、『ジェスチャー出力』など複数があり、それぞれの『知的なタスク』をスムーズに行うことで、会話や筆談のような知的行為が成立しています。
 
 これら一連の複合的な『知的なタスク』のいずれかに重大な欠陥があると、自然な会話が成立しないのは、人間でもAIでも同じです。どんなに頭脳明晰でも、相手の話を聞き取れない、あるいは、文字が正確に認識できなければ、正確な回答を返すことはできません。また、正確に『言語抽出』できたとしても、『言語理解』、『推論』、『自然言語生成』能力のいずれかに問題があった場合でも、まともな会話は成立しません。
 
 AI倫理では『感情認識』のような単語が、一般用語のように頻繁に使われますが、この単語一つを取っても、文脈や発言者や読者の理解度によって、意味が大きく異なります。
 
 この用語解説に掲載してある用語は、どれもそれぞれの用語を主題とした書籍が何冊も出版されているほど重要なものです。この用語解説に書いてある用語の全てを記憶する必要はありませんが、基本的な概念を理解しておくと役立ちます。更に、このブログに限らず、様々な角度からこれらの単語の意味を熟知する習慣を身に着けることが、AIを理解する上で非常に重要です。
 
 AIでは様々な『パラドックス問題』が発生しますが、これらの知識を身につけることはAIに関連したパラドックスの一つと言えるでしょう。AIの社会実装の主な目的の一つに、ユーザの利便性を高め人間らしい豊かな暮らしを実現することが挙げられます。その一方で利便性を享受するためには、AIだけではなく、AIを利用するユーザがそれぞれ一定の学習をしなければならない不便さがあります。
 
 学習をするためには用語の理解が重要な要素ですが、一つの用語の理解に一生を費やす学者も存在しており、専門家にとっては深い理解が求められます。
 
 例を挙げると、『認識』という言葉は、一般常識の範疇であり日常会話でも、頻繁に使われており、『認識が甘かった』といった会話の意味を悩み続ける人は、あまりいないでしょう。ところが、これが刑事裁判などで、弁護士や検事や裁判官から『あなたは認識していましたか?』と質問されたら、認識の有無のどちらを答えたとしても、認識の性質によって、故意の有無、過失の有無、刑事責任能力の有無、酌量減軽・情状酌量などの条件により、判決が全く異なります。更には、裁判で『認識していなかった』と証言した内容について認識していたことが立証されると、偽証罪に問われる可能性もあります。
 
 哲学において『認識』の定義については、プラトンやアリストテレスのような古代ギリシャ哲学者、デカルト、ロック、カントのような近世哲学者、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、フーコーといった現代哲学者にいたるまで大激論のテーマです。高度なAIが出現した近年に至っては、『AIの認識とは何か?』についてまで、認識論が過熱しているほどです。
 
 人間の認識とは何かという明確な定義すらできない状態で、AIの認識を論じること自体が、パラドクスと言えますが、パラドックスも紀元前から議論が続いているテーマです。
 
 一般のAIユーザが、こういった専門領域に熱中し過ぎると、生活や学業や仕事にも支障を来すほど奥深いテーマですので、このブログに書いてある程度の浅いAIに関する基本的な知識を身につける程度で十分です。このように、AIを理解し活用するためには、適切なバランスを見つけることが重要です。このブログでは可能な限り一冊の本で、広くて浅い知識を提供します。
 
 このブログで使っている用語に関しては、インターネットで検索すると、必ず詳細な説明を見つけることができますので、このブログの説明でわかり難い点がありましたら、読者自身で調べてみる習慣を身に着けてください。肝心なことはAI倫理を理解する上で、自分が何を知らないかを知ることです。この考え方は、哲学や倫理学の始祖として、名前が挙げられることが多い、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉にも通じます。彼は『自分が何を知らないかを知ることが最も重要だ』という趣旨の有名な言葉を残しています。この言葉は日本では『無知の知』と訳されていることが多いですが、これは『不知の自覚』の誤訳だと唱えている学者もいます。
 
 ソクラテスよりも少し前の時代の論語の為政第二に孔子の言葉として、『誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也』が有名ですが、哲学と儒教には共通点が多く、人間の本質を突き詰めると、同じようなところに行きつくことが分かります。
 
 要するに、孔子もソクラテスも『まずは知らないことが何かを把握することが物事を理解するための第一歩である』ということを、名言として残しています。この名言を胸に、適切な知識とバランスを持ってAI倫理問題に取り組んでいくことが、情報・AIリテラシーを身に着けるための第一歩です。このように知ったかぶって、論語を解説する筆者のような人物のことを、『論語読みの論語知らず』と言います。


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