『春にして君を離れ』と3篇の詩

この小説ーアガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で遺したロマンス小説の頂点ーについて、作中のソネットを絡めて解説しているサイト及びブログが、想像していたほどはなかった。

ので、自分なりに感じたことを僭越ながら書き留めておこうと思う。

ソネット98 :ジョーンtoロドニー 春

まず、「春にして君を離れ」という題名がシェイクスピアのソネット(十四行詩)からの引用であることを私のような事前知識を持たぬ読者が最初に知るのは、第5章のことである。

いやだわ、どうしてこう取りとめのないことばかり考えるのだろう?もう少し詩でも暗誦してみようかしら?楽しいことだって、一つくらいは思い出せそうなものだ。

春にして君を離れ 中村妙子訳 岩波書房 p124


と言って主人公ジョーンがふと吟じたのが、「春にして君を離れ」という一節。

シェイクスピアのソネット98『From you』からの引用である。

From you have I been absent in the spring,
  When proud-pied April dress'd in all his trim
  Hath put a spirit of youth in every thing,
  That heavy Saturn laugh'd and leap'd with him.

  Yet nor the lays of birds nor the sweet smell
  Of different flowers in odour and in hue
  Could make me any summer's story tell,
  Or from their proud lap pluck them where they grew;

  Nor did I wonder at the lily's white,
  Nor praise the deep vermilion in the rose;
  They were but sweet, but figures of delight,
  Drawn after you, you pattern of all those.
  Yet seem'd it winter still, and, you away,
  As with your shadow I with these did play:

春の間私は君と離れて過ごした
  誇らしげな四月は色鮮やかな装いのうちに
  萬物に青春の息吹を吹き込み
  陰気なサターンでさえ笑いかつ踊ったほどだ

  だが鳥たちの歌声を聞いても 
  色も香もとりどりな花の匂いをかいでも
  私はさわやかな話をする気になれなかったし
  ほころびた花を摘み取る気になれなかった

  白い百合の花を見ても心動かず
  深紅のバラを見ても素敵だと思わなかった
  それらはただ甘いだけ その姿は君を真似しているだけだ
  君はあらゆるもののお手本なのだから
    私にはまだ冬のままに思える だから君がいないなら
    これらを君の影だと思って戯れ遊ぼう

https://poetry.hix05.com/Shakespeare/ss098.html

こちらのサイトの訳が読みやすかったので引用させていただいた。

さて、この詩は「君のいない春なんて虚しいだけだ」といったことを言っている。

初老の主婦であるジョーンがこの詩とともに思い出すのは、愛すべき夫ロドニーのこと。

あなたのいない旅はなんて寂しいのかーー今は11月だけれどーー

とここでジョーンはある恐ろしいことを思い出すわけだが、読者目線でも一つ思うのは、なぜジョーンが11月にこの詩をいきなり思い出したのか、ということ。
ソネット98では、春を"proud-pied"/誇りに満ちた…と表現している。

よもや、

ジョーンはこの11月、この砂漠、この蜃気楼、この孤独に満ちた旅ーを、誇りに満ちた春として認識していたのではあるまいか?


ーーーゾゾっ。

実際、のちのジョーン自身の語りで、「娘夫婦に歓迎される母親としての己」への陶酔が自覚されている。

…まあ、私はこんな話をしたかったのではない。


ソネット18 :レスリーtoロドニー    夏

続いて、レスリー・シャーストンがロドニーと四フィートの間隔を持ったまま呟いた、こちらの一節。

「汝のとこしえの夏はうつろわず」

ソネット18『Shall I compare thee』からの引用。さっきの春とは対比的に、夏と「あなた」の比較である。

  Shall I compare thee to a summer's day?
  Thou art more lovely and more temperate.
  Rough winds do shake the darling buds of May,
  And summer's lease hath all too short a date.
  Sometime too hot the eye of heaven shines,
  And often is his gold complexion dimm'd;
  And every fair from fair sometime declines,
  By chance or nature's changing course untrimm'd;
  But thy eternal summer shall not fade
  Nor lose possession of that fair thou ow'st;
  Nor shall Death brag thou wander'st in his shade,
  When in eternal lines to time thou grow'st:
    So long as men can breathe or eyes can see,
    So long lives this, and this gives life to thee.

