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Remyという新しい世界 ~日本人クルーがRemyチームメンバーになったわけ~

はじめに

ディズニークルーズでの食事は朝昼晩、軽食やスナック全てがクルーズ料金に含まれているという話は以前[こちらのエピソード]でご紹介しましたが、
今回はクルーズ料金には含まれていないけれども、追加のチャージ料金で特別な体験のできるダイニングのことをお話ししたいと思います。
ワンダー号、マジック号、ドリーム号、ファンタジー号にはパロというイタリアンレストランがあり、
ドリーム号、ファンタジー号にはレミーというフレンチx アメリカン創作のレストランが、
ウィッシュ号には、ステーキハウスパロと、アンシャンテというフレンチレストランがあります。
これらのレストランでのお食事やサービスは追加のチャージ料金が必要で、18歳以上の大人だけが入れるレストランとなっており、ドレスコードもあります。

Remyクルーのスキル


パロとレミーでは格が違います。
Remyの雇用は通常のメインダイニングやパロとは異なり、ヨーロッパ圏で斡旋しているInternational Serviceというリクルーティング会社が厳選したクルーがRemyに配属されます。
Remyは他のレストランクルーと違い、クルーの持つベネフィットも異なります。IDの色も違います。メインエントランスパスはブルーではなくシルバーです。船のクルー階級もストライプ付きです。
それほどスキルがあることを優遇され船に乗船する人たちなんです。実は。

とっても愉快なレミーの仲間たち



その条件は知名度のあるミシュランスター付きレストランやそれ相応の場所や城での実務経験が2年以上の者。というものでした。
そのため、アジア圏でこの条件を満たすものを探すことはなかなか難しいと言えます。結果、ヨーロッパ圏で経験を積んだサービス経験者(ヨーロッパ圏移住者含む)がRemy志願者として応募し続けています。
とはいえ、船という場所は特殊でして契約期間は半年前後です。この前後の契約や休暇前調整でクルーが足りなくなったりするため急な補充が必要になることがあります。
このタイミングで稀にメインのダイニングルームでサーバー、アシスタントサーバーをしているクルーがスカウトを受けることがあるわけです。

パロではなくレミーへ


私は本当にラッキーだったのだと思います。
当時、私はパロで働くためのトレーニングを受講していました。それは私にはイタリア人の友人が多く、パロで働く子も多かったので憧れでもあり、ファミリー向けのサービスの他に、大人向けにサービスをするという体験もしたかったということと、ワインのセールスが楽しくなってきた頃だったということもあります。
パロも素晴らしいです。パロに入るためにも試験があります。その試験は調味料やイタリアの地方について、紅茶のリーフの種類について、船で売るワイン全ての知識、全てを覚えなくては試験を受けさせてくれません。
また、ビバレッジ成績、ゲストコメントカードアンケートのスコアも100%をマークし続けなければ機会をいただくことが当時はありませんでした。
パロの試験をいよいよ受ける。
その試験日を決定するためにパロとレミーのマネージャーのいるDeck 12のオフィスへ行きました。
しかし、パロマネージャーのピエトロが不在だったのです。代わりにそこにはレミーのマネージャーのジャックがいました。
私:
「ジャック、パロの試験日をきめるためにピエトロに会いにきたんだけど何時に戻ってくるかわかる?」
ジャック:
「パロの試験を受けるの?君の名前は?」
私:
「アイコ from ジャパ〜〜ン♪」
ジャック:
「アイコか!君がアイコか!Nice to meet you! いつもね、Remyにくるコンシェルジュゲストが日本人のアイコのサービスがいいとテーブルで話していたんだよ。だからずっと君のことはね、気になっていたんだよ!どんなサービスする日本人なんだろうって。君はゲスト満足度も高評価で船でトップを記録してるからスコアシートで名前もよく見ていたんだよ。」
私:
「え!私ってそんな成績よかったの?知らなかった!笑 でもゲストはよくRemyに行くからRemyのいい話たくさん聞いてきましたよ!とっても素敵だったってみんなおっしゃってました!!」
ジャック:
「君さ、パロじゃなくてレミーで働いてみない?」
私:
「え!!!レミー!!!だってレミーってフランス人しか働けないんじゃないの?!私こんなに目が細い日本人だよ!フランス語はメルシーしかわからないよ!」
ジャック:
「今から僕はレミーをインターナショナルに変えたいと思っているんだ。それに君は日本語を話すでしょう?レミーには日本からのゲストもたくさんいらっしゃるんだよ。でも僕たちは日本語がわからないからゲストが本当に満足してらっしゃるかを確認することができないんだ。
それに君はシェフのパトリックとも仲がいいだろう?彼も君の話をよくするんだよ。面白いって。
だからよかったらレミーのメンバーにならないかい?」
私:
「え!!!考えたことなかった!!!時間をくれますか?」
ジャック:
「もちろん。僕は君がここにまた戻ってくるってわかってるよ。
でもね、アイコ。絶対にこのオファーを人には言ってはダメだよ。パロのピエトロにも下の階のダイニングのチームメンバーやマネージャーにも誰にも言ってはダメだ。これは機密だということわかってくれる?」
私:
「わかった!」

