応援されるブランド・インタビュー【第4弾】弁慶丸
鳥取県賀露港で漁師直送の鮮魚通販をスタートさせ、いち早く漁業の6次化に着手した株式会社弁慶丸の河西信明氏。
産地と消費地で二重のセリを経るという漁業特有の複雑な流通システムにメスを入れ、
「日本海で水揚げされた天然魚のみ取り扱い」
「魚を捌かずに丸のままお届け」
「翌日に届かない地域には送らない」
というこだわりの“鮮魚通販・弁慶丸とれたて直送便”を15年間で7万セット以上販売。
さらに新規注文の限定セットは常に完売状態という人気振りです。
楽天などのモールに依存せず自社サイトだけで販売を確立するスタイルは、様々なメディアから取材され、全国の漁業関係者だけでなく、農業など他の一次産業生産者からも熱い視線が注がれています。
漁師直送のパイオニアはどのようなブランド戦略を描き、どのようにして周りから応援され、成長してきたのか。
創業からこれからのビジョンに至るまで、エイドデザインが伺いました。
<インタビュー記事・コンテンツ>
1. トップセールスマンから漁師への転向
2. 漁師は意外と食えない職業?
3. 貯金の底がついたサイト黎明期
4. 売上とともに増える揉め事
5. 応援されるには徹底した○○○○
6. 家族の絆をつなぎ直すというミッション
7. LTVを高める顧客の○○○づくり
8. お客様のニーズの変化を読み取る
9. 応援され続けるために必要な仕組み
10. 自分にウソをつかないという信条 ←一番泣けたシーンでした
11. 漁師通販の再現性を阻む原因
12. 蹴落とし合うのではなく、磨き合う
1. トップセールスマンから漁師への転向
AID:河西さんは元々は関西のご出身なのですよね?
河西氏:はい。大阪府東大阪市の出身で関西大学を卒業してから、大阪の中堅住宅メーカーに就職しました。
AID:どのようなお仕事だったのでしょうか?
河西氏:営業として採用され、まず大阪府堺市にある住宅展示場に配属されました。
しばらくすると、そこの展示場で店長と営業成績No1の二人が、新人の契約を横取りしていることを知ったのです。そんなことをしているので、3年連続で新入社員が1年で辞め続けていたのです。
私は泣き寝入りするタイプの人間ではないので、「おかしいじゃないですか!」とその二人に詰め寄って言い争いになりました。
AID:えっ?新入社員がいきなり営業トップの二人とですか?
河西氏:はい。それで「じゃあもういいです。あなた方には頼りません。自分で契約を取ってきます!」となり、そこからは展示場に一切行かず、営業会議にも全く出ず、一人で飛び込み営業を始めました。
生意気盛りで若気の至りです(笑)。
ただ、お客様を見つけることはできたのですが、新入社員なのでその後に何をすれば分からないのです。今考えると当たり前の話ですよね(笑)。
それで困っていると、他の支店で店長をされていた後藤さんという方が「俺が引き取ってやる」と言って下さり、7月に人事異動になったんです。
AID:4月に入社して7月に人事異動ですか?
河西氏:ええ(笑)。それでも今の職場から逃げるような形になるのがイヤだったので、結果を出すまで1ヶ月くらい異動先の支店には行きませんでした。
その支店に異動した後は、在籍8年間でセールスコンテストに6回入賞できたり、他メーカーに競合負けしない記録を2年以上打ち立てることができました。
それもこれも、私を拾ってくださった後藤さんから営業のノウハウをゼロから教えていただいたお陰です。当時教えていただいた仕事への取り組む姿勢は、今のビジネスの根源になっています。本当に後藤さんとの出会いが大きかったですね。
AID:住宅会社のトップセールスマンから漁師へ転向するきっかけは何だったのでしょうか?
河西氏:偶然見つけた鳥取での漁業体験がきっかけです。
海との関わりはストレス発散のために、仲間同士でバーベキューや素潜りをして遊んでいる程度でしたが、何事もこだわる性格なので「もっと素潜りの腕を上達させたい」と思い、漁師になるつもりは全くなく、漁業体験へ申し込みしました。2001年8月のことです。
AID:素潜り漁の体験だったのですか?
河西氏:いえ。それが今回の体験募集は、底びき漁とイカ釣り漁だけだったんです。それを知った時にはテンションが下がりました(笑)。
ただ、底びき漁を体験したのですが、それがもうすごかったんです!
網を引き上げた瞬間に船一杯に魚がピチピチと跳ねる光景を見て、「おおお!すげえ!!」とただただ感動していました。あと、生身の体ひとつで自然に向かっている漁師さんが格好良く見えたんです。
AID:そこからすぐに漁師へ転向しようと思われたんですか?
河西氏:いえ。その時はまだ「良い体験ができたなあ」という程度でした。
ただ、一緒に漁業体験をした仲間がかなり本気だったので、その人たちと情報交換している内に徐々に漁師の世界へあこがれを持つようになりました。
…とはいえ、今の生活もありますし、仕事もお客様もいたので自分はすぐには行けないあなと思っていた矢先、会社が買収されて会社全体が変わることになったんです。
そこで吹っ切れてスイッチが入りました。よし、漁師をやるぞと。そこからは急転直下で物事が進んでいきました。
AID:一体何があったのですか?
河西氏:まず、その時付き合っていた彼女(妻)に2年間の漁師研修に行くことを伝えました。
それが2001年12月のことです。彼女にはそれまでそれとなく「漁師になりたい」というアピールをしていましたが、「はあ?」という感じでしたので、遠距離恋愛になる覚悟で伝えると「じゃあ、私もついて行こうかな」と言われ、急遽結婚することになったんです。
そこから妻のご両親にいきさつを説明し、翌年の3月に結婚、4月1日に鳥取に移住しました。
AID:わずか3ヶ月の間に仕事の引き継ぎ、結婚、転職、移住とは正に急転直下ですね。移住されてからすぐに漁師研修が始まったのですか?
河西氏:はい。2002年4月から漁師研修が始まり、2004年9月に弁慶丸を建造し、独立開業しました。
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こちらは弁慶丸の河西 信明さんとの対談動画です。