#22-234 読むちから、読み取るちから。
日の出がゆっくりになって
「おはよう」のそらも
「いってきます」のそらも
ちょっとだけさみしい。
文章を書くのは上手ではない。
「日記」や「作文」を書くのは、ずっと苦手だった。「読書感想文」なんかも、そうだ。夏休みの宿題であったはずだけれど、どんな風に仕上げていたのか、全く記憶にない。提出物はまじめに出すタイプなので、ちゃんと書いて出していたのだろうけれど。
こどものころ、毎日日記を書いて出していた。
「せんせい、あのね」ではじまる、「あのねノート」だ。
今でもあるのだろうか。
「あのねノート」を書くのは、とても苦手だったとおもう。
字を書くここともすきではなかったので、ノートに書かれている字はいつもひどい字で、とてもじゃないけれどひとに読んでもらうような字ではなかった。と、今はおもう。そのときは、書きたくなくて仕方なくて、そんなことなんて考えてもいなかったけれど。
いつからか手紙を書くことがすきになって、文通をしたり、かわいい便箋を買ったり、返事がくると嬉しくてすぐに返事を書いたり、とても楽しかった記憶がある。手紙を書くことがすきなのは今も同じ。だけど、書く機会はぐんと減った。毎日のように手紙を書いていたときもあった。出さない手紙。あんなにも書いてたのに、今では全く書かなくなった。
今は、ほぼ日5年手帳に、子どものことを記している。あまり一緒にいることがないので、書くこともそうないのだけれど、何か残せたら、とおもっている。この日記は、2年目になる。昨日の去年の日記に「読書感想文がなかなか進まない」と書いてあった。今年も同じく、「読書感想文がなかなか進まない」と書いておいた。進まないのだ。子どもも、わたしと同じで文章を書くことが苦手なのだ。作文や感想文、ちょっとしたまとめの文章なんかも、なかなかうまく書くことができない。わたしよりも本を読んでいるけれど、わたしよりも苦手だ。本を読むことと文章が書けることに、関係はないのだろうか。読み方に問題があるのだろうか。
今年の読書感想文は、堀江貴文氏の「ゼロ」を選んでいた。去年は、高井浩章氏の「おカネの教室」だった。どちらもなかなかおもしろい視点で読んでいた。だけど、それをうまく文章に表現できない。とても惜しい。今はいいけれど、この先、ちょっと困るだろうと心配している。どうにかうまく書けるようになるといいのだけれど。わたしも書けないので、なんとも出来ずで申し訳ない。がんばれ。
それでもやはり「読む」ことをしていかなければならないだろう。ただ文章を「読む」だけではなく「読み取る」ことができなければならないのだとおもう。わたしもそれがとても苦手だ。ふたりでなんとかがんばっていくしかない。
本を読もう。
「読むちから」「読み取るちから」を鍛えよう。
aico.
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