とジャックは、びっくりするオファーを私にくれたのです。(ジャックとはこの時、初対面です)

そして私はどうしても誰かに相談したくて、ビバレッジワインキーパーのルーマニアのジョージに相談します。
私:
「ジョージー、もし私がレミーで働かないかっていう話が来たとしたら私は行くべきかな?」
ジョージ:
「アイコ、まさかジャックがオファーしてきたの?Go for it! 絶対するべきだよ。なぜならアイコ、君は知らないかもしれないけど、レミーは有名なシェフがわざわざレミーのためにメニュー作っていてしかもワインも高級な品揃えで素晴らしいんだ。そんなレストランで働けるチャンスをNOという理由はある?」
私:
「でも私フランス語わからないよ、イタリア語は話せるけど、大丈夫かな」
ジョージ:
「言葉は関係ないよ。それにアイコ、RemyはキャスタウェイキーでBBQで働かなくていいんだよ」

ジョージの決め手の、キャスタウェイでBBQ(めっちゃハードなの)働かなくてもいいにかなり引かれてしまい、ここがRemyで働くという決断のキーになったのです。
こっそりジョージに相談して本当によかったです。
そんなジョージは今はアシスタントビバレッジマネージャーです。

Welcome to Remy


そして私は再度、ジャックの元へ行きます。
私:
「ジャック、私Remyで働きたいです」
ジャック:
「わかった。アイコ、おいで。レストランを見せてあげるから。ついてきて。」


昼間のRemy

そして私はレミーのレストランの中に通されます。レミーを見る機会は通常のクルーにはなかなかありませんでした。秘密の場所のようにゲストのみの場所としてレミーは存在しているからです。(キャプテンクラスの人でもレミーで契約中に食事をすることは許されていませんでした)

その時は、お昼で、まだテーブルの準備をしているところでした。
テーブルの準備に驚きます。
テーブルクロスはアイロンがけしている、
純銀の食器は丁寧に手袋をはめて磨かれている、
薔薇を1つ1つ美しく見えるように手入れしている。
お皿を一枚一枚ビネガーで丁寧に磨いている。
自分の知らない繊細な世界がそこにはありました。
視界が開けていて窓からナッソーの綺麗な海が見えていました。
ジャック:
「アイコ、ここがレミーだよ。この美しいレストランで働いてみたいかい?」
私はその時、本当にRemyってなんて美しいんだろうと素直に思いました。
アールデコ調のインテリアも、空間も、その仲間の空気もすごく好きだと直感がありました。
私:
「はい!お願いします!」
って吸い込まれるように返事したのを覚えています。

そこにいるフランス人クルーたちが暖かく迎えてくれて喜んでいたのをよく覚えています。

レミーに異動するまで

先ほども述べたように、このレミー異動はシークレットミッションでした。
そのため、パロのマネージャーピエトロにも秘密なのでパロの試験日についてピエトロに「で、アイコはいつ受けにくるかマネージャーとは話したのか?」と聞かれても、「まだ。そのうち話しますよー」と嘘をつき続けていました。
そして、レミーでは靴もダイニングルームで履いているような安全靴ではなく、清楚な洗練された靴を揃える必要がありました。
私はポートカナベラルの日に4時間しかないタイムオフを使ってタクシーで1時間かかるフロリダモールまで買いに行きました。笑
Remyでは最上の美を求めるので、メイクもしっかり毎回美しくする必要があり、メイクもたくさん揃えました。(ダイニングルーム時代はほぼすっぴんだったので。。。)

