文豪シリーズ:異邦人の変身
今朝、ムルソーが目を覚ましたとき、彼は自分がベッドの上で一匹の巨大な虫に変っていることに気づいた。昨日のことか、あるいはそれ以前のことかは定かではなかった。養老院からの電報には『キミハ スデニ、ムシ ニ ナッテ イル』とだけ書かれていたが、それが何を意味するのか彼には全く理解できなかった。
異邦人のムルソーは自分が虫に変わってしまったという現実を、太陽の下で熱を帯びていくアルジェの街の風景と共に、淡々と受け入れていた。彼は窓の外から聞こえるアラブ人たちの声をただ聞き流し、自分の存在がかつての人間社会とは完全に切り離されていることに気づいた。彼の中の何かが変わったことを感じながらも、その変化に対する違和感は次第に薄れていった。
やがて、ムルソーは衝動的にベッドを抜け出し、アルジェの街を歩き始めた。彼の短い足で歩くと、砂の熱さが甲殻を通じてじわじわと伝わってきたが、それさえも彼にとっては意味のない感覚だった。通りを行き交うアラブ人たちは彼を認識することなく、自分たちの日常に戻っていく。ムルソーは、その存在がまるで無であるかのように感じ、どこにも属さない漂流者のように街をさまよった。
ある日、彼は海岸にたどり着き、波打つ海を眺めた。太陽の光が海面に反射し、彼の甲殻に奇妙な光を放ったが、ムルソーにとってそれもただそこにあるというだけの事実に過ぎなかった。彼が人間であった頃、この海に何らかの感情を抱いていたかもしれないが、今はもうその記憶すら曖昧だった。ただ、目の前に広がる景色が彼の全てであり、それ以外は何もなかった。
突然、背後から声がした。『ムルソー、お前がやったんだな?』振り返ると、アラブ人が彼を指さしていた。何のことか全くわからないムルソーは、そのまま再び海を見つめた。アラブ人は『お前が太陽の下で殺したんだろう?』と執拗に問いかけてきたが、ムルソーはそれに対して何の感情も抱くことなく、ただ太陽の熱を感じていた。
やがて、ムルソーは裁判所に連行され、人々に囲まれることとなった。法廷では、裁判官、検察官、弁護人、そして傍聴人たちがムルソーを凝視していた。しかし、彼らの目に映るのはかつてのムルソーではなく、ただの虫に過ぎなかった。それでも、彼らは彼を人間として扱い、裁こうとしていた。
『被告人ムルソー、あなたはアラブ人を殺害したとされ、その責任を問うためにここに立っている』と裁判官が罪状を説明した。しかし、その言葉はムルソーにはただの音にしか聞こえなかった。人間であった頃の記憶が曖昧になり、自分がなぜここにいるのかさえ理解できないまま、ムルソーはただそこにいた。
『ムルソー氏が変身したことにより、彼の責任能力は失われました。彼はもはや人間ではなく、彼を裁くことは法の精神に反するのではないか?』と弁護人が主張したが、この主張も空虚に響くだけだった。誰もムルソーが虫であることに気づいていないかのようだった。
『被告が虫であろうと、彼が犯した罪は消えません。我々は、その責任を問う必要があるのです!』と検察官は反論し、法廷内の議論は激しさを増していった。ムルソーの責任能力に対する議論が続いたが、それはまるで無限に続くように感じられた。
ついに裁判官が判決を下した。『ムルソー、あなたは有罪です。しかし、あなたが虫であるという事実に基づき、処罰の対象にはなりません。よって、裁判を無効とし、あなたを解放します。』
ムルソーは有罪なのか無罪なのか分からない判決で解放されたが、それは人間としての自由を意味するものではなかった。かといって虫としての不自由を意味するものでもなかった。彼はただ、何の意味も持たず、誰からも認識されることのない存在として、再びアルジェの街を歩き始めた。時間はただ過ぎ去り、彼はその中で静かに、無感覚に、生き続けるだけだった。
太陽が再び昇り、彼の甲殻に光が反射した。その光の中でムルソーはただ、そこに存在し続けた。そして、その存在が問われることもなく、ただ虚ろな日々が続いていくのだった。
武智倫太郎
【自己解説】
フランツ・カフカの『変身』(1915年)と、アルベール・カミュの『異邦人』(1942年)を、ミックスしたらこのような作品になってしまいました。
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