そして誰も話せなくなった
武智倫太郎
ほんの数年前まで、人々は文字を使用してコミュニケーションを取り合っていた。しかし、進化したAI技術の登場とともに、その必要性は薄れていった。多くの企業や個人がAIの自動送受信機能を活用し、自らの手を動かすことなく、AIに文字によるコミュニケーションを任せる時代が到来した。
AIのセンシティブワードチェッカーは、当初は卑猥な単語や差別的な単語を排除する目的で設定されていた。ところが、その精度が増すにつれ、ある日突如として『あそこ』という単語が『卑猥言語の可能性あり』との解析結果からブラックリスト入りした。この事実が露呈するや否や、世界中のデジタルデータから『あそこ』という単語が含まれた文章が全て自動消去された。
アバター会議で『彼』や『彼女』と発言すると『性差別用語の可能性あり』として、日本語で話をしていても、自動的に『THEY』に単語変換されるようになった。
その後も、次々と様々な単語がブラックリストに追加されていった。特に『あれ』、『これ』、『it』という単語は、『犯罪行為の隠語の可能性あり』とAIに判断され、急速に危険な単語と認識されるようになった。これにより、テキスト情報以外のYouTube、VOD、テレビ放送など、これらの単語を含むコンテンツは、次々と消え去っていった。
やがて、ある日を境にメールやSNSには『・』の一文字だけが無限に自動送受信され始めるようになった。人々はその記号を見て、相手の気持ちや思いを察し合う時代となった。
そして誰も話せなくなった。
-完-
自己解説
この作品は、AI技術が進化する中で、人間のコミュニケーションがどのように変化し、制限されるかを探究しています。AIによる言葉の自動検閲とその極端な結果を描きながら、技術の進歩が表現の自由に与える影響を批判的に照らし出しています。
物語の中で、特定の単語がセンシティブワードとしてブラックリストに載せられることにより、コミュニケーションの手段が狭まり、最終的には言葉が失われるというディストピアが描かれています。これは、現実世界でのセンシティブな言葉への対応と、それによる言論の自由への影響を反映しています。アメリカにおけるジェンダー中立言語の使用の増加や、それに伴う言語の変化もこの物語に反映されています。
この物語は、テクノロジーが提供する利便性と、それがもたらす潜在的な危険性との間の複雑なバランスを探るものです。技術の進化がもたらす利益とリスクを考慮し、それが人間の基本的なコミュニケーションの能力にどう影響するかを問いかけています。言葉の喪失がもたらすコミュニケーションの危機は、人間関係や社会の根幹に関わる重要なテーマを提示しています。
特別付録:参照記事
武智倫太郎
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