Remy史では、歴代でアジア人のサービス係は私一人きりです。陸側の人事でもかなり揉めたことと思います。この点についてはジャックもかなり苦労したのだと思います。
まだディズニーでInclusionが謳われていなかった時代のディズニークルーズだったので、フランス人にサービスされる最上級のサービスRemyと謳っているイメージへ大きく修正をかけなくてはいけませんでした。
この点、私のRemyへの異動には負担がかかってしまったようです。
前例がないことと、先に述べたように私にはミシュランスターレストランでの経験はありません。その代わり、ダイニングルームでの経験とオープニングでトレーナーをしたこと、船でビバレッジとゲスト満足度が好成績であったことをジャックが陸側の人事に表明しなくてはいけなかったようです。私もそこに真剣に応えなければいけませんでした。

そして、いざRemyへ異動することになると、ダイニングルームからは偏見の目もありました。
なぜフランス人以外のRaceがRemyに行くんだろうか。日本人は優遇されるのか、差別ではないか。自分より船経験年数が低いアイコがなぜRemyで位が上がって自分より稼ぐことになるのか。
など、さまざまな声がありました。ここが、ジャックが絶対に誰にも言わないでというポイントだと明らかになったのです。私は想像もしていませんでしたが、こういった声に何も言い返しませんでした。
なぜなら古くから一緒に働いていた友人、そして私の大好きなマネージャーのリチャードパパと親友のパロのミケーレは、「君が頑張ってきた努力の賜物だと僕たちはわかっている」と慰めてくれたので、私は強かったからです。


Remyのグストルームにてシェフと。

Remyの試験

Remyの試験は緊張しました。なぜなら陸側の人事に私がRemyにふさわしい人材であることを証明しなくてはいけなかったからです。
チーズの知識が必要でしたが、全く無知だったので必死に勉強しました。今まではカリフォルニア、イタリアのワインについてを主に勉強していましたが、フランスのワインについて勉強し直す必要もありました。フランス料理の調理の特徴なども勉強しました。(日本語の旨味Umamiがフランス料理では重要であるということもシェフから教えてもらいました。びっくり。)
それにレミーは、映画のレミーのおいしいレストランをテーマとしています。そのため、映画についてもゲストに語れなければいけないので、毎晩見続けました。
その間もレミーのクルーはとっても優しくて丁寧に私の知らないミシュラン級のサービスについて指導してくれました。
でも彼らはとってもお茶目で、いつもふざけ合っていました。やりすぎなほどに。
お昼の間の準備の時間はみんな歌を歌ったりダンスをしたりしながら掃除をしていました。(白雪姫の口笛の歌とか。)
でも、そんなお茶目な彼らは、ディナータイムは人が変わったように世界観を作ります。
料理の描写が美しく、どんな説明を聞いても美味しそうで、口の中に旨味が広がります。
私は無事にレミーの試験と、船のトップのフード&ビバレッジマネージャーとも面接をし、合格したのです。
フード&ビバレッジマネージャーのダニエルとはワンダー号の時からずっと同じ船に乗っています。ワンダーのドライドックもドリームもファンタジーも。そんなずっと私を見てきた彼でさえ、私がレミーに行くことは慎重でした。それほど、レミー史にとっては大事件だったのです。
私の雇用を境として、フランス人以外の雇用が次々に始まりました。
ポルトガル人、スイス人、イギリス人、デンマーク人、ブラジル人、ドイツ人。
それでもやはりアジア人はいませんでした。

私もたまに、私は本当にレミーにふさわしいのだろうかと悩むこともありました。
Remyのメニューは2人のシェフにより作られています。
1人はフロリダのウォルトディズニーワールドのグランドフロリディアんリゾートのヴィクトリア&アルバーツのシェフであるスコットハネル氏、
もう1人はフランスのランスにあるミシュラン3つ星レストランのラシエッテ・シャンプノワーズのシェフでもあり、世界トップ3のシェフとして名を挙げたアルノーラルモン氏。

そのような偉大な方々が手がけたメニューと、豪華なカトラリーやプレート全て、それにこれまで素晴らしい経験を積んだ他のクルーたちと比べ、自分の存在はレミーへ似合っていないのではないかと不安になることもありました。


シェフが私が落ち込んでる時にキッチンへレミーを連れてきてくれました。

マットさん

私はRemyのFantasy号のオープニングクルーとしても選ばれました。
Fantasy号のオープンは大変でした。
ドイツの造船所からオープニングクルーは全員乗船します。レミーのクルーはサービス係が10人、キッチンが10人と計20人です。
この小さなチームで、この壮大なオープンというイベントを手掛けることはやりがいがありました。
また、Fantasy号はドイツの造船所から出航した後はポルトガルを経て、ニューヨークに寄港した後にポートカナベラルに戻るという航路でした。
このニューヨークの寄港ではニューヨーク中のミシュランスターレストランのシェフたちが集まりRemyを見にきました。
このため高い期待値にも添えるようみんなとても神経質になっていたりもしました。
そんな中、私は自分のサービス経験値にスキルの差を感じることが度々あり、落ち込むことがありました。自分がRemyにいる役割ってなんなんだろうとわからなくなってきたのです。

