あなたは、どんなふうに生きてきたのか。そして、どんなふうに生きていくのか。『ロボット・ドリームズ』
そこにどんな物語が描かれているかよりも。そこでどんなキャラクターが魅力を放っているかよりも。映画そのものがメッセージを超えたサムシングを語りかけてきたとき、わたしたちは感動する。逆に言えば、どんなによく出来ているストーリーも、どれだけ愛すべき被写体も、こうした本質がなければエモーションには到達しない。
1980年代のニューヨークにオマージュを捧げながら、LGBTQ +なども視野に入れた現代的感覚をフラットに付与したアニメーション。そんなふうに書くと「意識高い系?」と勘違いされるかもしれないけれど、ヒップホップ黎明期の、まだワイルドな頃のNYを、穏やかなセンスに満ちた動物たちが暮らす街として再構築したこの映画は優しい。しかし、観客に対して過保護ではない。何かを押しつけたりしないのは、きっと、ひとりひとりがひとりで考えることが望ましいと作品が考えているからだ。そこに『ロボット・ドリームズ』という人格がある。
ことさらネガティヴに受けとめているわけではないが、さみしさを感じている犬がテレビショッピングで友達ロボットを購入。自分で組み立てて可動させ、たちまち仲良くなる。ひとりぼっちだった犬の毎日はカラフルに色づきはじめる。公園で一緒に踊ったことは忘れられない想い出に。しかし、幸せな日々は長く続かない。ビーチで起きた不可抗力の出来事で、犬とロボットは生き別れてしまう。
離れても互いを想いあうふたりは、友情を超えた愛で結ばれているかのようだ。タイトル通り、ロボットは再会を夢見、犬は思い通りにならない現実に幻滅する。そして、初めてかもしれない怒りや悲しみを体験し、涙を流す。
ここまでの道のりを読んだあなたは「メロドラマ?」と思うかもしれない。だが、本作の主眼はふたりの関係性の行方に置かれているわけではない。
「自分を見る」、むしろこの一点に向きあっている。ロボットにとっての夢が逃避ではなく、未来への不安のリアライズであること。犬にとっての現実(そこには錯覚や幻視も含まれる)が、かつて以上の「たったひとり」に直面するということ。
これは、すれ違いのメロドラマではなく、想いあうことから生まれる孤独こそを見つめ掬いとるビターな作品。それを受けとりやすくするために、キュートな造詣やカラフルな色彩が選ばれている。さらに驚くべきことに台詞は一言なく、ただひたすら、画だけで語りかけてくる。ときおり犬のため息やロボットの鼻歌が聴こえてくるだけだ。しかし、言葉に置き換えられないサムシング=本質は、たとえようもなく深い。
あなたは、どんなふうに生きてきたのか。そして、どんなふうに生きていくのか。
そんな問いかけすら、スマートに、柔らかく提供する極上の映画。個人的には本年度ナンバーワンだと確信している。