インド旅③バラナシに友人を置いてデリーへ
5日目、バラナシで友人が40度の高熱を出し、一人で食べたカレー
それまでの都市より田舎で生活水準も下がった感じがあったバラナシで急に一人になって衛生面の保証が何もないカレーを出されて、自分も激しい腹痛を起こすかもしれないという不安のまま、でもアグラから夜行バス、オートリキシャ、サイクルリキシャを乗り継いでやって来て朝から何も食べていなかったからお腹は空いていて、スプーンをふきふき、食べなければ、と、真ん中のカレーをそっと一口食べた。
瞬間、涙が止まらなくなった。
美味しくて。あたたかくて。
それまで別に張り詰めていたつもりはなかったけど、張り詰めていたものが決壊したみたいに泣きながら食べた。机にあったペーパーを涙で使い切ってしまったので、サーブしてくれた男の子(それはまさしく子どもであった)にペーパーを頼んだら、丁寧に折って用意してくれた。私はそれを大切に使った。
しばらく食べていたら後ろから「イタダキマース!」と声がかかり、見ると厨房から出てきたお父さんだった。私がなぜかぐちゃぐちゃに泣いているのを見て彼は少し目を見開いて、「ユックリ、ユックリ!」と言ってくれた。なぜ彼はそんな日本語を知っていたのだろうか?私の涙足はまた、速くなった。
帰り際に思わずチップを渡したら、「オイシイ?マタ来マス?」と言ってくれた。きっと、彼と会話をした数々の日本人が「いただきます」「美味しい」「また来ます!」と言ったのだろう。私はもうその日の夕方にバラナシを去る予定にしていた。でも来るかもしれないと思い、期待も込めてメイビーと言って店を去った。結局、翌日のデリー発の飛行機に乗らなければ仕事に間に合わないので、心苦しかったが友人をバラナシのホステルに預け、その日の夜行でデリーへ向かうことにした。
きっと、いつかまた気が向いたときに行けばいいのだと思う。ゆっくり、ゆっくり。
バラナシから実に12時間以上寝台バスに乗り、デリーに着いた。
1人になったので、それまでオートリキシャ一択だった足を、さらに割安のバイクにしてみようかなとちらと思った。インドの人はみんな運転がお茶の子さいさいであれだけの交通量がありながら一度も事故を見なかった、が、こちらの問題でバイクに足を巻き込んだりする可能性を危惧してやめておいた。一生オートリキシャ生活。実際、屋根があり、かつ風は通るので、かなり快適である。
Uberでオートリキシャが見つからなすぎたり暑すぎて待つのが億劫だったりで流しも何度か使ってみた。
ぼられていたかもしれないが、日本のタクシーの感覚に立って言えば(ほとんど)みんな格安で乗せてくれたので文句は言うまい。
まあ全体的に誰も信用できないが、だいたい話半分に聞いておけばいいだけの話である。
目的地の遺跡を言ったら、250ルピーで連れてったる、ショッピングにも寄ったる、と言われて、(店からバックをもらうやつだな)と思ったが、ちょうど最終日でショッピングしたい時間だったのでとりあえず連れて行ってもらった。私が高価な布製品ではなく紅茶を買おうとしているのを見て萎えたのだろう。紅茶を値切って買って店を出たら、待っててくれているはずのオートリキシャはいなかった。
やけに適正価格だと思ったら後から恰幅のいいおじさんがやってきて相乗りだったことも。このおじさんに職業を聞いたらdoctorだった。やっぱりな。
喧嘩したければ喧嘩すればいいし、仲良くしたければ仲良くすればいいだけの、そんな国、インド。
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