ポートカナベラルに戻ってからは、シェフスコットハネル率いるシェフチームと、アルノーラルモン率いるシェフチームが乗船し、直接シェフたちに指導が入ります。(サービス係側にはWDWから指導が来ます)

私はスコットさんが大好きでした。
当時、ポップコーンポークというメニューがありました。でも何がポップコーンなのか全くわからないのです。見た目は何もない。
そこでスコットさんに、これはなんでポップコーンって名前なの?と聞いたら、ポップコーンを粉にしてまぶしているんだよ。とその作り方や工程まで丁寧にワクワクしながら説明してくださいました。それに彼は日本が大好きで築地に行ったらたくさん食べるし食材を全部見にいくんだ!と目をキラキラさせて話してくださいました。日本が好き、というスコットさんに私はかなり励まされました。
そして、V&Aのスーシェフのマットさんも乗船していましたが、マットさんはなんと、私がEPCOTの三越時代で彼のテーブルを担当していたというのです。それを覚えてくださっていました。

ある日、私はDeck13のクルーデッキで泣いていました。このまま私は船での生活を続けていくのか、日本に帰って仕事を見つけた方がいいのか葛藤している時期がありました。
マットさんが私を見つけて、話してくれました。
「アイコ、あのね。僕は滅多にテーブルを担当した人のこと覚えてないんだよ。
でもなぜだか知らないんだけど、EPCOTの三越鉄板レストランでの君のことも覚えていてね。それに君は覚えていないかもしれないけども、ドリーム号のオープニングの時の食事でも僕のテーブルを担当したんだよ。すごい偶然だよね!
でもね、僕がすごいと思ったのは君はブレないんだよ。だからすぐあの時のあの人だ!と覚えていたんだよ。
君のすごいところはね、いつも誰にでもディズニーのサービスをするんだ。君はゲストが求めているサービスをよくわかってる。
ここにいるRemyのレストランのサービス係の子たちはみんな、知識もあって経験もあるかもしれないけど、はっきり言ってまだまだディズニーのサービスを知る必要があるんだ。それは僕もスコットも願っているんだよ。
だからね、君の役割って本当は君が思っている以上に大きんだよ。自信を持ってほしいだ。」
とマットさんは熱心に話をしてくださったんです。
これを書いていて、私はまた思い出して涙が出てしまうんですが、あの時、マットさんが私がRemyでいる役割を気づかせてくれなければ、いろんな目の偏見や価値観に負けてしまっていたと思いました。

それで、私たちは無事にFantasy号のRemyをオープンさせることができ、最高のチームで最高のサービスを提供することができました。

ファンタジー号オープニングオリジナルメンバー

おわりに


つい最近私はファンタジー号にゲストとして乗船し、初めてレミーでディナーを体験しました。
あの頃と変わらずサービスチームは洗練されていて美しい所作で、でもディズニーの文化でメニューも説明されていて、私が残したものはまだここにあるんだなと感じてずっと泣いてしまいました。(レミーマネージャーがアイコはきっと号泣するからって端っこのテーブルにしてくれてました笑)
私を担当してくれたファビオくんも、メインダイニングルームのアシスタントサーバーをしていてスカウトを受けてRemyでのサービス係となったと聞きました。
ファビオくんも「また次の契約でレミーになるかダイニングルームになるか僕は決まっていないんだ。でも僕はレミーが好きだからこのままレミーの契約で戻って来れるといいな。僕はみんなのようにミシュランスターレストランの経験がないから知識を人よりも身につけないといけないんだ」
と話してくれました。
私はそれを聞いた時、涙が止まらなくなり、ファビオくんのその緊張している気持ちも葛藤している気持ちも努力して頑張っていることも全てを察しました。
私は
If you can dream it you can do it! と伝えました。
(夢を見続けることができればかなえることだってできる)この言葉の意味はとても深いのです。

レミーで働けて本当に幸せだったとあらためて噛み締めることができたクルーズ旅となりました!

長くなるのでこの辺りで、おしまい!

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Aico
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