この小説ーアガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で遺したロマンス小説の頂点ーについて、作中のソネットを絡めて解説しているサイト及びブログが、想像していたほどはなかった。
ので、自分なりに感じたことを僭越ながら書き留めておこうと思う。
ソネット98 :ジョーンtoロドニー 春
まず、「春にして君を離れ」という題名がシェイクスピアのソネット(十四行詩)からの引用であることを私のような事前知識を持たぬ読者が最初に知るのは、第5章のことである。
と言って主人公ジョーンがふと吟じたのが、「春にして君を離れ」という一節。
シェイクスピアのソネット98『From you』からの引用である。
https://poetry.hix05.com/Shakespeare/ss098.html
こちらのサイトの訳が読みやすかったので引用させていただいた。
さて、この詩は「君のいない春なんて虚しいだけだ」といったことを言っている。
初老の主婦であるジョーンがこの詩とともに思い出すのは、愛すべき夫ロドニーのこと。
あなたのいない旅はなんて寂しいのかーー今は11月だけれどーー
とここでジョーンはある恐ろしいことを思い出すわけだが、読者目線でも一つ思うのは、なぜジョーンが11月にこの詩をいきなり思い出したのか、ということ。
ソネット98では、春を"proud-pied"/誇りに満ちた…と表現している。
よもや、
ジョーンはこの11月、この砂漠、この蜃気楼、この孤独に満ちた旅ーを、誇りに満ちた春として認識していたのではあるまいか?
ーーーゾゾっ。
実際、のちのジョーン自身の語りで、「娘夫婦に歓迎される母親としての己」への陶酔が自覚されている。
…まあ、私はこんな話をしたかったのではない。
ソネット18 :レスリーtoロドニー 夏
続いて、レスリー・シャーストンがロドニーと四フィートの間隔を持ったまま呟いた、こちらの一節。
「汝のとこしえの夏はうつろわず」
ソネット18『Shall I compare thee』からの引用。さっきの春とは対比的に、夏と「あなた」の比較である。
関係ないけど、thee=youとか、hath=hasとか、英語にも古語があるんですね。当たり前といえば当たり前だけど、知らなかったから新鮮。
この詩を引用したレスリーが、「thee」に余命短いレスリー自身のことを重ねたのか、既婚者であるロドニーのことを重ねたのかで少し迷ったが、ロドニーのことを言ったのだと仮定する。
そうすると、チャールズ・シャーストン(レスリーの夫)という横領を働いた銀行員のことを、荒々しくて短い夏に喩えているという見方すらできる(ここまで言うとこじつけの向きは否定できないが)。
なんにせよ、レスリーにとっては人のものであって手出しのできないロドニー、四フィートから踏み込んではいけないロドニー、農業の話なんかを楽しそうにするロドニーに、永遠に消えない夏の美しさを見ているのだ。
ここで「春にして君を離れ」のジョーンを想起すると、ロドニーとの物理的な距離はいつだってレスリーよりジョーンの方が近かったはずなのに、ジョーンはロドニーとお互いが見えないところにいるわけだ。
ジョーンは弁護士事務所にいるロドニーの「影」と春を見ている。
レスリーは農業の話をするロドニーに永遠の夏を見ている。
哀しいね。深い深い苦しさだね………。
ソネット116 :ロドニーtoレスリー 心の婚姻
ここまで整理して、結局ロドニーが一番残酷じゃねえかと気づいたのだ。
というのも、ロドニーは、(レスリーに言われた)「汝のとこしえの夏はうつろわず」って「実ある心の婚姻」ってヤツだったっけ?ととぼけたことを聞いているのだ。あろうことか妻ジョーンに向かって。
「実ある心の婚姻」ってヤツは、実際はソネット116『Let me not to the marriage』の一節である。
ヒドイ!!ヒドイよロドニー!!!
子供たちや使用人たちにも愛されて、ずっと常識人枠だと思っていたのに、最後のページで「君はひとりぼっちだ。これからも恐らく。」などという爆弾モノローグを落としていったばかりか、レスリーが自分に言いたかったのはこういうことかな?と、夏の詩よりも深いところでの愛(だと私は感じた)を詠った詩を持ち出しているのだ。
「ロドニーthink:レスリーtoロドニー」はつまり、「ロドニーtoレスリー」と同義である、少なくともこの場合においては。
ロドニーはレスリーに心の婚姻を求めた。
ジョーンには………。
お互いが良くなろうと努めなかったのだ。いつも自分が正しいジョーンと、いつも自分がかわいくてかわいそうなロドニー。いたたまれない。
レスリーが早くに亡くなるのもずるいのだ。死んだ人にはもう勝てない。
あゝ、プア・リトル・ジョーン………。