関係ないけど、thee=youとか、hath=hasとか、英語にも古語があるんですね。当たり前といえば当たり前だけど、知らなかったから新鮮。

  君を夏の一日と比べてみようか
  君のほうが素敵だし ずっと穏やかだ
  夏の荒々しい風は可憐な蕾を揺さぶるし
  それに余りにも短い間しか続かない
  時に太陽がぎらぎらと照りつけるけれど
  その黄金の輝きも雲に隠されることがある
  どんなに美しいものもやがては萎み衰え
  偶然や自然の移り変わりの中で消え去っていく
  でも君の永遠の夏は決して色あせない
  君の今の美しさが失われることもない
  死神が君を死の影に誘い込んだと嘯くこともない
  君が永遠の詩の中で時そのものと溶け合うならば
    人間がこの世に生きている限りこの詩も生きる
    そして君に永遠の命を吹き込み続けるだろう

https://poetry.hix05.com/Shakespeare/ss018.html

この詩を引用したレスリーが、「thee」に余命短いレスリー自身のことを重ねたのか、既婚者であるロドニーのことを重ねたのかで少し迷ったが、ロドニーのことを言ったのだと仮定する。

そうすると、チャールズ・シャーストン(レスリーの夫)という横領を働いた銀行員のことを、荒々しくて短い夏に喩えているという見方すらできる(ここまで言うとこじつけの向きは否定できないが)。

なんにせよ、レスリーにとっては人のものであって手出しのできないロドニー、四フィートから踏み込んではいけないロドニー、農業の話なんかを楽しそうにするロドニーに、永遠に消えない夏の美しさを見ているのだ。

ここで「春にして君を離れ」のジョーンを想起すると、ロドニーとの物理的な距離はいつだってレスリーよりジョーンの方が近かったはずなのに、ジョーンはロドニーとお互いが見えないところにいるわけだ。

ジョーンは弁護士事務所にいるロドニーの「影」と春を見ている。
レスリーは農業の話をするロドニーに永遠の夏を見ている。

哀しいね。深い深い苦しさだね………。


ソネット116 :ロドニーtoレスリー 心の婚姻


ここまで整理して、結局ロドニーが一番残酷じゃねえかと気づいたのだ。

というのも、ロドニーは、(レスリーに言われた)「汝のとこしえの夏はうつろわず」って「実ある心の婚姻」ってヤツだったっけ?ととぼけたことを聞いているのだ。あろうことか妻ジョーンに向かって。

「実ある心の婚姻」ってヤツは、実際はソネット116『Let me not to the marriage』の一節である。

Let me not to the marriage of true minds
  Admit impediments. Love is not love
  Which alters when it alteration finds,
  Or bends with the remover to remove:

  O no! it is an ever-fixed mark
  That looks on tempests and is never shaken;
  It is the star to every wandering bark,
  Whose worth's unknown, although his height be taken.

  Love's not Time's fool, though rosy lips and cheeks
  Within his bending sickle's compass come:
  Love alters not with his brief hours and weeks,
  But bears it out even to the edge of doom.
    If this be error and upon me proved,
    I never writ, nor no man ever loved.

真実の心と心が結ばれるにあたり
  障害を介入させないようにしよう
  事情が変われば自分も変わり 相手次第で心を移す
  そんな愛は愛とはいえない

  愛とは不動の目印のようなもの
  嵐にあっても 決して揺るがない
  愛とは船を導く星のようなもの
  高さは測られようと その力は無際限

  愛は時の道化ではない 愛する人の唇や頬が
  時の大鎌によって刈り取られようとも
  愛は束の間の時の中で変わることなく
  最後の審判の日まで貫くものだ
    もしこれが間違いで 私も間違っているなら
    こんなことは書かないし 愛することもしないだろう

https://poetry.hix05.com/Shakespeare/ss116.html


ヒドイ!!ヒドイよロドニー!!!

子供たちや使用人たちにも愛されて、ずっと常識人枠だと思っていたのに、最後のページで「君はひとりぼっちだ。これからも恐らく。」などという爆弾モノローグを落としていったばかりか、レスリーが自分に言いたかったのはこういうことかな?と、夏の詩よりも深いところでの愛(だと私は感じた)を詠った詩を持ち出しているのだ。

「ロドニーthink:レスリーtoロドニー」はつまり、「ロドニーtoレスリー」と同義である、少なくともこの場合においては。

ロドニーはレスリーに心の婚姻を求めた。
ジョーンには………。

お互いが良くなろうと努めなかったのだ。いつも自分が正しいジョーンと、いつも自分がかわいくてかわいそうなロドニー。いたたまれない。

レスリーが早くに亡くなるのもずるいのだ。死んだ人にはもう勝てない。
あゝ、プア・リトル・ジョーン………。

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