2024年1月の記事一覧
そのひとだけのもの。『夜明けのすべて』の松村北斗について。
『夜明けのすべて』は、映画俳優としての松村北斗、最初の完成として後世に伝えられていくだろう。
人が人を演じるとはどういうことか。ここには、その根源の魅力が記録されている。
松村北斗はここで、パニック障害に陥った青年の、あたらしい日常をかたちづくっているが、そうした設定や状況に意味があるわけではない。見つめるべきは、もっともっともっと単純で普遍的なかけがえのなさである。
たとえば。
彼の歩き
なぜ、綾野剛を見つめることはこんなにも切ないのだろう。『カラオケ行こ!』
綾野剛は、人物の背景を探索したくなる芝居をする。
映画で描かれる物語の歴史より、そこに登場する人物の歴史のほうが長く厚みがあるに決まっている。だが、わたしたちはそれを忘れたふりをして、映画を観ている。
だが、綾野剛は、ふと立ち止まらせるのだ。
この人物は、どこからきたのか?
何があって、いまこうしているのか?
この物語に辿り着くまでの軌跡と道程に想いを馳せることになる。
『カラオケ行こ!』
わたしたちは「無用の用」で出来ている。『まなみ100%』が教えてくれること。
無用の用。
体操部顧問教師の一言がじわじわと波及し、地を固め、やがて青春の走馬灯へとたどり着く。打ち上げ花火の枝垂れ柳、その先端の儚さがこの映画にはあって、それが朽ちることのない余韻となる。
とはいえ、教条主義的な作品ではない。言葉が象徴するものはあるが、描写が言葉に支配されていない。それは、主人公の造形に練り込まれた、自由と節度の仲良し具合によるものだろう。
男の子と五人の女の子たち。そ