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知的ロス問題:持続可能な未来を阻む見えない敵

 近年、フードロス問題がSDGs関連で注目されていますが、2024年8月から新たに知的ロス問題が地球規模課題として浮上しています。この環境問題は、デジタル社会で日々膨大なアイデアが生まれるものの、その多くが『ボツネタ』として埋もれ、電子データとして無駄にされている現状を指します。

 そこで、知的ロスを減らすために、ぷりぷり市の本田すのう市長が立ち上げた『あなたのボツネタ大募集!下書き再生工場』というプロジェクトが注目を集めています。このプロジェクトは、活用されず眠っているボツネタを知的財産としてリサイクルし、再び日の目を見させる試みです。

 例えば、『体は人間、知能はニワトリ』という斬新な概念も、再利用されなければ知的ロスの一部になってしまうのです。人間の脳は摂取したエネルギーの約20%を消費しており、アイデアがボツになるたびにそのエネルギーも無駄になるのです。

 もし世界中の80億人が毎日ボツネタを生み出し続けているとしたら、その知的ロスは、日本の人口の10倍に相当する約16億人が1年間で消費するエネルギーに匹敵します。もはや個人の問題ではなく、地球全体に影響を与えるSDGsの重要課題です。

 私たちは『未来のためにできること』として、ボツネタ再生に目を向けるべきです。たとえ一見ボツネタのように思えるアイデアでも、知的資源として再利用することで、持続可能な社会への道を切り開けるのです。

 なお、SDGsと『体は人間、知能はニワトリ』に関する先駆者として、早時期 仮名子さんが知られています。

なんのはなしですか

体は人間、知能はニワトリ:持続可能な混乱

 最近、我が町では『体は人間、知能はニワトリ』という新しい生物が誕生しました。いや、誕生というより実験的に作られたようです。町長が『SDGsを達成するための画期的なイノベーションだ!』と胸を張っていますが、正直、『人間✕ニワトリ』のハイブリッドで飢餓ゼロがどう実現するのか、私には全く想像がつきません。

 かつて、日本政府は『ノミの心臓、サメの脳みそ』のハイブリッドである、森喜朗元首相を擁立していました。

 森元首相は、2005年4月にモロッコ、チュニジア、アルジェリアのマグレブ諸国を訪問しました。それ以来、MENA(中東・北アフリカ)関連の会合で顔を合わせるたびに、昭和30年(1955年)に流行った『♬カスバの女』をアカペラで歌いだすので、かなり迷惑をしています。MENA関係者全員が、『ああ、森喜朗あるある』と思っていることでしょう。

 この曲は一番がアルジェリアのカスバから始まり、三番で『明日はチュニスかモロッコか、泣いて手を振る後ろ影、外人部隊の白い服』と続きます。森元首相の『サメの脳みそ』的には、一番から三番まで全て歌わないと、アルジェリア、チュニジア、モロッコの三カ国を制覇したことにならないようで、毎回、三番まで聞かされるのは正直なところ辛いものです。

 この経験から、日本にはすでに『ノミ✕サメ』のハイブリッドが存在しているため、『人間✕ニワトリ』のハイブリッドも技術的には可能だと考えました。さらに、この生物が本当に人間の体を持っているなら、うちの町のオフィスで働かせたらどうなるだろう、と想像したのです。なぜなら、時折ニワトリ並みの思考回路を持つ職員がいると感じる瞬間があるからです。

 次に気になったのは、この『人間✕ニワトリ』がSDGsにどれだけ役立つのかということです。町長は『自己認識が低いのでストレスなく働ける!』と豪語していますが、彼らが廊下をキョロキョロと歩き回り、時折『コケッ』と鳴く姿を見ると、心配にならざるを得ません。書類を手にしてもペックペック突くだけで進展はなし。『飢餓ゼロ』どころか、書類の山も減りません。

 しかし、もしかすると、この混乱こそが持続可能性なのかも知れません。未来のために大胆なアイデアを試す過程で混乱が生じるのは、創造力を刺激し、新たな道を切り開く原動力になるからです。

持続可能な混乱から生まれる未来

『体は人間、知能はニワトリ』は、持続可能な未来に向けて新しいアプローチを試す中で混乱が伴うことを示しています。たとえ一見ボツネタに見えるアイデアでも、再利用することで持続可能な社会に貢献できるのです。

 本田すのう市長の『あなたのボツネタ大募集!下書き再生工場』は、この精神を体現しており、未来への一歩を切り開く鍵となるでしょう。

 もしかしたら、その日は『人間✕ニワトリ』が地産地消を実現し、書類の山がついに片付く瞬間かもしれません。いずれにせよ、笑いながら持続可能な未来に向けて歩んでいく。それこそが私たちにできる最も意義深い一歩なのです。

武智倫太郎

《特別付録》

 以下にリンクしてある記事は、真面目に書いたSDGs関連シリーズです。『文藝春秋SDGsエッセイ大賞2024』の無理ゲーなところは、SDGsには17の目標の下に169のターゲットが設定されており、それぞれのターゲットを解説するだけでも膨大な論文や著書が存在することです。つまり、著書1000冊以上に相当する内容を、1000文字以下でまとめろという応募条件なのです。

 こうした中途半端なエッセイコンテストが開催されると、SDGsの17目標すべてにコミットしている私のような事業者は、逆に何を書けばよいのか迷ってしまいます。その結果、何が起こるかと言えば、SDGsの実務を理解していない多くの原稿がボツとなり、これが知的ロス問題をさらに悪化させるのです。

 さらに、このエッセイコンテストの審査員の中に、少なくとも私以上にSDGsや、環境・エネルギー問題、或いは、アフリカ諸国の貧困や飢餓問題や、人権問題などに精通している人物がいるのでしょうか? 審査能力に対しても大きな疑問が残るコンテストです。

武智倫太郎

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