いつか見た風景 102
「儀式の適正化問題」
アイザック・ニュートンも錬金術の研究をしていたそうだ。研究の禁止令が出ていた18世紀に。禁を犯すと絞首刑だった時代に。
スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス
私の右肩の関節の骨に突如として現れた賢者の石。医者の見立てはカルシウムが石化していて、このまま大きくなるのを放置してると手術して人工関節が必要になるそうだ。痛みの方は薬でなんとか抑えている。神経性の痛みを和らげるプレガバリンに炎症を抑えるインフリーカプセル。問題は石化してどんどん肥大するカルシウムを溶かしてくれるというファモチジンD錠という奴だ。何しろコイツは胃炎の症状を改善する薬で、胃酸の分泌を抑える薬だからさ。それがどうやって私の肩関節のカルシウムを溶かしてくれるのかは皆目検討もつかない。
信じる者は救われるから、まずはドクターの指示通りにD錠を服用する事にした。問題はどれくらいの期間にどれくらいの量をどれくらいの間隔で飲み続けるのが正解かと言う事だ。痛みは避けたいが賢者の石の消失は正直望んではいないからね。人工関節のご厄介は本末転倒だけど痛みを伴わない適正な石の大きさをいずれ算出しなくてはなるまい。勿論ある程度の可動域を確保しながら。そうそう言い忘れたけど、右肩に賢者の石が出現して以来、私の脳の活性度は極めて良好なんだよ。何しろ賢者の石を手に入れたんだからさ。
ルネサンス期の錬金術師パラケルススの唱えたような賢者の石による不老不死を望んでいる訳ではないよ。卑金属を金のような貴金属に変える力があるなら私の不純物だらけの記憶の生成にも大いに役立つんじゃないかと思ったんだ。医者の言うように可動域確保の肩関節のストレッチも欠かせない。ゆっくりと大きく肩を回したり後ろ手で組んだ腕を上下左右に動かす日々の運動は既に儀式化されている。
日に2回、バスタブに湯を張り、儀式の準備に取りかかる。2回としたのはD錠の摂取が朝夕2回に処方されていたからで、儀式と紐付けて忘れないための最善の方法だと思われたからだ。更に大事なことは、この儀式が特別なものだと心底思える舞台装置の必要性だ。薬を飲んでバスタブでストレッチだけしたって、ただの気休めにしかならない事は先刻承知している。
私がまず選んだのは龍脳の香木だ。ボルネオやスマトラ原産のフタバガキ科の常緑大高木で、幹の割れ目に樹脂が結晶化して出来る希少の香木だよ。7世紀の中国では唐の玄宗皇帝が最上級の龍脳を楊貴妃にプレゼントしたって記録が残っているからね。スマトラの原住民が偶然発見して、コイツを額に塗ったらたちまち頭痛が治った事から神からの贈り物として中国やヨーロッパにまで広がっていったそうなんだ。だけどさ、近年じゃ乱獲や伐採の憂き目にあって国際自然保護連合(IUCN)のレッドリスト入りして絶滅寸前に分類されているそうだよ。
その龍脳を少し削って小皿に乗せ、ライターで炙ってバスタブの縁に置く。脇には画集からコピーしたパウル・クレーの「酔い」をB4の黒フレームに入れて立て掛けた。彼が死の前年に描いた作品で、人の顔や花や動物の身体といった自然界の存在の断片が赤く簡略化されて表現されている。他の作品や他の作家でもよかったけど、クレーのその作品にある人の耳のS字のマークがどうも気になったんだ。何しろ私のスコッチィのSに他ならない気がしたからさ。
CDコンポを持ち込んでブライアン・イーノの「MUSIC FOR AIRPORTS」をかけた。空港のラウンジで何処ぞの未知の世界に飛び立つ準備にはもってこいの気にさせるからね。D錠を口に含み、ゆっくりと腹式呼吸で脳内を洗浄しながらストレッチを開始した。私の裸の肉体は半身湯船に浸かっている。39度のぬるめのお湯に。後ろ手に腕を組みゆっくりと上下するとお湯も合わせて上下する。
赤の抽象画、龍脳の香り、D錠が溶けていく。反復するピアノの調べに合わせて湯が上下した。私の五感が何処かに昇華する。何処か遠くの何処かの記憶に。
儀式にのぼせて私の過去と未来が混ざり合う。合間を縫って懐かしい顔が次々に現れ、私に一声かけて行く。
人様に迷惑かけちゃ駄目なんだからと母の顰めっ面。お前のやる事はいつも滅茶苦茶だなと幼馴染が笑ってる。オヤジもう年なんだからと息子の奴が呆れていると、買い物行って来ますけど何かいるものありますかと女房の奴の声がした。箪笥から出して来たばかりの格子柄のジャケット。春先にいつも着ていた女房の定番だ。ナフタリンの匂いが少々キツいのは龍脳の残り香のせいだろう。
そうだった、腕をしっかり回さないと。可動域を確保して、それから賢者の石の確保も忘れるな。ゆっくりと、ゆっくりと、左右に10回3セット、あれ、バンザイのストレッチはもう終わったんだっけかな。何だか少し疲れたのか、ちょとばかり意識が遠くに離れて行くと、ベッドに横たわる私の未来が見えて来た。
誰かが私の右手を摩り、優しい声で語りかけている。「発見が遅れないで良かったです。ほんと大事に至らなくて」と。目の前には懐かしい金曜日のヘルパーさんの顔があった。
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