プロとは、いつでもアマチュアに戻れること。映画『アトムの足音が聞こえる』
『アトムの足音が聞こえる』
「……あなたは知らない」ーーあたかも宇宙から到着したメッセージのように、野宮真貴のナレーションは繰り返す。その彼方からの言葉の反復が、その呪文を思わせる響きが、わたしたちをどこかに連れ去っていく。
そんな鈍い予感で観る者を震わせながら幕を開ける『アトムの足音が聞こえる』はしかし、決して夢幻の時空を派生させはしない。徹頭徹尾、抽象を斥け、具体を積み重ねる。そう、本作は何よりもまず、記録映画なのだ。
伝説の音響デザイナー、大野松雄の消息を追う本作は、映画における音響とは何かをきわめて具体的に明示した上で、大野の偉業、というよりは異形の道のりを関係者の証言から辿っていく。一九六三年、TVアニメーション「鉄腕アトム」の音響構成を手がけた大野は、まだ「動く漫画」でしかなかった乳児のごときメディアに「世界」を贈った。楽器ではなく機械によって作り出される電子音楽にインスパイアされた彼は、現実には存在しない音を作り出し、それを映像に付与することによって、ここではないどこかに向かうための道標を立ち上げたのだ。合金製であるはずのアトムの「足音」は、ひょこんひょこんとバウンスする物質感とキュートな浮遊感との不可思議な融合によって、かたちづくられている。ありきたりのリアリズムよりも、観る者の胸に確実に届く音、こころを捉えて離さない音がそこにあった。手塚治虫に大野松雄を紹介した竹内一喜の言葉をかりれば、大野は「音に人格を与えた」のである。
後世のアニメ、たとえば「サザエさん」「ドラえもん」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などに決定的な影響を与えながらも、アニメ業界の住人にはならなかった大野はドキュメンタリーなどを手がけるようになるが、あるとき表舞台から姿を消す。
「彼はいました。みつけました。生きていました」ーー野宮真貴がそう告げ、映画は後半に突入する。大野松雄はある場所で活動していた。彼が画面に姿をあらわす瞬間、その名前がクレジットされる瞬間。鼓動が静止したまま高鳴っているかのような前代未聞の情感が画面にみなぎる。一九三〇年生まれの大野よりも四十五歳年少の冨永昌敬監督の天才が、音の巨人の真髄に接近していく。『亀虫』(二〇〇三)から『乱暴と待機』(二〇一〇)まで唯一無二の映像=音響世界を構築してきた冨永はけれども、一切のギミックを排して、いわば素手で水をすくうように大野の現在と言動を見つめる。冨永は、大野のいまと過去を線で結びつけない。彼の人生をまとめない。点と点、いや、星と星のように事象と事象を配置し、その距離とパースペクティヴから大野松雄という名の宇宙を体感させる。それは讃美や敬意などという恣意的なものではない。顕微鏡を覗きこむフラットなまなざしによって初めて可視化しうる、具体の丹念な堆積に他ならない。
大野は「プロであること」について何度か繰り返し述べる。そのひとつは「いつでもアマチュアに戻れること」である。論理ではなく、ひらめきのひとでありつづける彼はけれども、職人とは別種の「プロの矜持」を己に課し、「厳格なゆらぎ」のなかに生きている。
彼がいま、どこで、何をしているのか、それはあえて書かずにおこう。かつて手塚治虫を「素人はすっこんでろ」と黙らせた大野松雄は、鋭利な信念を隠し持ちながら、広大な荒野に依然存在しつづけている。円熟と無縁の、誰とも闘うことのない孤高の姿勢を貫いている。
冨永は「本物よりも本物らしい音。それが効果音である」と定義しているが、それはつまり、リアルを超えるリアリティは確かに実在するということでもある。『アトムの足音が聞こえる』は、フィクションよりもフィクショナルな映画である。八十歳になった冨永昌敬がどんなものを撮っているか。いまはそれが楽しみでしょうがない。
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